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生まれ直すために――「別れ」について

 桜が散ってしまう前に読んで欲しいお話です。
「詩と思想」2017年3月号に、〈別れ〉をテーマに書き下ろしたエッセイです。

 私はいつも言葉を探す。
 私に「私」という、魂の重さを与えてくれる言葉を。

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   生まれ直すために


 毎年桜の花を見るたびに、涙を思い出す。別れのときに流した涙のことだ。

 満開の桜を眺めていると、宇宙や遠い場所へ、身体ごと吸われていく心地がする。その感覚に導かれるようにして、散り敷く花びらを一歩ずつ踏みしめていく。春がもたらす「出会い」と「別れ」の瞬間を、私は畏れながらも、自分の足で迎えに行った。

 人はいつ別れを定められるのか。別れがくるとわかっていながら、どうして出会いを求めにいくのか。悲しいような、怒っているような、情けない気持ちを抱えたまま、春は涙に滲んでいった。

櫻のしたに人あまたつどひ居ぬ
なにをして遊ぶならむ。
われも櫻の木の下に立ちてみたれども
わがこころはつめたくして
花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ。
いとほしや
いま春の日のまひるどき
あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。
               萩原朔太郎「櫻」『純情小曲集』より

「別れ」を迎えるとき、人間はとたんに正直になる生きものらしい。高校の卒業式の日、クラスメイト全員が一人ずつ挨拶をすることになった。教室で一言も発したことのなかった眼鏡の男子生徒は、壇上に立つと、おもむろに「みなさんとは、もう二度と会うこともないと思いますが……」と口にして、晴れやかな笑顔を見せた。教室はどっと笑いの渦に包まれた。高校生活三年間の中で、まちがいなく彼が一番愛された瞬間だった。

「今日で最後」と定められているからなのだろう。先生と仲の悪かった不良男子も、腰を低くして素直に挨拶し、記念撮影をして、ちゃんと別れを惜しんでいる。そんな中でも、私はあたりさわりの無い言葉を口にして、全員の記憶から消されることを願うばかりだった。

「どうせ大人になったら会わなくなる関係なのだから」。私はそう割り切って、教室での息苦しい三年間をやり過ごしていた。今こうして書くのは恥ずかしいが、当時の私にとって、「卒業」とは、定められたリミットを、ようやく迎えただけのことだった。

 卒業式では、成績優秀者たちと並び、「中原中也賞を受賞した、三年一組○○○○さん」として表彰された。詩を書いていることは友達にも先生にも殆ど話していなかったので、最後の最後で公になったことがどこか新鮮だった。これからが始まりであるような気さえした。そんな式から数日が経ち、私はやっとあの場所にはもう戻れないのだと気づいた。それにしても、卒業式という「別れ」の場面ですら、日常のプライドを捨てきれない自分は、至極つまらない人間だなあと思う。

 大人になって以降の「別れ」は、恋愛関係の喪失か、誰かの「死」という形でやってきた。
 恋人と深夜まで話し込み、ついに別れることになった。わたしたちは、パン屋のイートインコーナーで、遅い朝食を食べた。

「仕事でいつもバタバタしてたけど、朝ゆっくりできるっていいね。こういうこと、普段からもっとすればよかった」

 そう漏らした私に、彼は「旅行行こうと思ってたのに。韓国とか台湾とか……」と残念そうに言う。近所のパン屋、かたや海外旅行。まるで噛み合ってない。

 自分たちはどうやら、とっくにすれ違っていたらしい。その実感によって、「別れ」に対しても気が済んだようなところがある。付き合っている間は、すれ違いが可視化されることが恐ろしく、本音を口にすることもできなかった。「別れ」が決まっているからこそ、すれ違うことも恐れずに済んだ。積極的にすれ違うことで、別れを肯定できる。そういう意味では、決して悪くない別れの形だったと思う。

 逆に「別れ」を引きずり続けたこともある。未練と後悔の渦に飲まれて、「どうしてうまくいかなかったのか」と沈み込む毎日。自分の至らなさを責め、相手を恨めしくさえ思いながら、数ヶ月を過ごした。

「彼に必要とされなくなったから離れたんじゃない。私が彼を必要としなくなったから遠くなったんだ」

 苦しんだ末にそう思えたとき、はじめて相手から自分を切り離すことに成功した。私はそれまで、「彼の生活から自分は見放された。あの人の人生に私は必要とされていない」と一方的に悲しんできた。けれど私は、彼の好意が失われたことに傷ついたわけではなかった。私は「別れ」に自分の意思がなかったことに傷ついていたのだ。

