フェルメールと20世紀のフェルメール、またはモダンな感性

ここ何回か画家が出てきたので。

少し前のことになるけれど、急に実家に帰ることになって、ひとりで遅い夕食、駅で買ってきたお弁当を食べようとお湯を沸かしている時に、テレビをつけていたらフェルメール展の紹介をやっていた。で、途中で時々テレビを見に出かけた(と言って、大豪邸、というわけではもちろんありません。キッチンとダイニングのある場所からテレビが見えないというだけのこと)。

それで、ある画家のことをふと思い出した。北欧のフェルメールと言われたデンマーク出身の20世紀の画家ヴィルヘルム・ハンマースホイ(実は、以前にハンマースホイ展が開催された時に、ちょっとした縁があって、臨時のwebマガジンにハンマースホイについて書いたことがあったのです*)。

フェルメールとハンマースホイは、言うまでもなく圧倒的にフェルメール支持者が多いに違いない。画家としての重要性についても同様。 この二人の光りの扱い方や、セザンヌ以来の視点の多様性は共通。でもぼくは、ハンマースホイの方が好き。

確かに、フェルメールは注文に応じて描くのではなく、自身が描きたいように描いた自発的な表現をした画家の先駆であるかもしれない。しかし、絵の具の厚みや物質性を感じさせるということから言えば、それまでの油彩画の延長上にありそうだし、ちょっと飛躍し過ぎを恐れずに言えば、平面上の表現でありながら彫刻のような立体的な芸術と同じ土俵に立っているような気がするときがある。それに対し、ハンマースホイの絵には物質性や重みが乏しい(というか、意図的に排除されているように思う。すなわち、より絵画的、平面上における表現の追求と言えるのではあるまいか)。

これは、土俵を狭める面があるかもしれませんが(一方、深めることになるのかもしれない)、よりモダンな感性だという気がする。で、ぼくはハンマースホイの方が共感しやすいし、好ましいと思った次第。芸術に進歩という概念があてはまるかどうかは措くとしても、当然変化はある。「絵のことがわかっていないなあ」と言う人がいても、ま、不思議じゃないけれど。(F)

*この時僕は、アメリカの画家エドワード・ホッパーとの類似性について書いた。しかも、「ナイト・ホークス」なんかではなく、明るい光に照らされたコントラストのはっきりとした「灯台の丘」を思い出したのでした。これは、先回も書いたように、分析的に観て得た結果ではなく、あくまでも感覚的な印象なのです。

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