起業という奴隷への道

最近は「起業」がブームになっている。これは一見、自由の象徴的活動にみえる。でも、実はそうではない。起業してうまくいったとする。すると君の企業はどんどん大きくなる。従業員も取引先も増えてくる。君はある時点で気づく。君の人生が君の企業を中心に決定されていることに。ポール・グレアムという人は、「マーク・ザッカーバーグはフェイスブックを運営していると同時に、フェイスブックに運営されている」という発言をしている。

起業は、ただ突き進んでいけば自分の企業の奴隷になってしまう。自由になることが目的で起業するのであれば、そのことを意識しておいて、企業が君に依存しないシステムをつくっていく努力をしなくてはいけない。

けれど、君があるアイデアに強く魅了され、人生をこれに賭けていいと虚栄心なしに思えるのなら、起業は素晴らしい選択だ。

怖いのは、人間の自己正当化という習性だ。君が虚栄心から起業したとして、ビジネスとしてはなんとかうまくいったとする。けれどそのビジネスは人間の低次な欲求を刺激した中毒的ビジネスだとする。このとき君はそのビジネスをやめようとはとても思わないだろう。むしろ君はそのビジネスがいかに人間の役に立つのか理由をひねり出し、その企業の経営を人生として生きることになるだろう。

成功や名声が目的なら、どんな理由であれ起業すればいい。

でも、自由や幸福が目的なら、虚栄心からくる起業はやめた方がいいんじゃない。


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