建築(家)を志した理由

 先日、山本理顕さんが、多くの人は今までこうだったからこれからもこうだろう、と考える.一方、今までこうだったからこれからはこう変えてみようと考えるのが建築家だよ、と言っていた.

 それを聞いて、思い出した.

 大学2年か3年、SOHOの設計演習だったか、TVの置き場所を決めかねていたある時、指導講師が、なんでそもそもTVがなきゃだめなの、と言った.最初は、その言葉の意味がよく分からなかった.だって、普通、家にはTVが必要でしょ・・・.なんでそんな自明のことを指摘するんだろう、小さな頃からTVのある生活の中で育った僕にとってそれが正直な感覚だった.

 それからしばらくして、その講師の家に招かれる機会があった.
 三ッ沢下町の駅から坂を上った横浜らしい風景の中にある団地の一室でやはりその家にはTVがなかった.おまけにカーテンもなかった.団地の割には緑深い木々が見える窓際に大きなダイニングテーブルがあって、小さくジャズがなっていた.

 その風景と音は、今でもよく覚えている.地味(!)だが、とても美しく豊かな時間だった.静かだが、激烈な一撃を食らった感じがした.講師自身の生活を垣間見て、TV指摘の真意、つまり自分の普通を疑えよというメッセージを身をもって体験したのでした.

 今改めて思うと、山本さんの言う建築家像をよく体現した生活風景だった.建築家という存在とのファーストコンタクトはおそらくこれであるし、
きっとこれを機に建築(家)の道へ前向きになった気がする.

 その講師というのは、つまり横山先生である.また内輪褒めみたいになってなんだか気が引けたのだが、せっかくなので書いた.W

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