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内省してますか? 「インプット→アウトプット」の時間確保で、言葉と向き合う

内省の価値が高まっていると感じる。

仕事やキャリア、くらしにおいて、明確な勝ちパターンも成功モデルはなくなったのだと、みんな気づきつつある。何をやるにしても答えは外や他者にはない。答えは、自分の中にしかないということに。

自分の幸せを知っているのは自分だけ。ありたい姿をズレなく認識できると、物事で迷わなくなるし、判断もしやすい。

それが何かを考え抜くための内省の時間かあるといい。ただ、内省の時間を取れば、自分の幸せな状態がすぐにわかるかというと、そうでもない。

言葉は、自分の思考や蓄積の中からしかでてこない。考えるとは、言葉にすること。言葉にすることで、考えを認識できるし、人にも伝えられる。言葉にできないと、そもそも思考が進められない。

言葉にするには、インプットが必要だ。インプットの過程で血肉になったものだけが、言語化を助ける。言語化できたものは、自分だけのアウトプットに変換できる

血肉になっていない誰かの言葉を、自分の言葉のように語ってしまうことがある。しかし、誰かの言葉を自分のものにするのは、意外と難しい。借り物の言葉は劇薬だ。

自分なりの言葉にかみ砕けてこそ、思考が進む。借りた言葉を自分のものにしてこそのインプットだ。

インプット自体は、知恵と工夫があればできてしまう。本に頼ってもいいし、誰がの話を聞くでもいい。未知の領域に足を踏み入れて、体験してみることだって立派なインプットだ。

ソーシャルメディアを使い始めると、みんな息を吸うようにインプットできる。インプットが過多になりがちなときほど、インプットをアウトプットに変える時間に意識を置くことが大切になる。

内省の時間を意識的に取るためのルーティーン化

インプットをアウトプットに置換するには、内省の時間が不可欠だ。忙しい毎日の中で、自分をディグる時間を意識的に確保しなければならない。

この時間の確保が曲者だ。悲しいかな、年齢を経れば経るほど、仕事に脂が乗れば乗るほど、自分の時間の確保が難しくなる。

いまの自分の予定を見ると、びっくりするぐらい、平日の予定はびっしりと埋まっている。自分の時間は、朝みんなが始動するまでの時間か、予定と予定の間にある細切れの時間ぐらいしかない。

こういった状態になって、時間の大切さに気づく。いつだって、Today is the first day of rest of my life。時間は有限で、希少価値の高い資源だ。

平日は細切れの時間しか取れない。だったら、いつまとまった時間を確保するのか。

僕の場合は、サウナと水風呂だ。「土日は、サウナ施設に数時間こもることもよくあります」。そういうと、みんな驚く。サウナにそんなに入っていられないよねという反応だ。確かにそう。僕もサウナ水風呂に入るのは1時間ぐらいだ。

その後の休憩時間が、内省のための時間だ。数時間ほど、体をソファに寄せながら、あーでもない、こーでもないと思考をめぐらせる。そして、気づきをできるだけ言語化する。

心身ともに弛緩した状態で、ただただ湧き上がってくる言葉に思考をめぐらす。それをアウトプットする、具体的にはスマホのメモアプリに書きなぐる。

そうやって自分の中から出てきた言葉こそ、内省によって生まれた自分だけの思考のかけらだったりする。言葉が自分から生まれてきたときに、思考が進んだと実感する。

自分にとってのサウナ水風呂は、内省のためのまとまった時間を取る最良の手段だ。別にサウナ水風呂でなくてもいい。自分を深く掘り下げる時間を意識的に取れるか。内省のためのまとまった時間を取り、ルーティーン化までできるとより良い。きっと、自分だけの言葉を見つけるきっかけになる。

こんな気づきを与えてくれたのは、年始に静岡にある聖地「サウナしきじ」でととのったからだ。内省の時間は、思わぬ気づきをもたらしてくれる格別な時間である。

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