ブログを始めるときによくある素人くさいあの文章を、ブログ素人が6300文字ぐらいで書いてみた。

特に意味はないブログです。なんとなく書き始めました。

元来私は文章を書くのが苦手です。日本人なのに日本語は上手じゃないし、読むにしても誤読は良くするし、書いても平凡なものしかかけません。

いったいどうすれば読んでもらえる文章をかけるのか。というかどうすれば楽しんでもらえるのかということを考えていても、遅々として筆が進まぬそんな人生です。

とはいえ書くにあたっては人に楽しんで欲しいとか、有用とはいかなくてもちょっとしたスキマ時間を潰すのにちょうどいいような文章を書きたいという欲はあります。

ただこれは結構難しくて、読んでほしいと思って書くと全然筆が進みません。だから逆転の発送で、別に読んでほしくないというスタンスで書いていこうと思います。

いやいやじゃあ何で公開してるんだよと思われるかもしれません。それは当然の疑問です。その質問に対して私がいえるのは「読んでほしくないけど読んで欲しい」みたいな複雑な心境という名のくだらない願望です。

文章を書く理由

公開する理由は上に書いたとおりですが、文章を書く目的というのは様々であります。文字という物自体6000年前に人類が発明したコミュニケーションツール。何かを伝えたい、何かを説明したいというときに使用すると絶大な効果を発揮します。

ただ、文字のいいところそれだけでなく、書き捨てができることも上げられます。「言葉は消せない」という考え方がありますが、これは言ってしまったことは取り消せないという意味と、言葉が決まった形を持たないので消しようがないという2つの特性をかけ合わせた面白い言葉です。

それに対して文字というのは、作文して公開し、誰かの頭に残ったものは消せませんが、文字という形を持ったコミュニケーションツール自体は消すことができます。流石に鉄板なんかに彫られているものはなかなか消しづらいと思いますが頑張れば消せますし、えんぴつには消しゴムという優れた道具があります。

それで話を戻しますが文章の書き捨てというのは、つまりちょっとかっこよく言うとするならばアウトプットということ。自分の頭の中だけにぐるぐると回っている考えや不安を、文字にしてしまえばとりあえずは頭の中から取り出すことができます。そしてそれを並べて整理することも。

別にアウトプットするだけなら紙はいりません。土と棒があれば地面にも書けます。なんなら棒すらいらず、指でもなんとかなります。そして現代ではパーソナルコンピューターとかワードプロセッサーとかそういう便利なものに溢れた世界。

デジタル的な文字にしてしまえば、そこに記載できる内容は膨大です。おそらく一人の人間が一生タイピングし続けても、容量がいっぱいになることはないでしょう。もし、1つのパソコン全てを文字で埋め尽くしても、別の機械を買えば、また書き続けることができます。

つまり文字という便利なツールと、70、80年前に発明されたコンピュータから目覚ましい発展を遂げたパソコンというツールが組み合わされば、まさに鬼に金棒といっても過言じゃないです。この場合どちらが鬼でどちらが金棒なのかわはかりませんが。

鬼は使用者を表して、金棒はツールを表すのでこの場合の使用者は文字?それとも文字を学習した人間が鬼で、パソコンはツール?まぁそんなことはどうでもいいですね。すみません。

まぁ何が言いたいかを総括するためには、この文章の目的がなにかというところに立ち戻らなければいけないほどごちゃごちゃとしてしましましたが、とにかく何が言いたいかといえば、私はこの文章をアウトプットとして利用したいと考えているということ。

まぁ確かに文字を書く以上、文章を紡ぐ以上、誰かの役に立てればという欲望はありますが、そもそもこんな文章をなにかの役に建てれると言う人は、世の中の小石を拾って石垣を作れるぐらいの含蓄を持ってないと無理なのでそれはのぞみ薄でしょう。

だから、アウトプットとしてこの地球上に住む人間ただ一人として役に立たないものであっても、自分にとっては役に立つ。そういう心構えで細長く続けていきたいと考えています。

そのほうが楽なので。何が楽かといえば、この文章って何も考えて作ってないんですよ。思いついた文章をただタイピングしているだけの、正直言って人様にとってなんの価値もない文章なんです。

アウトプットの与太話

ただ、この頭を使わずにアウトプットというのはなかなか役に立ちます。

アウトプットには段階があると思います。上から「人に説明するように文章をまとめるアウトプット」、「自分の考えを一度形にして俯瞰して見るためのアウトプット」、「自分の頭のキーワードを目の前にさらして知識の関係性や整合性を考えるためのアウトプット」、そして「何も考えずに書き続けるアウトプット」。

