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DV気味だった昔の男を「最低」と定義する本当の理由

昔、付き合っていた男から首を絞められたことがある。
場所はラブホテルの一室だったが、プレイの一貫という訳ではない。私が何か男に逆らって喧嘩になっったあげくのことだった。
喧嘩の理由は覚えていない。ラブホテルだったというのに、コトを済ませた後かどうかも思い出せない。
ただただ、首を絞める男の顔を見上げた記憶だけが鮮明に残っている。

その後、一年ほど付き合った後、私はこのDV男と別れた。
別れるまでには、車で夜のダムまで拉致されかけたり、早朝に家まで押しかけられて襲われかけたりと事件だらけだったが、まあなんとか五体満足に別れはした。
その後もちょっかいを出してくるDV男に困り果て、別の男に相談しているうちに、私はその男と付き合い出した。
それが、15年後には別れるコトになる男である。

精神的にも経済的にも辛い思いをする羽目になった男と、どうして15年も続いたのかとよく聞かれる。いくつか理由はあるのだが、一番根っこにあるのは、男がただの一度も私を叩かなかったということにつきる。
そういうと、若い友人たちは言った。
「男の最低ラインがDVって、低すぎますよ!」
言われたそのときは、そんなもんかなあと思ったが、だがやはり、男女関係における厳密な最低ラインは、命を脅かされるかどうかだと思う。

なぜなら、命の危機があるのなら、その相手とは引き離すしか解決策がないからだ。カウンセリングだなんだと精神的なアプローチは離してから取る策で、とにかく一秒も迷わず当事者同士が接触しないようにするしかない。(そこ徹底しなかったが故に起きた、悲しい事件は山ほどある)
それは実体験としてそう思う。

首絞め事件の後、私の中には妙な緊張感が生まれていた。コイツとは、命がけで相対せねばならんと腹をくくって付き合っていた。だから、いざ別れようとしたときも、拉致されようが襲われようが、我が身は無事で済んだのだ。

だが、それなら首絞めの直後にとっとと別れ話をすれば良かったのだと今なら思う。どうして、あれだけ覚悟は決めていたのに、別れるという選択肢が浮かぶまで時間がかかったのか。まだ続けられると思ったのか。
もちろん、萎縮する方に転んでいたら、別の地獄が待っていたろうし、別れるまでにもっと時間がかかたろう。だがいずれにせよ、関係は破綻するしかなかったのだ。
なぜなら、自分の中に生まれた殺意は消えなかったから。

DV男が首を絞めてきた時、私は抵抗するのをやめた。やめて、ただ男の顔を下から睨み上げた。
すると男は、しばらくして(実際は数秒だったはずだ)手を離し、私から離れてベッドに潜り込んだ。
いまでも覚えている。
あの抵抗できない状況で、私の中に膨れ上がっていたのは殺意だった。はっきりと、殺してやると思ったのだ。

そしてその思い強さは多分、男の殺意を上回っていた。だから男は引き下がったように思う。
拗れた別れ話の中で、何度となく「怖い女」と言われたが、今思えばあのラブホテルでの出来事から、彼の中で私はそういう女になったのだろう。
確かに怖かろう。一年も、男への殺意を秘めに秘めて付き合っていたのだから。
爆発する前に別れて、本当に良かったと思う。


私が最も恐れる最低男は、私に殺意を抱かせる男だ。次に相手にそんな思いを抱いたら、私は即刻別れると決めている。
世の全ての人がそう思っていれば、不幸な事件の数は、少しばかり減るだろうに。

思い出した。
最近別れた男だが、以前、私を殴りたいと思ったことはないのかと聞いたことがある。
「あるよ」
男はあっさり肯定した。
「男だからね、かっとなったことはある。でも」
目を反らして男は言った。
「お前を殴ったら、多分、俺、殺されるなあと思うから」
こういう男だから、15年も続ける羽目になったのか。
いや、やっぱり私の最低ラインが低すぎるのだと、友人たちは怒るだろうか。
うん、怒るだろうなあ、やっぱり。

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