「恋愛関係」(ないし人間関係)全体を、相互作用的なものとして見れば、一方的な「別れ」や「終わり」など一つもないだろう。そこには常に、相手との交感がある。

「彼との関係から私が吸収できることは、すべて吸収し尽した。次の場所に進むよう、私はうながされたのだ」

 周りの風向きが変わった。だから関係性も自分自身も変わることを迫られた。その結論を出せたことで、心がとても楽になった。私は私の意志で、私のために「終わり」を選んだ。そう思えたとき、その関係に本当の意味で終止符が打てた。

 こんな風に、言葉一つで心が軽くなったり、飲み込めるようになるものがあることを私は知っている。だから、いつも自分の感覚にしっくりくる言葉を探しているのだろう。単なる慰めでもなく、自分を否定するのでもなく、私に「私」という、魂の重さを与えてくれる言葉を。そして、それは「別れ」の重さにも匹敵する。


 昨年十一月に急逝された、ライターの雨宮まみさん。亡くなったのは、第三詩集『わたしたちの猫』(ナナロク社)に帯文と推薦のエッセイを書き下ろしていただき、詩集が刊行された直後のことだった。訃報を目にしたときは、何かの間違いだと思った。衝撃と後悔の言葉が溢れた後、その死の大きさを前に黙した。

 知人の方のご厚意で、雨宮さんの持ち物をいくつか頂いた。「私になど」という思いもあったが、その遺品を目にしたら、確かに「これを」と選んでくださったのだろう、と感じる品々で、ふしぎな説得力と共に受け取った。

 いただいた遺品の中に、私も一〇代の頃に熱中した詩集があった。「この本を読まれた方だと知っていたら、どんなお話ができただろう」と、背表紙の破れ目を撫ぜた。「どんな詩が好きでしたか?」、「こんなとき雨宮さんなら、どんな言葉を紡ぎましたか?」。こうしてしばらく、気のすむまで対話を続けていくのだろう。見えない雨宮さんと。「それでいい」と言ってもらえた気がした。

 生まれては壊して、壊したそばからまた生まれて。命が更新されていく様を、神はどんな気持ちで見ているのか。いつか必ず死ぬとわかっていて、なぜ今生きる必要がある? どんな人間であれ、わたしたちは自分の生をまっとうすることを義務づけられている。勝手に生み出され、死ぬまで生きる。この宇宙をつくった神さまは、奇特な趣味を持ったものだ。

 雨宮さんをはじめ、何人かの亡くなった知人の顔を思い浮かべると、「長く会っていない」というだけで、ある日ひょっこり現れるのではないか、と思ってしまう。自殺した人もいれば、病死した人もいる。けれど死という「別れ」に対して、私はまだ受け身なのだった。最後に会ったときに交わした言葉を思い起こし、遺品として手元に届いた本を眺めて、目の前にいないその人と対話を重ねていくほかない。私はまだ言葉を探し続けている。

 死後も、その人との関係は続いていく。そう信じていたい。

 変動する自分を、変動する気持ちを、怖いけれど知ってほしい。わかってほしい。離れられないほどつながりたい。でもひとりで立ちたい。忘れたくない、忘れられたくない、でも忘れていきながら、いつしかその恋が自分の中の細胞の一部のようになっていく。(中略)

 ひとと関わらなければ、ひとに輪郭は生まれない。最も強い輪郭を描く「恋」の軌道を、やわらかに、霧にけぶるように、文月さんは描き出している。
       雨宮まみさんによる『わたしたちの猫』推薦文より

 第三詩集『わたしたちの猫』は、一九歳の冬から五年間のあいだに綴った「恋にまつわる詩」を集めたものだ。巻末の「あとがき」には次のように記した。 

 果たして、恋に「終わり」はあるのでしょうか。好きな人に告げられた言葉、教わったこと、二人で歩いた街角。それらが血のように肉体へ流れ込み、「今」を形づくります。
 生きるということが「延長」である限り、「あなた」と「わたし」の関係も、絶えず動き続けているのです。その変わり続ける地図に惑いながら、わたしたちは一匹一匹、見えない尻尾を泳がせています。

 揺れ動く存在であるわたしたちは、いつでも再会を願う。それらは、夜空の星のように一つ一つ独立しており、尊い距離を保っている。たくさんの「あなた」と出会い、私は新たに「生まれ直す」だろう。

 春、雪解け水は陽だまりの下を伝って、次の道筋を描いていく。未来にたとえ消えてしまうとしても、その道筋の輝きは、眼裏に残り続ける。また季節がめぐり、春の光に照らし出されるまで――。

「出会い」と「別れ」の絶え間ない循環に、わたしたちは手を重ねあう。 


(初出:「詩と思想」2017年3月号)

▶︎文月悠光『わたしたちの猫』(ナナロク社)
http://www.nanarokusha.com/book/2016/10/08/3894.html

▶︎第3詩集『わたしたちの猫』試し読み
https://note.mu/fuzukiyumi/m/mdc8b0e3be323

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