それ以外にも種類はあるでしょうか、今ぱっと思いついたのがこの4つなのでこの4つだけ書かせてもらいます。

説明型アウトプット

人に説明するためのアウトプットはとても強力です。もしこの技術を習得すると人生がちょっと楽になるかもしれません。こんなこと説明されずともご存じの方も多いと思いますが・・・。

「人に教えるのが一番勉強になる」という言葉がありますが、それが「この人に説明するためのアウトプット」です。

これがすごいのは「暗記」と「整理」を同時に行えるということ。人間の記憶にはエピソード記憶というものがあるそうです。エピソード記憶とは特定の日時や場所、人に結びついて記憶される記憶のことらしいです。全く持って専門ではないので、詳しいことはチャットGPTに聞いてほしいのですが、このエピソード記憶は、人間が最も物事を覚えやすい形式であり、その容量は現代の科学では上限がわかっていないほどらしいです。

このエピソード記憶が優れているのは太古の昔から知られていたらしく、昔のインドでは記憶の宮殿というエピソード記憶を利用した暗記法があったとかなかったとか。

それでそのエピソード記憶がどう関わってくるかというと、このエピソード記憶というのは日時や場所、つまり関連して記憶するという特性を持っているらしいです。

つまり様々な情報を、1つの関連する知識として作り出すこの”説明”という行為は、人間にとってもっとも記憶しやすい形式と言えます。それを行うのが説明型アウトプット。そして当然ですが説明をする前に自身の記憶や理解を整理しておく必要があります。

つまり説明型アウトプットには頭の中を整理し、関連する知識をひとまとまりの情報として加工するという過程が含まれています。そしてアウトプット自体にもより整理を洗練させ、体験としての記憶として覚えやすい形になるという副作用もある。これが説明型アウトプットが最強な理由です。

ただしこれってちょっと疲れるんですよね。説明するために頭の中の記憶を引っ張り出してこなければいけないし、説明にもある種のクリエイティブが必要になる。誰かにお出しする情報はある程度論理的なものを含まなければ、ただの雑多なデータでしかありません。

それに説明型というのは、誰かに説明するという事を目的とする以上、相手のことを思い浮かべてないといけないという縛りがあります。別に実在する人物でなくてもいいのですが、ともかく多少のしばりができてしまうのが欠点です。それに説明型は、言語や図解という形が多数だと思います。文章も極めれば、さまざまな表現のできるおもしろいものですが、日本人が誰でも川端康成になれるわけではないので、これに関しても多少なりともしばりがあると言えます。

それを引いても最強なんですが、より自由度を求めるならの「自分の考えを一度形にして俯瞰して見るためのアウトプット」です。

創造型アウトプット

実際これは説明型とかぶるところがありますが、これは図解というよりイラストでも可ぐらいの自由はあります。実際ノートにイラストを書いて整理するなど経験したことはあるのではないでしょうか。イラストじゃないまでも、関連図として言葉を紐づけたりとか。

手描きイラストでざっくりとしたイメージを伝えたるすることもできますし、これを極めていけばデザイン領域にも踏み入れる、ある意味では最強のアウトプットなのです。特徴としては形にして俯瞰するこのアウトプットは説明型とちょっと違って幅があります。しっかりとした内容をつめて相手の同意を勝ち取るためのものから、自分の頭を整理するためのアウトプットまであるので、目的に応じて好きなレベルのアウトプットを選ぶことができます。

しかし、相手に同意ために作った最上級のアウトプットだと、もうプロなので正直これも疲れます。というか、そこまでできないというケースのほうが多いかと思います。

しかし適度に利用した場合の効果は絶大です。自分の頭の中ではどうしようもなかった情報が、形にして眼の前に出すことでまた新たな視点が生まれたり、自分の中には存在しないと考えていたアイデアを見つけたりと、説明型アウトプットにはない利点もあります。

俯瞰するというのが特に強みです。俯瞰するということは客観性を獲得するということです。誰だって「本人だけが気づかない」なんて経験をしたり、その体験をしている人を目撃したことはあるでしょう。客観性を獲得すると人間は冷静になれます。というか冷静になれないと客観性は得られないのかもしれませんが。

そうして得られた客観性で情報を改めて確認すると、また違ったことに気がつける。そういう意味でも便利なアウトプットです。仮に創造型アウトプットとでも呼びましょうか。

キーワードアウトプット

そしてそこまでではないにしろ、情報の整理に便利な「自分の頭のキーワードを目の前にさらして知識の関係性や整合性を考えるためのアウトプット」キーワードアウトプットと呼称してみましょうか。

キーワードアウトプットは説明型や創造型とは違って、何かを作り上げるというものではないです。とにかく自分の中のキーワードを作成することに特化したアウトプット。説明型や創造型を作る一歩手前に使ったりします。

このアウトプットでは、情報というデータの連なりを使うわけではありません。先に説明した説明型や創造型ではいくつかの情報が連なったものでないといけないです。そうでないと相手に理解してもらうことなど不可能だからです。

