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プランクとアインシュタイン

「あらら

丸焦げじゃないの」

焼け跡に到着するなり、臆する事もなく言い捨てた青年は

トレンチコートにハンチング帽を被ったドイツ人のようだった。

その帽子には特許局のマークがついている。

「まぁ、キレーな

鉄筋は残ってんだから

たいしたもんだよね。

この土地の鉄は」

丸焦げとなった製鉄所の塔を見上げて

皮肉っぽく呟く。

「お言葉ですが、

この大火の中では生存者など絶望的かと...」

案内役の付き添いとしてついてきた二人の衛兵のうち一人が言う。

「ふーん」

そのドイツ人の青年はあまり話も聞かずに

どんどん廃墟へと分け入ってゆく

「おい、なんだって

一介の特許局員なんぞがあんな偉そうなんだ?」

もう一人の衛兵が不満気に漏らす。

「オイオイ、言葉に気をつけろ。

なんせ政府からの御用達だ。」

聞こえないようにさっきまで案内していた衛兵が

もう一人の奴をたしなめる。

「何故にそんな

人物がここに・・」

納得できない様子できいてみる。

「さぁな、だが

これだけの極秘プロジェクトだ。

極秘特許権でも漁りに来たんじゃないか?」

こんな大惨事でありながら、

本国から派遣されたのがこんな

民間人ひとりだというのは

どうにも解せなかった。

「見つけた♡」

何やら探っていたトレンチコートの青年が突然、

無邪気な子供のような声を上げたのでとっさに振り返ってみる。

「おはようございます」

「よく眠れましたか?」

青年は何かの黒焦げの物体に向かってわざわざ挨拶をしていた。

「ヨリー教授、

 ……だった物体……。」

ごく普通の事かのように青年は話しかける。

「ヒイッ!焼死体!?」

覗き込んでその正体に気づいた

衛兵の一人が悲鳴をあげる。

「どうも残念ですね、

あなたが終生、腰巾着にしていた

プランク助教授はお側には

いらっしゃらないようで・・・」

その青年は困惑したかのようにそう呟くと

額に指を当てて集中し、推理をはじめた。

【思考実験!!】

《喉元が焼けていない、

ということはおそらくこの人だけ死後焼け・・

その他の者も列車が壊れていたため誰一人逃げられず、

転炉から流れ出した一酸化炭素中毒で動けなくなり焼死した。

しかしどこにも彼の遺体は見当たらない。

そもそも彼は逃げようとしたのだろうか?

もし私自身が彼の立場だったなら…………

唯一、生き残れる正解は……》

そうしてやがてあるひとつの考えに至った

青年はスッと立ち上がる。

「あー、ちょっとそこの君ー

ホラホラ、あそこのバカでっかいタンクみてごらんよ。」

今度は今まで無視してきた衛兵たちにむかって語りかける。

指差した先には巨大な鉄の大樽のような炉があった。

「ハッ、あの転炉のことですか?

炭素を加えることで還元して不純物などを取り除いたりする……

確かに比較的原型を留めておりますが……」

ドギマギしながらも衛兵の一人が

失礼のないように受け答えする。

話しかけられるとは思っていなかったようだ。

「不思議だと思わないかい?

どうしてあそこだけ焼け残っているんだい?」

「これはまさしく……

実験に成功した証ではないか?

製鉄所の心臓部である高炉の方は大破しているというのに……不自然だ。」

「ならきっと、どこかに観測の為の測定室が……」

独り言のように勝手に喋った後、

返事を聞くまでもなくさっさと一人で転炉に近づいて行くと側にあったレバーを引いた。

すると炉は徐々に傾きだして普段はどろどろに溶けた鉄を出し入れする入り口が見え始めた。

もしかしたらまだ中に高温の鉄が残ってるんじゃないかと思って衛兵の二人はヒヤヒヤしていたが、

中から見えてきたものは意外なものだった。

『いやん♡』

姿を現したのは

テーブルと椅子に座ってティータイム中の英国紳士風の男だった。

要するにただのおっさんである。

中はけっこう快適そうな生活空間の部屋へと転炉の中身が改造されており、本棚や机までもがあった。

『なんか、くつろいでいるゥ~っ!?』

異様な光景におそらくはここにいる全員が

そう心の中でツッこんだであろう。

だって、四十近いオッサンが一瞬、

乙女の着替えが覗かれた時のような

奇声を発したというのだから

「………………………………………

まさか、普段はアツアツの溶鉱炉を

改造してシェルターにしちまうなんて驚きましたよ。

実質、貴方がここの機構の支配人だったとはいえ

こんな芸当をも平気でやってのけるとは貴方も人が悪い。」

しばらくの気まずい沈黙の後、青年は何も聞かなかったかのように完全無視して、

自分の推理について喋りはじめた。

「要するにもし、中身さえ最初から

空っぽだったならば、むしろ炉内中心に

逃げこんだ方が最も火事に強い防火壁となりうる……

って事ですよね! 

そうでしょう?

熱力学のパイオニア、

マックス・プランク”教授”様。」

たったこれだけのヒントから

この場所をズバリ推理してみせたのが

この特許局調査員、

「アルベルト・アインシュタイン」その人だった。

「なるほど、確かに君は噂に聞く

複雑な事象も単純なモデルから本質のみを抜き出す

「思考実験《シミュレーション》」の達人だな。

さすがは私の見込んだ男だ。

その歳でただの特許局員なぞにしておくのはもったいない。」

そう言ってプランクは静かにティーカップを置く、

「いいだろう、見たまえ。

今回の遠征実験の結果で同時に二つもの

物理定数を観測した成果が上がった。

原子それぞれのエネルギー分配を

決める係数であるボルツマン定数kはもちろん、

エネルギー量自体を

デジタル的に切り分ける閾値《しきいち》である

全く新しい概念、

「プランク定数h」だ。

それも人為的な基準や単位によらない

自然による自然の為の未来永劫に宇宙のどこでも同じ不変な定数だ。

たとえどっかの星の宇宙人が計ったとしてもこの値は変わる事は無いだろう。

これら自然現象を記述し関数を決定する

「自然定数《パラメーター》」。

理論屋である君や、アメリカのマイケルソン氏のような実験屋が光速度測定で手に入れた。

光速、c=約30万kmみたいにね。

私も遂に所有者となることに成功したんだよ。

これでやっと自分の「公式」を

「可視化」することができる!

