出生地「柏崎」を考える
こんにちは。ユウこばやしです。前回は初のブログでありながら「戦争と国防」というテーマを扱っただけに非常に重い内容となりましたが、今回は180度変わって「地方における問題」がテーマとなります。
私の出生地、新潟県柏崎市の今後についてです。
「自己紹介」
ここで「自己紹介」をしたいと思います。 私「ユウこばやし」は、母親の里帰り出産で新潟県柏崎市にて第一子として産まれました。
その1ヶ月後、既に母親は高校卒業と同時に上京していたので母親に連れられ、東京都練馬区の環七沿いの風呂無しアパートに住みます。4歳の時に東京都日野市に引っ越し幼稚園に入園するも、父親の仕事の関係で年少途中の5歳で埼玉県大宮市(現さいたま市見沼区)に引っ越して再び幼稚園に編入。以降、小中高とさいたま市見沼区で過ごし大学受験に失敗しフリーターを数年経験した後、自衛隊の採用試験を受けて合格し陸上自衛隊に入隊。 初めて親元を離れ、神奈川県横須賀市御幸浜にある「武山駐屯地」にて3ヶ月の前期教育。前期教育が修了し普通科(歩兵職種)に配属が決まると、東京練馬駐屯地「第1普通科連隊」にて3ヶ月間の後期教育。後期教育が修了し、東京市ヶ谷駐屯地の「第32普通科連隊4中隊(現さいたま市北区日進町大宮駐屯地)」の第2小銃小隊(自動小銃、機関銃、84mm無反動砲)に配属。
OBには「鉄道員(ぽっぽや)」で有名な小説作家の「浅田次郎」先生がいます。
合計6年間の勤務の後、除隊。現在は、都内にて路線バス運転士として勤務する傍ら「予備自衛官」として毎年5日間の訓練に参加をしています。
柏崎はどんな街?
それでは柏崎ファンクラブ会員NO.7806「ユウこばやし」が、出生地である新潟県柏崎市について触れたいと思います。
一言でいうならば、柏崎市は都市(コンクリート)と自然(海と山)を楽しめるバランスの取れた街であります。
その中で、自然豊かな柏崎は海産物やお米、野菜や果物の産地でもあり、地場産食材を使用した地産地消グルメも振る舞われています(ここでは一部のみ紹介)。 海産物においては特に「鯛(マダイ、レンコダイ、マトウダイ、金時鯛、ヒゲソリダイ)」が獲れるので、鯛を使った地産地消グルメ(鯛茶漬け、期間限定ヒゲソリ鯛定食)が有名で中でも鯛茶漬けは2013年の全国ご当地どんぶり選手権でグランプリを受賞しました。またヒゲソリダイについては、柏崎市が日本で初めて完全養殖にチャレンジしています。 お米においても柏崎市は独自の認証制度を用いた米づくりを行っており、その中で僅かな米農家にしか認証されない柏崎産コシヒカリ「米山プリンセス」も作られています。今年度は8件の米農家が認証され、過去最高の生産量となりました。
新潟県の郷土料理はのっぺが有名ですが、柏崎では「煮しめ」と呼ばれていて母親が上京する前は年末に祖母が作って振る舞っていたそうです。
煮しめで使用する食材は「里芋」「干し椎茸」「銀杏」「人参」「ごぼう」「油揚げ」「鶏肉」「蒟蒻」「絹さや」で調味料は「醤油」「酒」「みりん」「砂糖」「だし汁」です。現在、新潟駅ビルにて煮しめのレシピが載った料理本を見つけて私が年末に作っています。
新潟県は日本酒の蔵元の数が日本一を誇ります。そのうち柏崎市には4件の蔵元があり、中でも「原酒造」は柏崎で1番歴史の古い蔵元です。主な銘柄は「越の誉」ですが、柏崎刈羽地区限定酒「銀の翼」を初めとする各種限定酒も作られています。
また新潟県内において唯一、柏崎「原酒造」だけが、立春の日の2月4日にしぼったお酒を「立春朝搾り」という縁起物の日本酒として販売する蔵元でもあります。
続いて、柏崎のレジャーと主要なイベントについて触れます(一部のみ)。レジャーについては米山、八石山登山、「夢の森公園」や柏崎セントラルビーチ(旧中央海岸)においてのキャンプもありますが、主なレジヤーはなんといっても「海水浴」。柏崎は15の海水浴場を有しますが、中でも「鯨波海水浴場」は日本海側の海水浴場の発祥でもあります。
