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趣味の話③

前回はATC185Sを借りてきたところまで書いた。
当時は店が19時まで、片付けして、レジ閉めしてから帰宅の途に就くのだが通勤時間は1時間半。

借りてきたからにはすぐに乗りたいw
またバイク屋仲間の先輩が自宅の前のアパートに住んでた事もあり、当然の如くでその日に乗りたくて21時過ぎに近所の砂浜へ持ち込む。

仲間内には4駆乗りが居たりしたのもあり、砂浜を車で照らして皆で試乗会開催!

実を言えば借りてはきたんだが、正直言ってあまり興味はなかったのが本当の話www
家の前のアパートの先輩は当時はMXで頑張ってジュニアクラスで走っていて、今はそんな契約は無いのだろうが、時代も良くてHONDAの支店契約まで進んでいた本気の方。
そんな訳でオフロード大好き人間だったが、私自身はCBX400Fに夢中だったし、オフロードはなんか泥んこになるのが嫌だなぁと思っていた。

そして何より3輪車ですw
転ばないじゃん、なんかずんぐりむっくりで格好良くないなぁくらいにしか感じてなかったんだよね。

でっ先輩方がキャッキャ言いながら試乗してるのを冷めてみてたんだが、なんでも乗ってはみなきゃな~と試乗。

乗るまではすごく余裕で考えていたんだが、なんとこの乗り物がまぁ思うように動かない、行きたい方向へ進まない、波打ち際でターンしようとしても出来なくて全く乗りこなせなかった(T_T)

当時の3輪、しかもATC185Sなんてのは働く車としてアメリカでは爆発的に売れていたのは知っていたのだが、こんなに乗れない物なの??(@_@)

この日、上手く乗れなかったことがあまり滅多に熱くならない自分の心に大きな火を灯したのでした。

それから週に3日くらいづつ、仲間内で砂浜で夜な夜な1時くらいまで遊びまくったなぁ。

そうしているうちに少し乗れるようになる、砂浜にそれっぽいコースが出来上がりタイムを計ったりしてたんだが、ドンドン自分がATCの魅力に引き込まれていったのでした。

しかしバイク屋に集う仲間はオフ好き、ラリー好き、ロードレース好き、峠好き、車の0-400好きと多種多彩な中で、自分は峠&ツーリング志向な仲間内のグループ。

同級生のマブダチ達とツーリングクラブを立ち上げたばかりだったこともあったのだが、ATCが欲しくて欲しくて仕方なくなっていく。

レースブームの中で、レースなんて自分には縁がないと思っていたんだが、当時のHONDAさんはATC、ミニモト、モトクロスの入門レースを「モータスポーツレクリエーション」(モーターレク)と銘打ってバイク好きな遊び場を全国で展開し始めた時代。

なんとなく自分の稼ぎの中でも出来るのかなと悩んだ時期でした・・・

そんな時にバイク屋の師匠に相談してみると、ATCはまだまだこれからの競技だし、お前には向いてると思うぞ。悩んでるなら挑戦してみるのが一番だよ!この言葉で一気に心は決まり、ツーリングクラブの仲間たちにはなんで3輪車なんか買うんだ!クラブ作ったばっかだしかなり非難されたが、当時のHONDAの直系の2輪販売会社の営業さんからの提案もあり、新車のATC200XとCBX400Fを交換してくれる店を紹介されて、周りの反対を押し切ってATCのレースへ飛び込んだのでした。



借り物から自分の乗り物を手に入れて、ATCを運ぶためにミニカエコノも売って、軽トラ買って毎夜毎夜に練習に明け暮れ始めたのは1984年の夏くらいだった。

写真はWebから拝借

この時ATCを持ってる仲間は私だけw
それでもなんか全く気にならずに夜な夜な走ってた。
それまでの峠&ツーリングの仲間たちから、モトクロスチームの仲間と遊ぶようになりオフロードにハマっていった。

当然、私しか持ってないから練習量は圧倒的に違う事もあり、MXの連中がATCに乗るよりは速くなっていく。

ん?俺って速いのかな?なんて勘違い小僧は調子に乗っていた。

そしてその年1984年9月、今は無き「西仙台ハイランド」のオフロードコースでHONDA主催の東北大会「HART」に参加するのだが、ここからが実は残酷なまでに無残な結果の入り口に突入していったのでした(@_@)

次回はレース参戦記へ突入します!

そして毎回書いてはいるのだが、最近の趣味は頑張る若者をを応援する事。
そんな中で歌で頑張っている彼女がすごく日々の元気を貰う趣味なのがシンガーソングライター理星ちゃんの活動!

各種SNSで投稿を続けている彼女ですが、是非YouTube
理星(Rise)のチャンネルを一度見て彼女の歌を聴いてみてください

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