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ねむれない夜に綴る『わたしと料理』

2019年7月13日 22時55分、パソコンモニターと間接照明ばかりが光っている薄暗い部屋で、ねむれない時間を過ごしています。

なんとなく、noteにとりとめのないことを書いてみたくなりました。
たとえば小学生のころに書いた、遠足の感想文のような、とりとめのないこと。

今夜は、『わたしと料理』について、書いてみたいと思います。

わたしの記憶の中で、はじめて料理らしきものをしたのは、19歳のころでした。
とろみのあるスープをつくるとき、まさか片栗粉を水で溶く必要があるなんて知らなかったものだから、粉のまま入れたのを覚えています。今となっては、お恥ずかしい話です。

本腰を入れて道具をそろえはじめたのは、その数年後。わたしは形から入るタイプの人間なので、自分にとってはハイレベルな道具ばかり。はじめのうちはまったく使いこなせませんでした。
また、仕事が多忙な時期はキッチンに立つ余裕なんてなかったので、四半期単位で料理をしない、なんてよくあること。今日を生き抜くことに精一杯な日々だったように思います。

そして、それは一体どんなきっかけだったか。
おそらく、暮らしに関するウェブマガジンを見つけて、あこがれが生じたからだと思うのですが、次はうつわを集めはじめました。ろくに料理なんてしないのに。
東京のかっぱ橋まで足を伸ばし、有田焼のことを「おまんじゅうですか?」と聞き返してしまうような、ろくな知識も教養もない頭で、目についたうつわを買いあさりました。これもかなりお恥ずかしい話だな。

今では益子焼と有田焼の違いもわかるようになり、そして食器棚にはうつわがぎゅうぎゅうに詰め込まれるようになりました。

わたしにとっての『料理』を思い返してみると、形ばかりにこだわって実体のともなわない、まるで自分の生き方そのもののような、そんな印象を受けます。
「料理は趣味ではないのですか」といった質問をいただいたこともあるのですが、わたしは料理を取りまく道具や知識、キッチンの空気感がすきなだけであって、料理をすること自体は特にすきではないのでしょう。
自分が料理をするよりも、料理をしているひとの手を見ているほうが、何倍もだいすきです。だって、まるで魔法みたいだから。

ちゃんと毎日のように料理をするようになったのはツイッターをはじめてからなので、まだ約9ヶ月程度です。
はじめて試す調理法や食材も多いので、とっても新鮮なきもち。片栗粉をそのまま入れていた19歳のわたしが、まさかお菓子を焼くようになるなんて、だれが想像できただろう。ジャムまで煮ちゃうのよ。

さて、2019年7月14日 0時18分になりました。
本当にとりとめのない、だれのお役にも立ちそうにない、そんなわたし語りになっちゃったな。

だけどたまにはこうやって、ねむれない夜を文字にしてみるのもよいかもしれない。
また、いつかの夜にお会いできるといいですね。

明日はどんなごはんを食べようかな。

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