原体験になっている失敗

こんにちは。平岡まおです。私が小学生だったころ、周りでミニ四駆が流行っていました。

noteのお題「#あの失敗があったから」を見て、ミニ四駆に関する失敗を思い出しました。その失敗は、原体験となって、今でも様々な選択をするときに呼び起こされます。

両親に、家から少し離れた町のおもちゃ屋さんに連れて行ってもらったときのことです。そのおもちゃ屋さんにはミニ四駆を走らせることのできるサーキットがあり、自分でカスタマイズやチューニングをしたであろうミニ四駆を持ったこども達が集っていました。
当時小学校低学年くらいだった私は、ミニ四駆は親に買ってもらったものを1台持っていたものの、レースなどしたことはない素人でした。
ちょうどその時、「手巻きのモーター」を景品とした誰でも参加できるじゃんけん大会が行われました。それに、参加して、勝ってしまったことが、失敗体験です。
皆が欲しがってるから良いものなんだろうと思って欲しくなり参加したのですが、景品を受け取った瞬間、自分にはそれの価値が分からないということに気が付きました。価値が分からないから貰っても嬉しくない。そして、その景品が欲しかったと残念そうにしている子達がいる。もし彼らのうちの誰かが景品を手に入れたら、どんなに喜んだだろう。景品を用意してくれた人だって、価値の分かる人に使ってもらいたいに違いない。想像して血の気が引きました。

(本当に欲しがっている人のものになった方がよかった)

価値が分かるようになって挽回する、という選択肢もあるでしょうが、あいにく当時の私にはそこまでの興味がミニ四駆にありませんでした。

貴重なものはその価値が分かって役立てることのできる人が扱う方が良い、という考えは、今も色々な判断をするときの基準になっています。

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