他人が人の家庭を評価することの無意味さ
私がベトナムでどのように娘と2人で暮らしているかと言うと
7:00 起床
7:30 幼稚園へ送り出し
8:00 出勤
16:00 シッターさんが幼稚園へお迎え
19:00 家で合流、シッターさん帰宅
この状況で、娘に同情する人は何%いるのだろう
"ママがお迎えに行かなくてかわいそう"
"いつも構って欲しそうな顔してる"
"愛情不足なのでは?"
こんな同情する人は結構多いのかも
挙句の果てに、子供に向かって
"今日もママが来なくて寂しいね、かわいそうに"と声をかける
愛情のかけ方は家庭それぞれだし、
迎えに行きたくないからしてない訳ではないし
たまに迎えに行った時の娘の嬉しそうな顔はたしかに覚えている
かといって、娘は"かわいそう"な子供になるのか
勝手に評価された娘は
自分が"かわいそうな子"なんだと思う
"愛されてないの?"と不安になる
そんな不安を助長してくる人がいるもんだな、と
お迎えに行けば子供を大事にしているのか
そゆ人に限って、子供のために働くのは諦めたという善者を演じる
偽善者でしかない、責任転嫁も甚だしい人は案外想定していたよりも多い
ママの出張が多いことは悪いこと?
ママが生き生き働いているのは悪いこと?
日本では女性同士のほうが、反発し、嫉妬する
働くママを苦しめているのは、勝手に人の家庭を評価して、お高く止まっているタイプのママ
同じ立場の"ママ"だとしても触れ合いたくない人種のタイプ
同じ境遇の、同じ立場の人がいるという基準で幼稚園選びしたいな、日本で。
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