余白のデザインと感謝、愛、創造

前回:差分のデザインと幸福

3. 仕事
3-7. 余白のデザインと感謝、愛、創造

メモや落書きを一生懸命しているノートにも、なにも書かれていない白いスペースがある。小説には、段落と段落の間に空白のスペースがある。映画には、クライマックスの後に音のない真っ黒い画面がしばらく映されたりすることがある。そういうのが余白だ。

デザインにおいて余白は、認識を容易にしたり、情報をより際立たせりする効果がある。小説や映画では、心を動かされた人に余韻を味わう時間を提供することで感動をより印象的にしたり、テーマやメッセージを自由に解釈する余地を与えて作品をより好きになってもらうことができる。余白って、なにもないことなのに、すごい。

俺は、余白は幸福にも貢献することができると思ってる。そしてそれは、前に話した感謝、愛、創造と関係している。


世の中には、感謝できる人と感謝できない人がいる。

この違いを生む要因は色々あるだろうけど、余白は1つの大きな要因だと思う。君に1日のスケジュール的な余白、日常的な言葉を使えば「ゆとり」がなければ誰かに、何かに感謝するのは難しいかもしれない。君が精神的な余白を持っていなければ、常にイライラして感謝には至らないかもしれない。余白がないと、せっかく人間のgiftである、「感謝による幸福の創造」の恩恵に預かれないんじゃないだろうか。


余白がなくても恋はできるだろうけど、愛することは難しい。

愛するっていうのは理性的で能動的なことだから。時間的にも精神的にも余白がないと、自分のことで手一杯になってしまって、他人を愛するというのはなかなか難しいのではないかと思う。離婚率の増加と余白には強い関係があるんだろう。


余白がなければ創造はできない。

創造は、君の内から湧き出る「好き」から始まる能動的な行為だ。もし君の時間が、学校の宿題や習い事、受験勉強、 与えられた業務など、やらなければならないことで埋め尽くされていたら創造活動なんてできるわけがない。

アイデアを発想するということにも余白は重要だ。世界を変えた偉大なアイデアがお風呂や散歩中に生まれたという逸話はあまりに多い。お風呂や散歩って余暇時間、つまり余白だ。脳神経科学によれば、人がなにかアイデアを発想する瞬間、脳の全領域が発火する状態になるということがわかってきてるらしい。よくクリエイティブな活動は右脳とかいうけどそれは誤った単純化だろう。全領域が発火するということは、その一瞬、他の思考をできないということだ。発想は、ものすごくエネルギーを使う特別な脳の活動なんだ。君が原始時代に戻ったとして、家をつくるとき何か問題に直面していたとする。そのとき、君を狙うトラが現れた。そんなときに君が発想をしようものならたちまちトラに食べられてしまうだろう。脳はそんなストレスのかかる状況で脳の全領域を同時に発火するなんて大変なことをしようとは思わないだろう。つまり、君がやらねければならないことで忙殺されていては、脳は発想なんてできないってことだ。君に余白がなければ、創造も発想もできないということさ。


便利になったと言われる現代でも、人々はやらなければならないことをたくさん抱え込んでいる。なんでだろう。きっと便利さを盲目的に追求している限り、どんなに便利になったって人はやらねばならないことで忙しくしているだろう。

便利さがどこまで必要かを考えて、意識的に余白をデザインし、日々生きるのが幸福な気がするんだけど。

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