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【番外編vol.1】私は詩人じゃなかったら「娼婦」になっていたのか?裏話

教授は「ふづきさんにいくつか質問をします」を告げるなり、こう尋ねた。

「cakesの連載で『詩を書いていなかったら、キラキラした女子になれたのでは?』と編集者に言われた、とあるね。でも、果たしてそうなのか。逆のパターンもありえたんじゃないか。『女子大生風俗嬢』という本も話題になっていてね。詩人と娼婦は似た部分があると思うんだ。
 もしかしたら、ふづきさんも詩を書いていなかったら、風俗嬢になっていたんじゃないか。ふづきさんは娼婦についてどう思う?

▶︎第9回 私は詩人じゃなかったら「娼婦」になっていたのか?※8/31(水)午前10時まで無料
https://cakes.mu/posts/13716

 このnoteは、上の記事(エッセイ)を読まれた方に向けた「番外編vol.1」にあたります。
 
 某大学の講義のゲストとして呼ばれた私は、教授から上記引用のような質問を公然とぶつけられてしまいます。記事の後半には、教授の質問に対するその場での回答、そして数ヶ月経た現在の回答を綴っています。
 記事を未読の方は、問題の発言箇所だけでなく、どうか記事の中身も、最後までお読みいただければ幸いです(辛い方は休み休みでも構いません)。

ご感想について

 該当記事に対しては、予想以上に反響が大きく、たくさんの方にお読みいただき、励みになりました。Twitter上の感想の多くは、発言に対する嫌悪感、共感、分析など。それぞれ興味深く拝読しました。ありがとうございます。
 どの意見や感想にも寄らないように、できるだけフラットに捉えようと思った結果、同意しかねる感想も含め、全てに♡を押しました。

 ご意見の一部は、こちらにまとめて頂きました。
 詩人の川口晴美さん、大学教員(フェミニズム理論)の清水晶子さん、セックスワーカーの椎名こゆりさん、文筆家の千野帽子さんほか↓↓

▶︎大学教授に「詩を書いていなかったら、風俗嬢になっていたんじゃないか」と言われた話 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/1016667

怒りの矢印

 しかし中には、こんな感想もありました。
 自分に酔ったヒロイックな記事を書いて(とは筆者の私自身は思いませんが)、何がしたいの? 結局自分を売りものにしたいだけでしょう?
 さらには「詩人らしい達者な比喩も使えない、ジャーナリスト気取り」と(また「詩人」の押し付け……胃が痛い)。
 それが詩人や、詩に関わる人の口から出てしまうものだから、タチが悪いというか、さすがというのか。

 素朴に疑問なのだけど、書くことに目的が必要だろうか?

 読んでほしい、知ってほしい。私の言葉を受けて、別の誰かに語ってほしい、それが聞きたい。
 その広がりを見たい。それじゃダメなのだろうか。

 私の怒りの矢印は「教授」本人よりも、その言動を許容している「世界」の方に向かっているように思う。
「こんな世界の仕組み、どうなのだろう?」と、自分に対しても世間に対しても半信半疑で問いかけたいのだ(「『物申す!』的な好戦姿勢で書けない」のは多分私の弱みであり、強みでもある)。

 まず当然のこととして、私は教授に記事を読ませたくて書いたわけではない。謝罪も求めていない。被害届を出すとか、相手に復讐するとか、そういう形で「気が済む」とは思えなかった。
 とにかく、気持ちの行き場がなかったのです。

 ネットでは炎上同然に取り沙汰されるあの発言が、なぜ大学の講義室という場で、平然と垂れ流されたのか。
 どこかに、発言を許容させる「力」の不均衡があるんじゃないか。

 それを書くことで見極めたかったのだと思います。

「学生のためにも教授を訴えるべき」と言っている人たち、ごめんなさい。
 私にはそういう類の勇気はまったくないのです。

(学生は学生で別の形で教授と関係を築いているだろうし、たまたま臨時で関わった私が、その関係に介入するのはどうなのだろう、と悩む。でも、あの講義に来ていた学生の方がもしこれを読んでいて、「困ったな」「吐き出したいな」と思うことがあったら、いつでも相談してくださいね)

