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服装をめぐる問題

以前にも取り上げた丸谷才一のエッセイ集をめくっていたら、ちょっと気になることが。

「服装の問題」と題した一文*。

歌舞伎といふ特殊な演劇は〈中略〉まるでファッション・ショウみたいな一面がある。日本人はそれを三百年も見てゐるせいで、ひどく服装にこだはるやうになつた。みんなが住まひのことはいい加減にして、衣服に金をかけるのはこのせいか。学校の先生が、知育をおろそかにして、服装のことに熱心なのもこのせいか。

以前、このnote でも「形から入る」、「マイ・ルール」とか書いたことがあるので、ちょっと耳が痛い。

でも、無謀なことを承知で言うなら、丸谷の言うところにはちょっと腑に落ちない部分があるのです。

いったい、服装に気を使っている人が、今やどのくらいの割合なのだろうか(ま、時代が違う)。

吊るしよりも注文服がふつうだった時代からバブルの頃までは(70年前後のヒッピー、フラワチルドレン、学生運動の頃は、一部については除くべきかも)、概ね服装に気を使っていたのではあるまいか。チープ・シックなんていう言葉もあった。その後のファスト・ファッションの流行以降は、2極化し、服装に気を使うのはむしろ少数派ではないか。すなわち、ルールも気にせずに、服なんか着てればいいという風潮が優勢のように見えるのだ(ということは、大勢は関心が乏しくなったということにほかならない。

少なくも、他者や場所性に気を使ってはいませんね(そういえば、TPOとい言葉を聞かなくなって久しいけれど、これに変わる言葉がば何かあるのだろうか)。これは、他者のことを気にしない、または気にしなくてもよくなった時代(すなわち、あなたらしくあるのが一番。〇〇ファーストが大手を振る時代)ということではあるまいか。

かくいう僕自身も、着るものに気を使わないようにしようと思ったことがあった。でも、華美になるのはつまらないけれど、気にしなさすぎるのはもっとつまらない。それだけではなく、他者を不快にすることだってある。それで、せめて形式だけでも整えるのが良いと思ったのだった。

ただ、自身にうんと自信があるという人はどうなのだろう(あなたの周りにもいますよね)。でも、これはこれでちょっと困るという気がするけれど……。もしかしたら、クール・ビズやウォーム・ビズの登場、あるいは個性の尊重の時代となって大義名分を得たのか。

一方、洋服好きを自認する若者もいるけれど、総じてブランド(またはコンセプト、本当か)好きですね。こちらは必ずしも高価なものをよしとするというわけでもないようでもあるようだけれど、それでもたいてい高価なもの、有名なものが好きなように見える。

自分自身と他者との関係に想いを及ぼすならば、いくらかでも服装にも気を使わなければならない、と思うのです。

ちょうどそんな時、帰省した折に読んだ中に、次のような一文があった。

何を着ても許されるのが現代かもしれない。だが、それだからこそ、時と場所にふさわしい、その人らしい装いを心がけたいものだと考えている。
大袈裟に見えたり、畏まりすぎるのは避けたいが、カジュアルに過ぎるのも大人げない。自分なりの基準になる服をひとつ持つのもいいかもしれない**。

さらに、たまたま久しぶりに捲ることになった伊丹十三は、「服装のことなんぞどうでもいいのだよ」と書いているが、続けて「あたりまえのものを、あたりまえに着る。男は、これでよい」と言うのだった***。僕はこれを、清潔で、奇をてらわないものがよいということだと思って支持するのだけれど。

こんな風に、服装も教養全般も(ちょっと生意気ですが)、丸谷の時代とはずいぶん様変わりしたのに違いない。

でも、ある時、自身の姿を見てあぜんとした。まさに老人そのもの(ちょっとみすぼらしくもある)。だからこそ、少なくも形式だけでも整えなければ、外見に気を払わなければ、恐ろしいことになると思ったのです****(やれやれ。困った)。

一方で、若者には頑張って欲しいものだ、と願うのです。(F)

* どこ吹く風、講談社、1997
** 原由美子 おしゃれの視点 366 クロワッサン 2018年10月10日号
*** 「女たちよ!」所収「日本人に洋服は似合わない」 文春文庫 2005年(初出は1968年)
**** その後研修旅行である建物を見学した折に案内してくれた人が、僕と「同じ年代だと思いますが」と言う。その時、僕は愕然とした。だって、彼は腰も曲がっていたし、わずかに残った髪も真っ白だったのだ(個人的な感想です。服装はうんときちんとされていました。そして、本当のところ、大して変わらない年なのだ)。それでもうひとつ、ふいに、年取ったら若い時よりもナーバスになることもあるということに気づいて、ちょっと驚いた(参った。うーむ。なんと言えばいいのか、ちょっとわからないね)。年を取ると、それなりに色々なことに対する閾値が上がるものだろうと思っていたのだけれど、どうもそうではないらしいのだね。

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