世間の人生を生き続ける人

前回:年収1000万ってほんとに必要?

2. 仕事

2-3. 世間の人生を生き続ける人

就職偏差値や年収1000万と似たものに企業ブランドなるものがある。これも曖昧なものさしに違いはない。テレビコマーシャルを多く出していたり、その企業を辞めた人が『〇〇式△△術』みたいなビジネス本を出していたり。ほとんどの場合そんな風になんとなくイメージされているのが企業ブランドじゃないのかな。

実際に話すとわかるけど、そういう世間で企業ブランドが高いとされる会社で働いている人には少なからず「私は〇〇で働いている」という帰属意識からくる誇りがある。別にそれを悪いと言うつもりはないけど、そこで働いている人や働いていた人はいくらでもいるわけだし、帰属が自己信頼の拠り所になっている状態ってのは望ましいのだろうか。

ここまで仕事の話として、まずおかしな就職先の決め方を紹介した。就職偏差値、年収1000万円、企業ブランドだ。

これらが共通しておかしいのは、基準を自分の外に置いていることだ。仕事を「お金を稼ぐこと」と定義している人も多いかもしれないけど、それは過小評価もいいとこだろう。仕事は自己実現の手段であり、自己実現の結果として人々を喜ばせることができれば感謝される。そうすると自分は幸せになる。つまり、仕事は自分を幸せにする手段の1つなんじゃないだろうか。仕事と労働は区別すべきだと思う。

仕事の本質が自分を幸せにすることにあるのに、仕事内容も含め仕事する場所の選択基準を自分の外の架空の物差しに求めるのはおかしくないかい。

実際、就職偏差値や年収1000万円、企業ブランドなんてものさしは10年もあればいくらでも変わるものだ。つまり、それらを基準に就職しても、働いて数年したら自分が雇われている会社のブランドが下がったなんてことはいくらでも起きる。そしたら、自分の内にものさしのない人は、また外のものさしで企業ブランドを鵜呑みにして転職活動をしなければいけない。これってどう?

それに年収や企業ブランドなんてものは上下の概念を含むから上を見たら切りがないんだ。例えば、入社が難しいとされている外資系証券会社Aに入社できたとしよう。けれど本当はより企業ブランドの高いとされる外資系証券会社Bに入りたかった。そしたらAで働きながらも満足は得られず、Bを目指し続けることになる。がんばってBに転職できたと思ったら、Bの世界ではさらに上とされるコミュニティがあった。それで今度はモナコ公国に移住したいなんて言い出してまた働くはめになる。家族との時間はどんどん失われる。そのうち経済状況が変わってモナコ公国が経済危機に陥ったり、証券会社というビジネスが成り立たなくなったりするかもしれない。

仕事や職場を選ぶ基準を自分の外に置くことは、上をみたら切りがないので十分な満足感を得にくいこと、外の基準はいくらでも変化するのでそれに合わせて送った人生が無駄になる脆さがあること、この2つから望ましくない決め方だと言わざるをえない。自分の内にものさしを作らないと、一生外の基準に振り回されて人生を終えることになる。それって他人あるいは世間の人生を生きてるってことだ。そんな虚しいことはない。

ただ自分の内にものさしを作るってのは言うほど簡単じゃない。だけどそれをつくることをサボって生きれば、一生世間に振り回されることになる。

どんなに大変でも時間をかけて内なるものさしを作っていくべきだ。作るときの手順なんてないけれど、ヒントはある。

それは自分が今まで生きていきて心から楽しかったことだ。それらを書き出してみつめてみればヒントが見つかるかもしれない。内なるものさしってのは結局、周りの目は一切関係ない、心から好きなことだから。

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拝啓 まだ、生まれていない君へ。

まだ生まれていない未来の赤ちゃんにメッセージを書いています。
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