 記事がアップされて2日経った今は、反省もありますが、たくさんの感想を前に「自分の内だけに響いていた声が、うんと厚くなって返ってきたような」心強い気持ちでいます。

 言うまでもないことですが、記事は私の目を通して書かれた〈エッセイ〉で、記事の内容だけで状況を判断すると、偏りが出てしまうかもしれません。
現場にいた学生たち、教授本人からすると、違った文脈があったでしょう。

 なので、私も教授が何を持って「詩人」と「娼婦」の類似性を説いたのか掴めないところがあります
(例えばTLでも言及されていた「身を晒す職業だから」「巫女性が通じる」など? もしくは単に「女性に性の話をさせたい」ということなのか?)。

 しかしどんな理由があったとしても、ひとり教壇に立っている状況下で、あの質問をされたら、多くの人は息苦しさを覚え、言葉に詰まるのではないかと思います。
 質問されたときの教室のヒヤリとした空気、視線を思い出すと、今でも身が凍ります。

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 少し長くなりましたが、おそらく私の立場から教授の心理を分析したところで、どの道「被害妄想」「そんなセクハラ相手にする必要ないのに」的な意見は免れないように思います。

 もしこのnoteに何らかの反応を頂けたなら、次回vol.2では、あの講義の日から、記事を仕上げるまでの過程を打ち明けるつもりです。
 実はcakesに掲載された記事は、第8稿。20日以上かけて、7回書き直しました。その作業の中でも、感じ取ったことが多くあり、過程自体を留められたら、と思っています。

 私は元々「現実的な問題の核心を突く」ことにかけては初心者で、なかなか覚悟が決まりません。
 原稿を書きながら「無理だ。手に負えない」と何度か心を閉ざしつつ、深く分け行っていきました
(これは書き手としての手の内を見せてしまうことになると思いますが、自分の今後のためにもしっかり身に刻んでおきたいのです)。

 あとは、記事の中でも触れた、風俗嬢ライターの菜摘ひかるさんのことについても、少し補足を書きたいと思います。

 煮え切らない内容で、ごめんなさい。
 今日はもう出かけなくてはいけないので一旦失礼します。

▶︎第9回 私は詩人じゃなかったら「娼婦」になっていたのか?
※8/31(水)午前10時まで無料
https://cakes.mu/posts/13716

-----8月28日追記-----

 Twitterで書いたことが少し関連するかな、と思ったのでここに残しておきます。
 cakesの記事(元のエッセイ)は、無料期間を1週間に延ばしました! 8/31(水)午前10時まで無料で読めます。それ以降も、1週間無料のお試し購読か、有料会員に登録すると、最後まで読むことができます。

 以下 ツイート(@luna_yumi)より。

 たとえば匿名ブログに例の記事を書いて、教授の名前を出せば、みんなが納得する〈告発文〉になったのかも、と思う。〈文月悠光〉の名が無ければ「過去にミスiDに出て女を売り物にしてたくせに」とか「“女子高生詩人”を自ら押し出してたくせに」と指をさされることはない。過去の肩書きに縛られる。

 しかし、かつての“女子高生詩人”や“アイドル詩人”(って敢えて言うけど)があの記事を書いても、なんの矛盾もないはず。そして仮に、被害届を出すなり具体的な処置を取ったとしても(それが明るみになった場合)「詩人なんだから自分の言葉で攻めて欲しかった」と言い出す人が絶対に現れるだろう。

 中也賞受賞時は、本当に「女子高生」で「詩人」だった。それを「JK詩人だ」などと言われて、ひどく困惑したのは当時の私。それを今「JK詩人はもういない」と引き受けた上で皮肉るのは、困惑した過去を自ら清算したい思いがあるからだろう。

▶︎JK詩人はもういない |臆病な詩人、街へ出る。 https://cakes.mu/posts/11970


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