その文章にサビはあるか。

映画「聲の形」を観た。この映画は終盤のあるワンシーンのためにつくられた2時間である気がした。

それは、ライターという仕事にも当てはまると思った。コピーライターをしているときは、サビの中にあるワンフレーズを考えていた。ボディコピーを書くときも、そのワンフレーズを畳み掛けるように書いてきた。それが必ずしも悪いわけではないが、ライターとして長い文章も書くようになった今は、サビを意識しなければならない。「聲の形」のように、である。その文章でどこを聞かせたいか。それは、どんな言葉を残したいか、ということでもある。そのワンフレーズのために、あらゆる他の文章が存在する。

それに比べて、映画「君の名は」はアルバムだった。一曲でも完成されている音楽が集まってひとつのアルバムとなるような、テンポも強弱も違う短編が積み重なってひとつの小説となるような、そんな映画だった。現代の漫才が息もつかせぬギャグのオンパレード、つまり、サビのオンパレードであることを求められているように、時間に追われる現代にマッチする映画だったと思う。「聲の形」はそういう意味ではクラシックな映画かもしれない。「君の名は」のヒットは越えられないかもしれない。だけど、ぼくは「聲の形」も好きだ。

原作のマンガは立ち読みで、売り物を濡らさないように泣いたけれど、映画も映画館を出たあとにひとりで泣きたくなる、あたたかく、ていねいにつくられたいい映画だと思う。


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