プランクは左手に「ボルツマン定数k」と

右手に「プランク定数h」を手に数式を可視化し、自慢気に掲げる。

「やはり…では、ついに…それこそ

化学みたいな経験則に頼らずに……

かの原子論を証明する時が来たって事ですね!」

珍しくアルベルトがやや興奮気味に尋ねる。

「ああ、わざわざこんな辺境の地へやって来たかいがあったよ。

これで祖国の連中を出し抜けるだろう。

そしてもう情報革命の時は近い………………

この世界の全てを物理学で計算し再構築する我ら学会の計画も順調に進んでいる。

君を出張名目でわざわざ呼び寄せたのも

私に協力してもらうためさ。

いい加減いつまでも特許局員でいるわけにもいかないだろう?

帰国の際には新しい大学のポストに推薦しようじゃないか。」

それを聞いて安心したアルベルトは

ポケットからさっきの遺灰を採集していた試験管を取り出す。

「んじゃー、ついでにコイツも

科学アカデミー様にでもお納め下さい。」

そこには炭が入っていた。

「ん?なんだね、この小汚いコゲは?」

無愛想に聞き返すマックス・プランク。

「何って、そりゃあ貴方の恩師の”遺灰”ですよ。

もののみごとに人間が炭化してます。」

プランクはその試験管を手に取るなりさっさとひっくり返してしまった。

「あ……あーあ、そんなにこぼしちゃって……」

さらにプランクはその炭をひとつまみして粉々にする。

「ほんの一握りどころか、

たった(1molモル)の

サンプルでもありゃ充分だろ。

1モル、つまり12gの炭素には星の数より多い「6.022140857×10^23」個もの原子の数が入っているんだぜ。

死んだ人間なんかに栄誉なんていらないよ。

最近、1900年に始まったノーベル賞ってのもそういう

コンセプトなんだろう?」

彼が引き合いに出したのは8年前から創始された

科学において優れた業績を出した者に贈られる賞のことだった。

プランクはすでにレントゲンなどが受賞してる事を意識しているのだろう、

だがリアリストのノーベル氏の遺した賞だ。

数学賞は存在しないし、どんな優れた理論を作ろうが

実験で十分に確かめられるまでは貰えない。

それにどんな業績を成し得ようが既に死んだ者には絶対に与えられはしないので、

別名「長生きしたで賞」とも言われている。

「このヨリー教授はね、

私が物理屋の道を志そうとした時

「間も無く、古典力学は完成し

宇宙を満たす第0元素『エーテル』は発見され。

世界の全ては古典物理学で説明されるであろう。」

『その時にはもう君の出番は無いよ』

とありがたい予言を頂いたもんさ。

だがしかし、既存の理論では

炉の光の色から中の温度を推定することすらできなかった。」

プランクはまた自慢気に昔話を始める。

「音波には空気が必要なように、

エーテルとは電磁波を伝えるとされる仮想上の媒質だ。

19世紀に既に他界した天才マクスウェルによって

光は電磁波という波の一種であると証明され、電磁気学が確立された。

なら当然としてその波を伝える謎の海が宇宙に満ちていなければならない事は安易に予想がつく。

だがしかし、20世紀になっても未だにエーテルの存在を実証する事だって出来ちゃいなかった。

ところが、三年前の1905年の「奇跡の年」に

君が現れて、三本の矢である論文が学界に放たれた。

「ブラウン運動」の解明による

気体分子運動論の証明に始まり、

最も重要なエーテルの不要証明である

『運動する物体の電磁気学』論文には驚愕したよ。

まあ、三本目の「光量子仮説」は私のパクリではあったが……

我らのボスであり、古典会「プリンキピア」の現会長でもある

ケルヴィン卿も予言していた、

それが今回、私が解決した熱力学の

『エネルギー等分配法則の破れ』と

そしてもう一つ、

君の論文が扱った新しい電磁気学理論、

『エーテルと絶対空間の否定』がそれぞれ対応するんだよ。

だからこそ、ここで私たち二人が

共同戦線を組めば、万物の理論である

古典物理学を完結させる事すらも夢ではない。

最近の光速度測定実験でも

自転や公転の媒質エーテルの中を泳ぐ事によって生じる引きずり効果のための光速の変化は一切、観測され無かったという話じゃないか。

速度変化がみられないという事は

これではまさかの今更になって地動説が否定され、

天動説すらも復活しかねない。

光速のズレを測る干渉計でエーテルの流れが検出できないからといって、

そのせいで実は地球が動いていない証拠だと天動説論者に主張されるのは私も困るんでね。

ならば覆してみせようこの深刻な矛盾を、

私の所有する『プランクの放射式』と

君の提唱する『運動する物体からみた電磁気学』論文で……

いや…………むしろ、特殊条件下における……

『相対性理論』…

とでも名付けようか。」

―それは物理学史上におけるかつてない最大で最強の理論へと

最初に名前が付けられた歴史的な瞬間だった。




前回、『岩砕<いわくだき>と蛇砕土<ヘビサイド>(第一章)』

次回、「科学者たちの邂逅」へ続くッ!!