喫煙と瞑想は似ている
私は音を立てないようにガラス戸を開けて、縁に座り外へと脚を伸ばした。
田舎の夜は静かだ。住宅街は雨戸を締め切って微光も漏らさず、ベランダのブロンズ格子から覗く時差式信号機の明滅だけが騒がしい。
時折通る車は、その誰もいない信号にことごとく捕まって、アイドリングストップさせられる。彼らの律儀なライトは夕方の雨で濡れた格子を蔦って、私の目線で流星を降らせた。
交差点の角には消防団が整備する花壇があり、この街を象徴するような、上品で控えめな鯉のぼりが闇を泳いている。
頭上を仰げば、灰色の朧雲と濃紺の宙が、古い浴室の砂壁のように真鱈模様を織り成していた。
薫風を頬に感じ、湿った空気を喉に感じた。私はカーテンの裏から煙草の箱を掬い上げ、一本咥えた。ジッポライターのホイールを弾くと、松葉の火花が散る。チッチッチと三回まわしてやっと火がついた。ウィックの根本から青赤黄に変化する炎と、三色を繰り返す信号とを重ねて揺らした。
喫煙と瞑想は似ている。
普段意識しない呼吸を可視化することができる。
煙草の先端に火を翳しゆっくり、ゆっくりと吸う。正規オイルは香ばしく生暖かい波を撫でる。焦ってはいけない。口内に留めた煙を転がすと、淡いメンソールが舌をぴりぴりと刺激した。
雨上がりの煙草は甘い。繊細な味覚を感じてからやっと深く、深く吸い込むのだ。冷め切った煙はメンソールと相まって、喉元をひやりと通り過ぎる。肺に到達すれば臓物の形状を感じる。一酸化炭素が巡れば、情緒を忘れた脳にも血が通っていることを喚起させる。
そして体温となった煙を「ふ」、私は溜息と共に吐き出した。暗闇でコントラスト強く伸びた白煙は、右へ左へと風に乗り踊って宙へ上がった。
喫煙と瞑想は似ている。
私の孤独と鬱憤を含んだ微粒子は天高く昇って地球と一体となり循環し、やがて輪廻となる。
これは、死に向かう愚かな行為ではない。死はいつも共にあると安堵できる瞬間なのだ。
こちらは ―― 観察 ―― をテーマに大学の提出物で書いたもの。
(科目名は迷惑とならないよう伏せておこう)
改行をnote向けに変えたが、文章は提出したものそのままで載せてみた。
成績は良かったが、減点個所を自分で推測するなら、各所の繋がりが薄いところか。
観察に囚われた為、風景描写を入れたが、次には自身の肉体へと観察意識が移り、風景描写の必要性に疑問が残る。
そして最後の一文。観察の末に発見した「死と安堵」は全体の文章との繋がりが薄く、唐突過ぎた気がする。締めに「死と安堵」がある為、こちらがテーマとも取れるが、こちらがテーマであるならこれについての記述が足りない。タイトル通り「喫煙と瞑想」がテーマであるなら、それを最後まで貫き通した方が良かったのかもしれない。
私は文章について学び始めたばかり。学べばまた新たな疑問が現れ、学ぶほどに単純だったものがどんどん深くなっていく。まだまだ見えていないものも多いのだろう。
子どもの頃は、夢を叶えるとは遥か遠くにある巨大なドアを開けるようなものだと思っていた。しかし実際は、小さなドアが沢山あり、次から次へと開け続けて行く内に辿り着いているものだと言う。(宇宙兄弟より)
小さなドアを開け続ける人にとっては、夢なんてものは無く、明確な目的・目標の繰り返しなのだろう。そして到着すればまた新たな目標が見つかりゴールなんてものも無いと。ね。
どんどん思考が脱線していくので今日はこのくらいにしておこう。
ご清覧賜りまして誠にありがとうございます。
是酔芙蓉
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