留年バックパッカー03

もう何度目の寝返りか分からない。

なかなか寝付けずに姿勢を変えると、朝の光がまぶたの裏の眼球を照らした気がした。腕時計を見ると午前七時を指していた。空港のベンチに座ってあたりをぼんやり眺めてみると、だんだんと人の往来が増え、食堂からの匂いが濃くなってきた。おなかが鳴ったが、空港での食事は高いので、ひとまず繁華街まで動くことにする。慣れない英語標識を追って地下鉄の駅へと向かったものの、券売機も勝手が違う。悪戦苦闘しながらボタンを押すと、食券のような水色のプラスチックが出てきた。どうやらこれが切符らしい。

列車に乗りこむと、目の前に座っている人たちが三者三様の新聞を持っていた。英語と中国語と、たぶんマレー語。さすがシンガポール。イメージしていた通りの国際色だ。列車が地上に出たので、窓から外を眺めていると、カラフルな屋根をした見慣れぬ形の家が建ち並んでいるのが見えた。おおお、外国だ。外国にいる、その実感が湧いてくる。僕にとって、ほぼ、はじめての海外である。見るものすべてが新鮮だ。

地下鉄を降り、細い階段を登って光が射す方へ。地上に出ると、“ムォン”とした灼熱の熱気に包まれた。淹れたてのコーヒーカップに顔を近づけたときのような、湿気に満ちた熱気だった。そこら中で蜃気楼が巻き起こり、街が歪んで見える。空港と地下鉄が涼しかったせいで面食らってしまった。ここは赤道直下のシンガポールなのだ。頭の中の地球儀を回し終えたところで、気を取り直して、空港でもらった地図を頼りに安宿を探す。シンガポールの道路は、碁盤の目のように区画整理がされていたが、慣れないうちは逆に厄介。道の曲がりくねり具合や、交差する道の角度で地図を読む日本人には現在地の目安がつかない。加えて、重たいバックパックを背負いながらの尋常でない暑さ。安宿の看板を見つけた頃には、残りHPは限りなく1に近かった。

道路に面した入口からは、二階に向かって薄暗い階段が伸びていることしか確認できない。裏社会に続く階段のようにも見えてくる。おそるおそる階段を上っていくと、カウンターの奥にくたびれたTシャツを着たおばちゃんが座っていた。中国系なので、大阪の下町のおばちゃんと見た目には違いがない。しかし、目は合っているのに何も言ってこない。おそるおそる、「ドゥーユーハブルーム?」と聞いてみると、「Wait」と言ったきり、僕の全身をくまなく眺めはじめた。「え?駄目なの?」と思った瞬間、「付いて来い」と手の平でカモンする合図をよこしてきた。そして、無言でドミトリーの空いてるベットを指差す。部屋を見まわすと、荷物はあるが宿泊客は不在。少しだけ、ほっとした。

荷物を下ろしてベッドに横たわると、「引越しの夜」と「空港の夜」、二日分の疲れがどっと押し寄せてくる。しかし、間髪おかずにシーツがじっとりと汗ばんできた。昼間のシンガポールは部屋の中でも暑い。寝れたものじゃない。天井では直径三メートル程の巨大ファンが回っているのだが、この熱気を吹き飛ばすには、普通サイズでいいからあと十個は欲しい。苦悶とともに起き上がって、涼しそうな場所を求めて宿の中をふらついていると、パソコンルームでヨレヨレの服を着た西洋人が二人、並んで座っているのが見えた。入口から続く、どんよりとした安宿のムードに耐え切れず、重い体を引きずって散策に出かけることにした。 

「オーチャードロード」シンガポールの銀座と呼ばれる繁華街。スターバックス、ユニクロ、無印良品、さらには紀伊国屋に高島屋。街にあふれる広告は、ジュード・ロウにケイト・モス、松嶋菜々子に蛯原友里と、見慣れた顔が並んでいる。すれ違った女の子たちは、宇多田ヒカルの最新曲を口ずさんでいるのには驚いた。ずいぶん遠くに来たと思っていたが、ここはまだ日本に近い。しかし、街行く人々の多様性は間違いなく異国のものだ。地図を見ても、リトルインディア、アラブストリート、チャイナタウンがあり、多種多様な人々が共存しているのがわかる。 

しばらく歩いていると、それはシンガポールの表の顔に過ぎないと気付くことになる。二人組や三人組、街を歩くグループのほとんどが同一民族で固められている。中国系なら中国系、マレー系ならマレー系といった具合に。スターバックスでは、サリーを着た女の子と中国人女性、マレー男が同じカウンターの内側で働いているが、プライベートになると話は違うのかもしれない。もちろん、いがみ合っているとは思わない。クラスで似た者同士がグループをつくる程度には線引きがされているように感じたのだった。

それに、意外と汚い。シンガポールと聞くと、ポイ捨てすると警察に捕まるほど、街の美化にうるさい国だと思っていた。実際は違う。高層ビルが建ち並ぶビジネス街を別にすれば、そこら中に古いゴミが落ちている。屋台があるのもそういうエリア。はじめてのごはんは屋台の不衛生さが気になって美味しいとは思えなかった。カフェにあるコーヒーも、ネスカフェと呼ばれていて、ただのインスタントコーヒーだったし、「アイス」と言ったのにホットが出てきてゲンナリした。

その後は、紀伊国屋で地球の歩き方を立ち読みしたり、意味もなく日本大使館に行ってみたり、日本の幻影を追い求めてしまった。気がつけば夜になっていて、街のライトアップの美しさに息を呑んだ。シティホールからは、交響楽団が奏でる高級な音色が聞こえてくるし、あのシンガポール・スリングを生んだことで有名なラッフルズホテルやザ・フラトン・シンガポールなどの高級ホテルは100万ドルの夜景の中でも、ひときわ輝く宝石のようである。マーライオンも世界三大がっかり名所と揶揄されるほど悪くはなく、それなりの存在感でマーしていた。ひとしきり散歩したあとは、宿の近くのくたびれた屋台で240円のラーメンをすする。ワンタンスープも付いてきて、これが美味くて驚いた。たくさんの矛盾を、一枚の美しい布で覆い隠したような国、シンガポール。淡路島ほどの面積しかないコンパクトシティは、一日で充分だと思った。翌朝、僕は逃げるようにマレーシア国境行きのバスに飛び乗った。 

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