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かわいいふあんの飼いならしかた

ご無沙汰note。
どうもこんにちは、冬岸るいです。

2020年のnoteは「とにかく続ける」ということを目標に書いていました。
とりあえずどんなに薄っぺらくても「続ける」という方をとってみたのですね。
2021年は頻度が少なくなってもよいからもうちょっと残しておきたいことを書いていこうと思います。
(攻撃力高めなのはPiRuNoteで書きますね)

いきものを飼うのは、幼い時分からとんと向いておりませんでした。
おまつりで出会ったどじょうや金魚も、授業で与えられたアサガオも、あまり思い出を作れぬまま墓だけは立派に作ってやったような気がします。
唯一まともに育てられたのは高校の頃にやってきたサンショウウオ。
(確かトウキョウサンショウウオであったか)
これもまた授業の一環で我が家にやってきまして、空いたイチゴのパックを悠々と泳いでいた姿が今でもほんのりあたたかな気持ちにさせてくれます。
ちいさくてかわいくて、いつまでも見ていられたものでした。
最初の頃は餌のイトミミズに辟易としながらも、それをぱくりとひとくちに食べる様を見ていると、カメラのフィルムケースで蠢くこの小さなうねうねにも少し情がわいたのはふしぎなものだなと思いました。
陸棲を備えはじめる頃に観察期間を終え、理科室の教卓でお別れをするときには大層寂しい気持ちになりましたね。
後にも先にもちゃんといきものを世話できた記憶はあれくらいと思います。

さて、そんなわたしが長年飼い続けているものが、この胸の奥にある少し湿度と重たさのある霧のかたまりのようなもの。
たまにふしぎなくらいやんちゃになるのですが、数年前から気圧などの環境の変化に敏感なようだとわかってきました。
特に変わったところがないように見えて、よくよく見ているとなにか発見があるものなのですね。
きっと今まで、見ているようで見ていなかったのだろうなと思います。
もしくは見えるようになったのかもしれないけれど。
今しがたも少しやんちゃが起きそうだったので、ブルボンのチョコリエールをやったら少しおとなしくなりました。
甘いものには目がないようです。

ご覧いただきありがとうございます。たのしんでいただけたでしょうか。のんびり書いていきますので、またのんびり読みにいらしてください。