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少数派の苦しみ 多数派も楽じゃない

LGBTの当事者の方の話を聴く機会が持てました。話をしてくれた方は、男性ですが、生まれた時、体は女性だったそうです。接した感じ、全くそんなこと、言われなきゃ気づかない風貌でした。

こういうスチュエーションは、初めてだったのですが、LGBTがどういうことなのか、彼ら彼女らの周りで社会の中でどんなことが起きているのか、差別感について、知る事ができ、深く考えさせられた。

LGBTって言うけれど、これは、十把一絡げにはできないところから話は始まりました。L(レズビアン)G(ゲイ)B(バイセクシャル)は、性思考少数派の方たち、好きになる相手が同性だったり、同性と異性と両方OKということ。

T(トランスジェンダー)性同一障害は、心と体の性が一致してないこと、これは生まれもった特性で、自分でどうこうできるようなことではない。性転換手術のことが絡んできます。

それから、これらの括りに入らない特性で、心が中性、あるいは、中性の人を好む、または性別に全く無頓着。性的にまったく誰も好きにならない(なれない)などもあるそうだ。

なぜそうなったのかは、分からないのだろうけれど、人は「ひとりひとり皆違っていい」、「そうだそうだ」と、大体の人は頷きます。そうならなぜ彼ら彼女ら少数派は生きづらさを抱えるのでしょう。

もし本当に皆がそう思っているなら、同性愛だろうが異性愛だろうが、かまわないし、たとえば男らしい人がスカート着てたって、肩身が狭いなんて思う筈がないですよね。

でもそうならない、つまり私たちは、彼ら彼女らを受け入れる振りしかしてないのだろう…。「受け入れる」って一言にいっても、どうすればいいんだろう?

考えてみれば、LGBTだけじゃなくって、色んな特性をもった少数派がいて、その人たちも同じだし…、もっと広げれば、所謂一般的な多数派「普通」という人たちでも、ひとりひとり皆違うから、人間関係で不和がおこり、悩んで適応できなくなったり鬱になったりする訳です。

と、色々考えると、人はそれぞれ皆違うから、分かり合えないことがほとんど、分かり合えない前提で、でも共に活きていきましょう…かな。色々な意味で一人で生きていけないのが人だものね。受け入れるなんてスタンスじゃない、ぶつかり合いながらも納まるところを一緒に探していくしかないって感じだろうか?

私は以前にも、LGBTと思われる人、3人と出会っています。3人に共通しているのは、とても人間的に味がある、話しても何しても、自分色を持っていて、魅力的でした。色々あったと想像するのですが、悲愴感は全くなく、自然体で悲愴感や苦労しましたみたいな感じがなかった。そんな思いをしても乗り越えた人たちの特徴なのかな…。多数派の「普通」ではない、本来の「普通」を知ってるような…そんな感じもします。

世の中、ほんと色んな人がいます。次はどんな人や出来事に出会うのだろうか? 人生、出会いの連続なのですものね…。(^ ^)


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