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3,960円で参戦する方法。 『物語戦としてのロシア・ウクライナ戦争』

小方孝先生の弩級新著『物語戦としてのロシア・ウクライナ戦争』が公刊され、畏れ多いことに献本を頂いた。
せっかくなので、引用メインで感想を残しておく。
この本、とにかく、面白い。
物語論って、死んだ作品(超失礼)の構造とか分析する、静かな学問のイメージがあるかもしれないけど、いやいや、こんなにヴィヴィッドな、鮮やかな「今」にとって力を持つ学問、方法論なのか、と膝を打つと思う。

小方孝『物語戦としてのロシア・ウクライナ戦争

9月の第72回ことば工学研究会に、はるばる東京までいって参加してきたときに小方先生に会ったら、ご発表の開口一番、

「福島には献本あげたのに礼の一つもなかった」

と(すごいヒゲで)(とはいえ少し短くなっていた気がする)言われたもんで、いや(マイク使って言うことじゃないでしょと思いながら)読んでないうちにお礼のメールするのも失礼かなと思ってたんですけどネ、と言い訳したら

「ああ、それは分かる。そうやって結局読まずに置いておくだけの本はよくある」

と返す刀で斬られたので、重い腰を上げて、書評という程でもないが、本の紹介というか感想を残しておきたい。

あと全然関係ないけど最近、学内でwebページの改変を任されまして、そいでもって足元の自分の研究会見てみると、やっぱりことば工学のHPは4周回って清々しいなっていう。阿部寛のHPと、僕が前住んでた近くにあった「町田将棋センター」のHPとともにweb遺産として保存しないと。

本文と関係のないヤギ。

読もう(大声)

書評っていうのはだいたい章立ての説明と、想定される読者みたいなんを書くのがお決まりのコースだそうで、
ただ、自分的に読んでない本について書くのは研究者としての美意識が許さないのでマジで読み終わるまで書かないぞと腕組みしていたら、研究会で小方先生が「どうせぜんぶ読まない福島はとりあえず4章だけ読んどけばいい」って言ってたんで、序章と4章と終わりに(結論)だけ読んだ。

そしたら本の中にも、2章はシステムの説明だから飛ばしていいって書いてあった。顔に似合わず優しい。あと、顔に似合わず文が流れるようなかんじで、欲しいところに用語の定義も書いてくれているのですごい読みやすい。なんで著者近影がないんだ新曜社。

それでこの本はどんな人が読んだらいいかというと、ロシア・ウクライナ戦争にまつわるコメントとかを聞いて、ふーん、と思ってるぐらいの人。まあ僕のことなんだけど。
そういう人が読めば、どういう立場があるのか、いまテレビで話している人がどういう立ち位置で、どういう言説が展開されているかの見取り図というか、軸がわかる。

あと、コメンテーターを目指す人、専門家というか一家言あるひとはもちろん読んだ方がいい。自分の言説を一個メタな視点で考えることができるはず。
あとニュースサイトにコメントを書き込むことを楽しみにしている人、テレビのロシア側の話を聞いて、なんか騙された感がある人、コメンテーターになんかモヤる人。あと、橋下徹

「物語戦」

ロシア・ウクライナ戦争は市民を巻き込んで大変に凄惨なことになっているが、本書で焦点が当てられるのは、物語の戦争だ。どっちの物語が、どっちの物語を殲滅するのか。

本書で小方が「物語戦」というのは、個別の偽情報の流布というレベルはもちろん、さらに広い視野における、

戦争そのもののストーリーや各種物語、戦争当事国どうしの言論上の戦い、周辺国における諸関係を通じた言論上の戦い、さらに日本国内における様々なタイプの人々による言論上の戦い等を、総合的かつ物語論的に扱おうとする構想である

序論iv

とする。
今回の事変に限らず、戦争が起きるときにはお互いの側に物語があって、それが侵攻や防衛を正当化したり、そのストーリーが兵士や市民を鼓舞したりする。
ただ今回この本で扱っているのは、当事国間の正当化合戦の分析というよりは、もっと広い、日本を含む周辺国で繰り広げられている、個人による種々の言論、言説の物語論的な分析だ。

具体的には、橋下徹、藤井聡、佐伯啓思、中田考といった名だたる論者の暴論ぶりを、言語データをもとに丁寧に分析し、パロディ作品まで生成する。十八番である物語生成研究の面目躍如である。

物語論的な分析というと、具体的な偽情報の修辞的・構造的な分析かと思うが、むしろ

戦争、そしてそれと直接的・間接的に関連する諸事象を物語という観点から調査・分析し、その物語生成システムモデルを構築すること

が、物語戦研究の主目的である。静的な分析ではなくダイナミクスなのだ。

偽情報物語を作ろう

本書1章の後半から2章では「偽情報物語」がどのように生み出されるか、その理論的背景が記されている。
ここの部分が一番面白いので、「4章を読め」と直接言われていない読者にはここをおすすめしたい。(序論と結論は普通におもしろい。)

