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自分なりの思考を確立すること(上)

乱読や経験から気づくこと

読書から気づかされること

仕事を終え、家に帰ってからスタバへ。
そこからが、私の仕事の第二部だ。
つい最近まで、どのようにして事業を軌道へ乗せていこうかということばかり考えていた。まぁ、貯金も少ないし(笑)

先週一週間は専ら読書と勉強。
この二本柱でやっていた。
仕事という仕事ではないが、大きな気づきを手にすることができた。

特に「学校と社会」「梅原猛の授業 仏教」は私にとって大きな学びになった。
一見、私のやりたいこととは異なると思われるかもしれない。
しかし、その中からでも学びというものはあるのだと、この年になってから気づいてしまったのだ😲

「学校と社会」については、今まで色々とこの場でも書きなぐってきたため、割愛させていただくが、仏教の方については素晴らしい✨
もともとは、大学ゼミの教授の勧めで読み始めたのがきっかけだ。
この仏教の本は浜松で見つけたのではない。
仙台の「丸善」でのラスト一冊だった。
すでに何十回と読んでいるため、ボロボロである💦
内容は中学生に向けての語り口調なので、すごく読みやすい‼

知恵の内容が「五蘊はみな空である」です。これはちょっとむずかしい。世の中のことはすべて空である。実体がない。世の中のことは実体がないのだから、それにこだわらない。そういうこだわらない知恵が本当の人間の知恵であるというんです。一切のこだわりを捨てるんだ。

「梅原猛の授業 仏教」(著:梅原猛 / 朝日文庫 / 大乗仏教は山から町へ下りた)

私はこだわりが強い。
どのようにしたらうまくいくのかを、常に考えてしまう。失敗は怖い。
しかし、「諸行無常」というように、常に世の中は流れの中にあり、私も常に流れの中で生きている。
時として、こだわりを捨てながらその状況を楽しみながら、のってみる。

教員時代はそれができなかったため、支援員だからできることかもしれない。

子どもの立場になって、一緒に楽しみながら支援をする。
今まではそこを忘れていた気がする。
やはり「やらせなければ」「机に向かわせなければ」と思っていた。
ただ、それが正解でないことが多分にある。
そこを「やらせる」→「一緒に向かう」としていきたい。

「やらせなければならない」とする、教員としてのこだわりを、ある意味では捨てていく必要がこれからはあるのではないか。
それを実現させていくためには、どうしていく必要があるのか。
流れに身を任せながら(任せすぎはNGだが)考えていければと思う。

また、最近は「歎異抄」を読み始めているため、ここからの学びをまたnoteへ書き記すことができれば……。

最後は何にもとらわれずにゆっくりいきたいですね。

「梅原猛の授業 仏教」と双璧をなす、道徳について考える良書の一冊

まとまり切らず、明日「中」で投稿いたします🥰


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