自由を奪う場所としての大学

前回:良い大学に入れば人生上がり?

1. 学校

1-3. 自由を奪う場所としての大学

前回おかしな大人の大学の捉え方について話した。そのおかしな捉え方1つ目は、大学に入ることと、その結果の矛盾だ。大学ってのは教養を育てて自分を自由にしていく場なのに、おかしな大人の考えでは大学に入ったらその後のあるべき生き方がほとんど決められてる。彼らの考えによれば、大学は自由を奪う場所だ。おかしな大人は、東大に入ったんならM菱商事かM銀行くらいには就職すべきだとか言い始める。これは後で話すつもりだけど、学生も、「このラインよりは上の企業に就きたい」と思って就職活動を始めるんだ。

大学に入ると、後半に学問の専門領域がゆるく決まるんだけど、その専門領域と直接的あるいは表面的につながる会社に入らないと、「あいつは大学生活を無駄にした」と言う大人も現れる。けど俺から言わせれば、そういう大人はなにかを深く考えたことがない人たちだ。どんなことだって深く学び考えていけば、深層あるいは抽象的なところで、あらゆることにつながりが見出だせるものだ。例えば、生物学の免疫系の研究をした人は、その知識をIT企業のセキュリティシステムに応用することもできるし、自分の生き方と足元の雑草につながりを見つけられる人だっている。ここでまずはっきり伝えたいのは、大人に「君の選択はつながりがなくて無駄」と言われても一切気にする必要はないってことだ。それから、多くの人には見えないつながりが見えた方が人生楽しいってことも。大学に入ることで自由が減るなんて変だと思うんだけどなー。

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