湿式と乾式 「本屋に聞こえてきた食器の音」の続きのつもり

「本屋に聞こえてきた食器の音」の続きを考えていて、ワタナベクンの事務所のブログをのぞいた。すると、隈さんのリハビリテーションセンターの記事があった。

部材がドライジョイントされている云々。それに対して壁は湿式塗りべたなんだよねと僕が言ったと続いている。先週研究室で話した事が記事になっていた。

古典建築はウィトルウィウスからオーダーを重んじていた。各部材が厳格に分節されていることが建築の知性だった。本来、具体的な部材と部材の接合が建築を造りあげていく。

近代になり建築空間の抽象性を高めるためにコンクリートやプラスチックの様な可塑性物質が建築に使われるようになり、現代建築ではシームレスな表面表現をもってして抽象化だと考えるようになった。白い壁に目地の分節が見えることは野暮なのだ。

どんな建築家も古典と近代、建築の具体性と抽象性に引き裂かれように(アンビバレンスに)葛藤しているのかもしれない。

ちょっと強引に「本屋に聞こえてきた食器の音」に結び付けるなら、暮らし方も、仕事と生活をきっちりと分節させるか、シームレスに連続しているかのバランスが大事なのかもしれない。

人間関係もドライジョイントとウエットのバランスだよね。ちょっとまとめ過ぎか。Y

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