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ワーキング・ハネムーンのススメ

2022年7月、コロナ禍かつ歴史的な円安のなかに出国。真冬の2月に帰国して、気づけばまた冬を迎えようとしている。
毎日が非日常だった旅に比べると、仕事の量もずいぶんとセーブして過ごした約9ヶ月間は、もどかしさと悩ましさと共に流れていったように感じる。それでも振り返るといろんなことがあったな。
思いつくままにたくさん書き並べる「やりたいことリスト100」の逆というか、去年くらいから「2023年に達成することベスト5」をつくっていて。5つだったら忘れないし力も注ぎやすいので自分には合ってる気がする。帰国してから決めた5つは既に達成することができたので、「もういつでも年越しできまっせ」という気分。

さて、タイトルの話。
夫婦で長期で旅に出たと話すと、「どの国が一番印象的だった?」という質問の次くらいに、「…ケンカしなかった?」と尋ねられることがとても多い。
日常で時々勃発する、数日間にわたり口を聞かなくなるレベルのケンカはなかったものの、実を言うと旅の最中に「この人とこの先も添い遂げられるのだろうか…」なんて頭をよぎるくらいにはしんどい時間もあった。きっとお互い様だろう。
そうは言っても、一周回って帰ってくると、終わりよければ全てよしというか、なんともまぁ満たされた気持ちになっちゃって。

7ヶ月間の、各国の農場でWWOOFをしたり、友人の元を訪れる旅。観光メインの新婚旅行でもないし、バックパッカーともまた違う。ワーキング・ホリデーに習って「ワーキング・ハネムーン」という造語をあててみたら意外としっくり来た。働くことを通して新たな価値観に触れる機会であり、夫婦のパートナーシップを見つめ直す時間でもあった。これはいろんな人にオススメしたい。
各地での記録は色々と書いてきたけど、パートナーシップという視点で振り返ってみたい。

▼ 旅の記録はこちらのマガジンにまとめています


いつか行けるといいね、が現実に

その前に、なぜ世界旅に? の背景を少し。
二人で旅に出るというアイデアは、思い返すと2021年冬あたりからふわりと持ちあがっていた。
夫が仕事を辞める頃にいろいろ話をしていて、彼にとって旅は従来の自分を底上げしてくれるもので、旅に出られるといいなという気持ちがあることがわかった。「農業を学ぶ」でも「ただの観光」でもなく、「農業をしながら暮らす様子」を直に見られるような、そんな旅がいいと。

いつか行けるといいね、なんて話を交わしてその時は終わった。1年半後、私自身も仕事に区切りをつけることになり、当時のアイデアが現実のものとなる。
2人で長期間旅に出られる機会なんて今後ないかもしれないと思い、準備もままならず、とにかく飛び出した。
「これから二人でどう暮らしていくか?のヒントを得たい」と、それらしく聞こえるような聞こえないような漠然とした目的を握りしめて。

チケットを取るために旅程を組まなければならないけれど、いろんなことが未知数で、カナダからスタートしてアメリカ大陸からのヨーロッパに飛んで…とざっくり東回りで行くことくらいしか決められなかった。それでもWWOOFに登録してカナダでの滞在先を決めたり、搭乗可能な航空会社の就航都市を調べたりと、出発直前までPCと向き合った。
出国の1週間になってようやく世界一周チケットを取り、2022年7月18日の海の日に、日本を発った。

旅を終えた今、振り返れば、私たちにとって今回のワーキング・ハネムーンは、夫婦としてのパートナーシップを強固にしていく時間だった。どう良かったか、大きく3点ほどに分けて書いてみる。


① 共通言語ができる

5年間同じ屋根の下に住んでいても、それぞれ別の会社で働いていたので一緒に過ごす時間はそんなに多くない。これまで違う人生を歩んできたパートナーに対して、「伝わらないな」「わかってもらえない感」を感じることは当然ながらある。
例えば。私は自宅の菜園はタネ取りをして年中作物が収穫できるような状態にしたいと常々思っていた。でも有機農業を行う会社で働いた夫からすれば、土づくりのためにシーズンごとに畝をつくり直すのが当然で、端境期が生じるのは仕方のないこと。そう言われてしまうと経験の乏しい私はそれ以上何も言えなくなる。
けれども、フランスのエコビレッジで畝がずらりと平行に並ぶ畑とは違った農場の形を見て、自分が知ってる常識の範囲内で考えることを手放してくれた感じがある。帰国してからは、私が畑の手入れをするようになって、口を出さずに見守ってくれている。

