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「自分のために書く」は誰かのためになる

noteを書き始めたのは、2019年に入ってからだ。過去、数年にわたりブログを書いていたが、ここ3年ほどはほぼ更新していなかった。

「誰かのために」記事を書こうとして、書くハードルを上げてしまっていたからだ。

もともと、過去にブログを書いていたのは、自分のためだ。気づきや考えをブログに残す。記録に残しておくと、たとえ忘れたとしてもそのブログを見れば思い出せる。外部の記録装置、ぐらいの位置付けだった。

それでも、記事を読んでくれる人が出てくる。次第に、反響も得られる。と同時に、だんだんと読者の期待に応えたいという欲が出てくる。

欲が、ピュアに書きたい気持ちをさえぎってくる。書いては消し、書いては消し。下書きだけが増えるものの、本当に書きたいことなのかがわからなくなる。そのうちに億劫になり、ブログの更新から遠ざかるようになってしまった。

だからといって、書くことをやめたわけではなかった。自分メモは、毎日更新し続けた。Scrapboxに日記を書き、思ったことをまとめる。ただそれだけを、淡々と続けてきた。

ページはもう700近くもある。誰にも見せない、自分だけのログができあがっていった。心のよりどころになっていることは、間違いない。

ブログを書けなくなったのは、蓄積がなくなったからだ。読者の誰かを意識すると、いいことを書いてしまいたくなる。気持ちとはかけ離れた、自分の言葉ではない何かができあがる。

悲しいかな、手癖でもそれらしい記事は書けてしまう。ただ、それは読み手にとって意味がないものだし、何より書き手である自分自身が納得できるものではなかった。

平日の備忘録と、ピュアに書くためのルール

ここで、きっかけが訪れる。平山さん、牟田口さんとTwitterでこんなやりとりをした。

平日の備忘録、これなら書けそうだ。備忘録は、自分のためのメモだから。

書くにあたり、決めごとを設けた。20分ぐらいでスマホからサクッと書く。あんまり推敲しない。その時、思った自分の気持ちを書く。かつての書くことに対するピュアな気持ちを取り戻す。これが目的だった。

何本か記事を書く中で、これなら書けるという実感が持てた。

そこから先は、想像だにしない世界が待っていた。スキと気持ちを伝えてくれる読者がいた。平日の備忘録を更新するみんなが、記事を読んで感想を教えてくれた。はじめて、noteでサポートをいただいた。noteのおすすめにも、取り上げてもらった。

メモでいい。お化粧しなくていい。ただただ、思いを正直に書けば、誰かが記事を読んでくれる。極めてシンプルなこの事実に、数年の時を経て気づくことができた。

目立った発信をしていなかった数年間は、自分との対話の時間だった。毎日感じたことを書き、客観的にそれらをながめる。なんでそれを思った? だったらどうする? と対話を重ねた。深く、深く、自分の中に潜り込んでいた。

そういう時を経たからこそ、今は書きたいことがある。

書くことは、自分を取り戻すことだ。それは、めぐりめぐって誰かのためになる。


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