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新垣結衣 父が告白7時間「里親」「深夜の電話」「星野源」 鎌倉殿の13の㊙︎

「新垣結衣 父が告白7時間「里親」「深夜の電話」「星野源」 鎌倉殿の13の㊙︎」(『週刊文春』2022/06/08)を全文引用致します。

――八重さんが亡くなりましたが……。
「悲しくないですね。ウチに帰ってきてくれるかもしれないから(笑)」
 沖縄の地でそう笑うのは、新垣結衣(33)の実父。およそ7時間にわたって、愛娘への想いを語り尽くした。

 新垣が初挑戦の大河で演じたのは、頼朝の最初の妻で、義時の妻・八重だ。伊豆山権現の長・文陽房覚淵を演じた諏訪太朗が明かす。

「『娘が星野源さんのファンで……。2人がとっても相性の合う感じで喜んでいる』と伝えたら、『そうですか〜、良かった!』と笑って。『逃げ恥のイメージがあるんですかね?』と聞くと、『そうかもしれません!』と。ただ年の割に落ち着いていて、背が高いこともあり、女優としての風格、存在感を感じました」

 これまで数多の作品に出演し、星野との結婚も“国民的祝事”と言われた新垣。沖縄出身で地元の中学に通っていた01年、ファッション誌「ニコラ」のモデルでデビューを果たした。

 実父が当時を振り返る。

「親バカって言われちゃうけどね、小学生の頃の夢は漫画家。『友達と二人で共作する』と大人みたいなことを言って。でも本当に絵は上手かった。中学生になっても甘えん坊でね、歩いて5分で行ける中学校に『送っていって』といつもせがむんです。あんまり自己主張するタイプじゃなかったね」

 そんな彼女が、孤児たちの世話に奔走する八重にも通じるような意思の強さを見せたことがあった。

「中2の頃、児童養護施設で暮らす同級生の女の子とよく遊んでいました。ある日、迎えに行くと、車中で娘が『パパ、この子の里親になって!』と泣きながら頼んできて。その子を降ろした後も、地団駄踏んで泣いて頼み続けてきた。子供ながら、身寄りのない友達を助けたいと本気だったんじゃないかな……」

 中学で女子バスケ部のマネージャーだった時も、

「夜道は危ないからと僕が呼び出されて、チームメイトを車でよく送らされました(笑)。人のことを考えられる良い子なんですよ。中3の頃には非常にしっかりとした面倒見の良い子になって、将来、女社長になるぞなんて思いましたね」

 高1で上京すると、06年から放送されたポッキーのCMで大ブレイクを果たす。

「最初は娘と似たような子とそのマネージャーの女性、女の3人暮らしでした。事務所が用意したマンションで安心だった。ただ、20歳くらいの頃、芸能界の生活でいっぱいいっぱいになった娘から深夜1時、2時に電話があって、女房と1時間くらい喋っていました。女房は『ふん、ふん』と聞いてあげていた。昔、事務所から飛び降り自殺したアイドルの方も居ましたから、凄く心配でね……」

「結婚式はまだ」

 それでも、新垣は07年公開の映画『恋空』をはじめ、様々な作品でヒロインを務めていく。

「『恋空』が公開された時、娘は、沖縄で一番大きい映画館に僕ら夫婦を招待してくれました。その時、もうこれ以上の親孝行は要らないなって思ったんです。演技への評価なんかは要らない。ただ、娘が世間にどう受け止められているか。嫌われていないか。もし好かれているとすれば、それだけでもう十分です」

 新垣が、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で共演した星野と結婚を発表したのは、昨年5月。あれからちょうど1年が経つ。“源氏”とはやり取りを?

「まだ話していない。最初は顔を合わせてね。電話では失礼でしょ。でも、コロナだから……結婚式はまだ挙げていません。私からも、娘に『世間の皆さんがお祝いしてくれるタイミングになってからやればいい』と伝えました。1、2年後かな。娘のことだから、自分より背の高いやつ(新垣は169センチ、星野は168センチ)と結婚するかなって思ったけどね、そうじゃない。だから見た目はあんまり気にしてない、それが良いなって思いますよ」

 星野は以前から「海外に移住したい」と語るなど海外志向が強い。新垣も、結婚を機に事務所との契約を終了。大河の撮影も終え、残る作品は7月下旬公開の映画だけだ。夫婦の“渡米シナリオ”も報じられたが、

「パソコンか何かで読みましたね。だけど、僕は反対。成功するとは思えません。NYはエンタメの中心ですが、日本人の主演映画がアカデミー賞を取ったことなんてめったにない。音楽も成功すると思えない。向こう行って、お互いに『この人と結婚して失敗だったかな』と思い始めたら良くないですよ。だから日本にずっとおったら良いと思います」

 今年に入り、沖縄で一度だけ新垣と会ったという。

「『友達に会いたいけど、なかなか会えない』なんて女房に話していたよ。変わったところもなく元気でね。でも……本音を言うと、これ以上、人気が出なくていいから沖縄に帰ってきて欲しい。普通は20歳くらいまで親と同居するけど、あの子は16歳で上京しました。16歳から20歳の“5年間”が足りないんです。まだまだ親子喧嘩をしたかった。だから……元気な娘が少しでも傍にいてくれるだけで私は嬉しいんです」

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