あるいは。以前からいつかニワトリを飼いたいと思っていた私。「世話しないといけないし、鳥インフルにかかったら周囲にも迷惑かかるし…」と引き気味な夫。これまた経験がないので、それ以上説得のしようがなかった。けど、旅を通して多くの農場でニワトリを飼っている様子を目の当たりにして、どんな世話が必要なのかがなんとなく見えてきて、なんとなく「いけるかも」という感覚が生まれた。さらに物価上昇の影響を受けて卵が値上がりしているのもあって、より前向きな感じに。

他にも、「あの農場で出会ったあの家族の暮らし、いいよね」とか「あの人の在り方、素敵だったよね」と話せる。これはとても大きい。
仕事においても、異なるセクターの人たちと共に視察することを通して共通言語をつくる、というのは折々に大事にしてきた。まさにそれを夫婦でずっとしてきた感じ。


② 振り返りを積み重ねる

生存報告兼ねてラジオを収録することにしていた。聞いてもらうのが申し訳ないくらいゆる〜い雑談ラジオだったのだけど、発信することが念頭にあるから、自然とスマホでメモをとるようになった。そしてどんな話をするか、自然と雑談的に打ち合わせをする。
めまぐるしい日々にラジオ収録のスピードが追いつかなくなり、途中で配信は頓挫したけど、スマホにメモを残すことも夫と話をすることもすっかり習慣化していた。私はnoteに書き残すようになった。

このように、経験を振り返る機会を意図的に設けたことは、結果的に対話的な時間を増やすことになった。視点の違いを発見したり、感情の揺れ動きを共有したり。そんな積み重ねができたのは、多分とても貴重なことなんだろう。


③ 役割分担ができてくる

長らく二人で旅をしていると、互いの得意・不得意がよく見えてくる。
行程を組んでチケットを予約したり、WWOOFの滞在先など調べて連絡・調整を行うのは、言語面とiPadを持ってることから主に私が担った。これらの調べものはそれなりに時間と労力がかかるので、「少し分担してほしい」と夫に日本語で調べられる観光地や宿の情報リサーチや手配を頼んだものの、どうにもうまくいかない。見落としや手配ミスが生じて結局さらに苦労することになる。
もう少しうまくやってくれ、と正直イラついた時もあったのだけど、どうやら本当に苦手らしいということが段々わかってきた。自分にとっては特段苦労のないことが、相手にとっても同じだとは限らない、という当たり前のことに気づく。

逆に、夫のコミュニケーション力の高さは海外で抜群に発揮された。悔しいことに、どこに行っても現地の人たちとすぐに打ち解けて盛り上がるのは夫の方だった。得意のダンスを披露すればすぐさま注目を浴びて、大人とも子どもとも仲良くなる。
その特技のおかげで、滞在先のホテルでは顔を覚えられてよく話しかけられたし、地元の学校で急遽ダンスレッスンをすることになったりと、面白い体験をたくさんさせてもらった。

滞在先で日本料理をつくるのは私。それを面白おかしくプレゼンテーションしてみんなを楽しませるのは夫。そんな場面もしばしばあった。
夫は夫で、自分自身のことを新しい物事に飛び込むのは苦手だと思っているらしく、私が半ば強制的に旅程を組んで夫を連れ出したり新しい展開を提案してくるので引っ張ってもらっている感覚がある、と聞かせてくれた。

得意・不得意な領域が全然違うというのがよく見えた旅だった。できないことに目を向けるより、できることを尊重して補い合うのがいい。月並みな表現だけど、本当にそう思う。


ともあれ、大きなプロジェクトを二人で力を合わせて達成できたというのは、間違いなく大きな自信になった。
これから先、新しい壁にぶつかることもあるだろうし、きっとケンカもたくさんするんだろうけど、話し合って、役割分担して、ぼちぼち歩んでいきます。

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