『こんな夜更けにバナナかよ愛しき実話』

〈ボラ・ボラって…、魚じゃないんだからさ!〉

 他のヤフコメの感想でも書いている方がいらしたが、《ボラも障害者も立場は同等…はわかる》には同感。
 しかし、人間社会には【常識】って事がある訳で《夜中にバナナを買いに行かせたり、ゲームなどを夜中まで付き合わせたりするのは考えられない…》にも全面的に同感。これを友人間でやると一瞬のうちに友人は一人もいなくなるだろう。
 気になったのは、この映画には「ありがとう」という言葉が少なかった事。何かをお願いしたら普通の人でも礼儀として「ありがとう」というだろうに。

 主人公の鹿野氏は有名人でかなり魅力的な人物だったようだ。
 講演と呼びかけで興味を持った人達にボランティアとして使って【ボラも障害者も立場は同等】という旗頭の元に一つのコミュニティーを作り鹿野氏個人を好きになり(?)つくす様は私にはなんとも異様だ。鹿野氏を好きにならない限りはコンビニもそれほどない時代に夜中にバナナなど買いに行かないだろう(映画では主人公が勢いで行った事になっていますが)。

 この映画はこういうコミュニティーを一般の障がい者に作れというのか、それとも【ボラも障害者も立場は同等】という理念の元ボランティアは障がい者の言う事をなんでも聞けといっているのかどちらなのか?また、この映画を見てボランティアの事をもっと考えてほしいという事なのか?よくわからない。

 【ボラも障害者も立場は同等】。
 いい言葉だがはたしてそうなのだろうか?【人間同士立場は同等】が正解だと思う。【人として】体の不自由な人を助けるのは【常識】だし、【障がい者】も不自由な部分を助けてもらうのは【常識】だと思う。そして、ボランティアとしてに常に付き添って助けるのも【常識】だと思う。しかし、それを【ボラも障害者も立場は同等】という旗頭の元にボランティアにわがままを強要するのはそれは違うだろうと思う。

 原作は少し展開が違うそうで、ボランティアと鹿野氏とはかなりの葛藤もあったようだが、この映画はその部分が欠落しているようでかなり《説明不足》なところもあり、この作品の話作りが雑で実に残念だと思う。

☆二つにしたいところですが、出演の大泉洋・高畑充希・三浦春馬始め、出演者の皆さんが好演なので☆一つプラス。

しかし、《ボランティア》の事を“ボラ・ボラ”って…、なんだか嫌だな。だって、《ボランティア》は魚じゃないんだからさ。

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