また、去年には海水浴場内に「アウトドアサウナ」がオープン。サウナに入って海水に浸かるという、新しいスタイルのレジャーも誕生し注目を集めています。
続いて柏崎のイベントといえば、越後三大花火の1つ「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」と新潟三大高市(たかまち)の1つえんま市。
「海の柏崎花火」ですが、小学生の頃、一回見ましたがなんといっても海岸の観客席からだけではなく、少し離れた防波堤からでも眺めが良いのが最大の魅力です。
続いて、柏崎発祥の有名企業といえばお菓子メーカーの「BOURBON(ブルボン)」。駅舎を出た目の前に本社ビルを有します。
また、ブルボンには日本最大級の水球クラブチームがあり、柏崎は「水球」のまちとして全国、そして世界へと活躍しその名を轟かせています。
伝統芸能や工芸においては、国指定重要民俗無形文化財「綾子舞」や「越後門出和紙」があるあります。
他にも「荻ノ島集落」という茅葺き民家の風景もありますが、まだそちらには足を運んだことがありません。
このように柏崎は、沢山の魅力ある「まち」なのです。
柏崎出身の主な著名人
続いて、柏崎出身の主な著名人です。
ドラマ「高校教師」の脚本を手掛けました。ロケ地の「青海川駅」は野島さんの意向だったのでしょうか?
元モーニング娘で現在はフリーランスで活躍されていますね。
最近はドラマでよくお見掛けしますね。これは今年、帰郷して「日本海フィッシャーマンズケープ」での一時。
柏崎から新潟古町芸妓を輩出しているなんて、素晴らしい事です。
2度の地震を乗り越えて
そんな柏崎も2004年に「中越地震」、2007年には「中越沖地震」と2度の地震に見舞われました。
特に2007年の中越沖地震で柏崎市内は家屋の倒壊、水道管の破裂、工場の火災、列車の脱線、山間部の土砂崩れ、柏崎刈羽原発の緊急停止によりインフラ機能が停止し甚大な被害に見舞われました。
私や従兄弟と近い関係にある日本酒蔵元「原酒造」も休日であったため従業員に死傷者は出なかったものの蔵の倒壊、商品の損壊と壊滅的な打撃を受けました。
しかし、倒壊した瓦礫の中から1つの無傷のタンクが救い出されます。 そして、そのタンクは社長はじめ杜氏以下全社員に復旧復興の一縷の光となり奉られました。
震災から10年後。原酒造は見事に復興を果たし、瓦礫から救い出された貯蔵タンクからは10年の時を経て酒が抽出され、純米大吟醸 十年秘蔵酒「蔵の至宝」として数量限定で商品として販売されました。私も飲みましたが「うまい」とか「まずい」とかの評価で収まる話ではなく、被災から復興までの原酒造の10年の思いの積もった「集大成」の味と仕上がりでした。美味しい日本酒は沢山あれど、これだけ「特別な思い」の積もったお酒は人生において2度とお目に掛かれないでしょう。
創業200年以上の原酒造ですが1911年、柏崎大火により蔵を全焼失に見舞われたものの、不死鳥の如く復興しました。
蔵を全焼失した当時の4代目「原吉郎」さんは一度は廃業も考えたものの、酒が人にもたらす「喜び」と「慰め」の価値を見出だし、酒造りの意義を知ります。
それが現在の原酒造の合言葉の1つである「幸せを呼ぶ酒」です。2度の災害で壊滅的な打撃を受けても復興出来たのは歴史が育んだ蔵人の「幸せを呼ぶ酒」を作る精神と情熱が潰れなかったからです。
世界の終わりが来たらそれまでかもしれませんが「幸せを呼ぶ酒」を作る精神と情熱が生きている限り、原酒造はこれからも幾多の困難に見舞われても不死鳥の如く乗り越えていくでしょう。
「柏崎」を考える
さて、私の自己紹介や柏崎について長いエピソードになってしまいましたが、ここからは本題に入ります。
「柏崎」を考える。昨今、柏崎のみならず、全国の地方共通の課題でもある少子高齢化による「人口減少」が顕著になっています。日本の人口は2008年をピークに低下の一途を辿り柏崎においても1995年の10万人をピークに人口が減少してきましたが、今年3月1日時点で推計人口が79,567人と8万人を切る事態に陥りました。
