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「見ること」も立派な仕事なんです

見てばっかりいます。

社内のグループウェア、チームメンバーのTwitterやFacebook、サイボウズ式第2編集部の活動内容、複業しているIKEUCHI ORGANICさんのSlack、参加しているコミュニティの発信、などなど。

活動内容に対してすべて反応できているかというと、そうでもない。でも、誰がどんなことを考え、意見を発しているかをなるべく公平に、分け隔てなく見るようにしている。

こういった活動内容をつぶさに見ていないと、チームを作ったり引っ張っていったりするときに、うまくいかないことが多いからだ。

プロジェクトやチームがうまくいっているときはなんの問題もない。そういうときは、もう全幅の信頼を寄せて、みんなに任せてしまう。任せきれないまま自分がボトルネックになるのが、一番やってはいけないことだから。

じゃあ、見ているだけなんですかというと、そういうわけでもない。

チームやプロジェクトにちょっとした不協和音が流れそうになったり、任せきりにしておくと何かやばい香りがする、といった状態を察知しようとしている。

プロジェクトにおけるちょっとしたやりとりやコミュニケーションのミスが、後になって多大なリスクに変わる経験は、これまでに何度も経験してきた。少しのことだから、と放っておくと、後々しっぺ返しを食らう。

コミュニケーションや伝え方は大事だ。ちょっとした表現の違いやキツいと感じる言葉尻が、チームの心理的安全性をぶち壊すことにもつながりかねない。

オンラインのコミュニケーションでこういったいざこざが起こった場合、そこに書かれている事実だけを抜き出して、適正に議論をして、解決策まで考えられる人は、相当少ないと思う。

まず、感情が逆撫でられる感覚になるし、そこから事実だけでディスカッションして問題解決を図るのは、実は難易度がとても高い。

チームができあがっている場合ならまだしも、常にメンバーが変わり続けるチームもある。コミュニティなどは典型的だ。

そういった場所で自分らしく振る舞えるかどうかを、自分だけで規定するのは意外と難しい。チームの雰囲気や空気感は、案外大事なのだ。

なので、みんなのことをしっかりと見る。ただただ、見る。そして、今を知る。

何かしらのアラートが上がってきた、少し変な雰囲気になりそうだと感じた場合は、自分がまず緩衝材になる。それでチームが習熟していくのならば、まず自分がその役目を果たしたい。

本業の編集部では、管理しない、ザツダンばっかりしているという感じになっている。ありがたいことだ。僕がやっているのは「編集部をしっかり見る」ことだから。

もちろん、こういった編集部になるまでに数年という時間は掛かっているのだが、チームの心理的安全性が担保できて、成果が少しでも出やすくなっているとしたら、本望だ。

だから、今日もしっかりとみんなを見る。何もしていないようでいて、欠かすことのできない仕事です。


noteをお読みいただき、ありがとうございます。きっとどっかで、なにかしらのタイミングで、あなたとお会いしてお話ができると信じています。奇跡のタイミングを、信じ続けています。