偽情報がどうやって作られて、どういう効果を聞いている人にもたらすかというのが、「技法」と「認知的効果」として検討されている。
例えば
技法①「計画や目の前の事実の全てに関する嘘を吐く」「以前の嘘をなかったことにする」
といったかたちで、技法がかなり具体的に紹介される。

そして認知的効果というのが、やはり知能研究や認知科学研究としてのナラトロジーを長年やって来られた小方先生のこだわりポイントだろう。
嘘をどうやったら物語として展開できるのか。プーチンの手の内、奇術のタネ明かしである。ここはぜひ本書を読んで欲しい。

僕は物語論が専門ではないし、今回の戦争も情報を追いかけているわけではないのでよく分からないが、結局今回のロシア・ウクライナ戦争をとりまく物語のミソは、新しい言説を次々に創りだしていくところに在るんだとおもう。

情報戦・認知戦や、私(筆者である小方)が提唱する物語戦における一つの重要な特性は、そこでは物語が現象を解釈するために使用されているだけではなく現象を作り出すためにも使用されているということである。

序論

で、物語理論の伝統国であり先進国であるロシアの強さっていうのはここんとこにある。そしてプーチンの肝っ玉を支えているのは

物語生成サイクルの出発点が、何ら現実的な根拠を持たない嘘や偽の物語であっても構いはしない

序論

という点だろう。この考え方こそが、(戦争関係なく)物語理論、ナラトロジーを先導してきたロシアの発明であり、今に続いている戦争物語の根柢なんだろう。

そして小方は参戦する

今の引用部分で「物語生成サイクル」というのが出てきた。
小方の物語生成システムの特徴は、作品だけでなく、それを取り巻く言説、批評、見物記録などが、また新たな作品の創作や生成に影響を及ぼすという多重の循環構造である。
ここんとこ、詳しくは『物語生成のポストナラトロジー』に書いてある。

その考えで行くと畢竟、この本でやっているようなロシア・ウクライナ戦争に関する言説の分析と批評は、その分析や批評自体も戦争に影響を及ぼすということになる。ようやく4章を引用しよう。

この戦争を巡る日本の各種言論に対する批評を行い、それを集成して日本の物語戦の全体的構図を描く。この最終段階においては、私自身も自分の立場や視点を明らかにする必要がある。すなわち私自身もこの物語戦に加わることになる。

第四章

小方氏、参戦しとる。

これはもちろん、ある日本のナラトロジー研究者が突然ブチギレて参戦を表明したという話ではない。むしろ極めて沈着に、このロシアのナラトロジーが生み出した物語戦状況において、日本にいるからと言って戦争に無関係だとは言っていられない、どこからどこが戦争当事者の言説で、どこからが無関係な人間の言説かを切り分けることは土台無理で、あるいはそれらの言説同士の循環する関係を切り分けることができない、むしろ求められているのは偽情報物語の構造を逆に暴露し対抗していく方法論だ、ということを突き詰めていった結果としての表明だ。

物語戦は必ずしも戦時においてのみ戦わされているものではない。それは平時においても、無意識的なレベルで行われているとみなすべきものである。その意味では、広い意味で対象となる戦争に何らかの関連を持つある発言を行う人は、物語戦の観察主体の認識の下では、本人自身が意識していなくても物語戦を実行しているものとみなされる。

序章

ここでは日本人であっても戦争にまつわる「発言を行う人」が物語戦の当事者だという主張をしているが、当然、その発言を届けるメディア、そしてそのメディアに触れて話を聞く人がいるわけで、そうなってくるとぼんやりテレビでプーチンの、鈴木宗男の、橋下徹の話を聞くだけで、無垢なふりをした我々だってすでに戦争(物語戦)に巻き込まれている、ということになる。
いや、この記事をここまで読んでいるあなたは、かなり物語戦の中心に近いところにいる。
我々は3,960円で、参戦し、ロシアの偽情報物語を打破する技法を得るのだ。

おわりに:物語戦における文学の位置


本書で取り上げられていてこれから読んでみたいと思ったワシーリー・グロスマンの話。

私(小方)は、文学をいわば物語戦における最後の砦だと思っている。

p221

文学その他の芸術が、物語線のいわば最も外縁に位置しながらも、その最後の砦として、本質的な役割を担っている

結論

として取り上げられていた。
直接的な実効性を持たないながらも、「遅れてくる存在」として確かな力を持つ文学と戦争との関係が第三章で触れられている。
これからロシア・ウクライナ戦争においてもこのような最後の砦としての文学が遅れて現れてくるのか。報道、プロパガンダの小説や映画、リアリズムの描写、市民によるSNSの投稿がその区別も難しくごちゃ混ぜに立ち現れては消えるなか、ナラトロジーとして、小方のシステムをベースにどのようにその効果を分析していくのか、このへんは結構難しいし、個人的にも注目してウオッチしていこうと思った。



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