また下の画像にある通り今後、柏崎市内小中学校においては統廃合が行われる予定です。
地方における「人口減少」についての対策については様々な方法があるかと思いますが、ここでは自治体の「物産展」という側面から考えていきたいと思います。
私は、3年前に「首都圏新潟県人会」に入って以来、県人会主催の交流会を始めとしたイベントの参加や表参道にある新潟県のアンテナショップに通うようになり、遂には出生地である柏崎の物産展にも足を運ぶようになりました。
「物産展」というと、首都圏などの大都市圏に住む地方出身者が故郷で作られた野菜や果物、お酒、食料加工品やその他の商品の物販購入がメインですが、私はそれ以外にも「移住定住の窓口」の役割も果たすと考えております。
2019年11月、御徒町駅前パンダ広場で開催された「うわっと柏崎inおかちまちパンダ広場」というタイトルの柏崎物産展に私は従兄弟や県人会の仲間と足を運び、7806番目の「柏崎ファンクラブ」の会員となりました。 その時は「物産展」の背景すら分かっていませんでしたが、今思うとこの地道な勧誘が「地方への移住定住」の促進なんだなと改めて気付きました。
もちろん「移住定住の窓口」は物産展だけでなく、有楽町の「ふるさと回帰支援センター」や「まちづくり」を始めとしたソーシャルビジネスの民間企業が委託でやっている場合もあります。
そして去年。秋田県横手市出身の方と知り合った事が切っ掛けで、横手市の物産展にも足を運ぶようになりましたが、そこでは思わぬ発見が。
秋田県で2番目に人口が多い「横手市」。横手市は市長以下、物産展を「主要な観光産業」と捉えており全国各地で開催する時は必ず「魅力営業課」等の市職員が立ち会い、場合によっては市長自らが物産展に立ち合います。
このように市長が自ら物産展に出向くことによって自治体をアピールし、大都市圏に住む人々が地方に関心を持ち「移住定住」に繋げていく戦略には素晴らしい物があります。
そして、ここへきて柏崎にも新たな動きが。先月、柏崎ファンクラブを主催していた「柏崎シティセールス協議会」が解散し、ファンクラブの運営を「柏崎市役所元気発信課」が引き継ぐことになりました。
これまで、柏崎の物産展は主に「柏崎観光協会」や「柏崎シティセールス協議会」が中心で、市の職員があまり介入していないイメージでした。市が介入したとなると、柏崎が「消滅可能性都市」の現実味を帯びてきているのでは?と感じました。
私は、地方の自治体の物産展に市職員が立ち合う事には賛成です。なぜなら、物産展は地方の自治体にとって「主要な観光産業」であり「移住定住の窓口」であるからです。
もちろん、その地方の自治体のファンクラブの勧誘だけですぐに「移住定住」に繋がるわけではありません。横手市のように伝統行事「かまくら」を東京で披露するために、現地で降った雪を持ち込み「かまくら職人」がその場で作って興味を抱かせるのも1つの戦略ですし、あるいは現地でビデオ編集して物産展に液晶テレビを持ち込んで流すというのも「移住定住」への戦略になるでしょう。
地方の自治体職員は地方の「人口減少」を目の当たりにしています。もちろん、これは地方だけの問題ではなく我々1人1人が考えなくてはいけない問題であります。
直接的じゃなくてもいいんです。間接的に「地域貢献」やってみませんか?私も物産展の応援、現地入りもそうですが、出生地柏崎の「特産品」を持ち込んで、アピールしたこともあります。もちろん、このブログを書いた事で「地域貢献」に少しは繋がると思っています。
他にも色々な方法があるでしょう。自分が出来る範囲のことでいいんです。結果として、地方の「人口減少」に歯止めを掛けられるのなら。
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