しかしキーワードは単体の情報、IT業界ではデータというのですかね。いわゆるそれ自体では大きな意味を持たないデータを配置してくのがキーワード型です。それ故に基本的に誰かに見せるものではないです。

ただこれは、グループで使うと良い場合もあります。いわゆるブレーンストーミングがこれにあたります。ブレーンストーミングは思いついた内容をなんでもいいからアウトプットしていくやり方。キーワードアウトプットをグループでシェアするやり方です。

ブレーンストーミングは本当に優れた手法です。この手法のみでは課題や解決策にたどり着けないですが、課題や解決策を探すのにはとても効果があります。三人寄れば文殊の知恵ということわざがあるとおり、異なる視点を持つ数名が、効率的に知恵を持ち寄れます。

そしてこれは他人数だけの特権じゃありません。個人でやった場合でもある程度の効果を発揮します。他人の視点と言う意味では弱いかもしれませんが、客観視することや、データを区別なくまとめて吐き出したりすることで、新たな発想にたどり着けることもあります。

それに他のアウトプットと違って手軽にできるという利点もあります。キーワードアウトプットは決して完成版にはなり得ない。完成版の一歩手前です。ならではの利点として、完成度を気にしなくて良いのでどんどん知識をアウトプットできるという利点があります。

これはとても重要なことです。自分の中でくすぶっている知識には自分でも思いも寄らない効果を隠し持っているものもあるからです。そしてそれを客観的に見つめ直すことで、新しいものを再発見することもできます。

能無しアウトプット

説明型、創造型、キーワードときて最後の内容は愚にもつかない能無しのアウトプット。能無しアウトプットという感じでしょうか。つまりこのnote文章のことです。

なんにも考えず思いついたことを思いついたまま書く。一応ここでは公開するということで内容自体は多少のまとまりがありますが、正直言って内容に関しては、100倍に薄めたカルピスのようなもの。ほとんど水と同じです。

読むのに時間がかかる以上、毒水に近いなにかなのかもしれません。まぁここまで読んだひとはいないと思いますが。こんな駄文を読んだあなたは偉いです。

能無しアウトプットは、頭を使って書かないという意味で能無しアウトプット名付けました。本当に何も考えずに思いついたものをただつらつらと書き殴っているだけで本当に本人以外には何にも役に立たない文章です。

キーワードアウトプットの用に誰かと共有するものではないので、これ自体の情報価値というものは限りなく0に近いなにかです。

ですが、これこそが能無しアウトプットの利点です。

自分のたまの中にあるものを、何も考えずに引き出すということは理性で抑えられていた考えや不安を開放することだってできます。これは頭を使っているときには難しいことです。頭を使って書いていないからこそできます。

それって何が良いのと思われるかもしれません。人にとっては何の勝ちもありませんから無意味と思われる人もいるかも知れません。でもそれが良いんです。

能無しアウトプットは気軽にできて、内容もそれほど凝っていないので他のアウトプットに比べて疲労はすくないです。そして自分の中にあるどろどろとした何かを書きなぐることでストレス解消にもなります。

実際私も愚痴なんかもよくかきます。日記に限りになく近いのですが、少々違うというか、日記の一部であり日記自体ではないという立ち位置。なぜなら日記の昨日として存在する「記録」という側面をもたないからです。

能無しアウトプットが出来ることは、ただ自分の中のものを吐き出すこと。別に感情と決まっているわけでもなく、記録と決まっているわけでもなく、内容はなんでもいいです。私がこの文章でやっているアウトプット一覧を適当にかきに殴るでもなんでも良いです。

ただ1つだけ、何も考えずにかきまくるということ。かけなくてもいいです。そもそもやらなくて良い物なので。とにかく自分の中にあるものを吐き出すことが重要です。

もしかしたら砂金のように、何かよいアイデアが生まれるかもしれません。でもそんな事考える必要もないです。得るものなんてなくったっていいです。ただ書けば良いんです。

人間というのは色々考えてい生活しているものです。ですが外的要因による不安や感情によって、本来の自分を見失うことだってあります。そういうとき、外的要因によって生まれた不安や感情を書き出すこと。これ自体が目的なので、このアウトプット自体には本当に意味がないんです。

でもそのあとには、思考が整理されたストレスを低めに維持した人間が形成されている・・・かもというレベルのものです。

でも私にとってこの能無しアウトプットは大事です。

自分の頭が回らないときや、次になにをすればいいかわからないとき。とにかく自分の中を浮かんできたものを書く。あるいは描く。そうすることにより何をすべきかが思いつくことができます。私はそう言って使っています。

つまり6000文字以上の文章はあんまり深く考えず作られているという説明でした。

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