具体と抽象。 グルグルまわる。
渡辺くん(先生とよんだほうが良いのかもしれない)が母校で講義を持つことになった。それに乗じてなにか楽しいことが出来ないかと、身体的には衰え(老眼 とか・・・白髪とか・・・)を隠せないが、気持ちだけはまだまだと思っている二人が、彼の初登校の帰りに日本酒をいただきながら何か始めようとそそのかし たところ、さっそく、このnoteといサービスを開設してくれたのだ。
まず彼が、開設の経緯や目論みを書いてくれたのだが、その中に気に なる言葉を見つけた。最初のほうの行に『両先生は、それまで出会ってきた「先生」と少し様子が違った。まず、使う言葉に具体性がない。』と言うではない か。割に丁寧に具体的な指導を心がけているつもりなのに・・・。抽象的な物言いといえば、少し知的な感じもしないでもないが、机上の空論のような印象もあるよね。
最近、具体性と抽象性が何かにつけてきになるので、少し絡んでみた。
とここまでは、ワタナベクンの初投稿についてのコメントと同じ。このnoteをどのように回していくかまだわからなかったので、コメント欄に投稿したのだけれど、一人一人noteに投稿したほうがいいのではとフジモトセンセイが言うので改めてUPし直していると言う訳だ。
学生だったワタナベクンのエスキスチャックをしたとき、確かSOHOの設計だった、考えあぐねている彼に、将来なりたい自分を想像してデザインしなさいと助言すると、学科で建築史を担当する水沼教授のようになりたいというのでした。建築史の研究者ということなのだが、それを手がかりにSOHOのデザインを進めていったのを思い出す。
将来なりたい自分を着実に追いかけているワタナベクンだ。その彼が好きな映画としてソフィア・コッポラの「SOMEWHERE」をあげていて、僕も一度観て良い印象ももっている。同じ監督の「LOST IN TRANSLATION」も好きな映画の一つだ。オープニングからフェラーリがグルグル回っていたり、フィギアスケートでグルグル回ったりと、グルグル回るのがテーマの映画という印象があったが、エンディングの印象がワタナベクンと食い違っていたので、再度DVDを見直してみた。
常々、映画も小説も表現者自身の投影でないと面白い物にならないと思っていて、その意味では「SOMEWHERE」もソフィア・コッポラ自身の大監督の娘だったという行き場所のなさみたいなものを表現しているのだけれど、あらためて観るとその抽象化度合いが甘いと言う感じがするのだった。 Y
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