松島アナへ

「今日は柏原君にこれを渡しにだけ来たんだ!」

そう言って、声優さんのサイン色紙を紙袋に入れて渡してきた。

これが、私が文化放送 松島茂アナウンサーを認識した瞬間だった。

大学3年生の12月、箱根駅伝の合同取材で代表質問が終わって個別質問に切り替わる時、誰よりも早く私の目の前に用意されていた椅子に座りニコニコしていたのを覚えている。この時の私はメディアが大嫌いな時期だった。私はずーっと「早く終わってくれ、開放してくれ」と考えていた。

そんな矢先だ。紙袋を渡してきて「喜んでくれて何より!」とそれを餌に根掘り葉掘り聞くわけでもなく、軽く質問して席を後にするんだから。

2011年の震災の年に「まいどで福島への思いを話さない?」と話す機会を与えてくれた。私がまだ生放送に慣れてなくて最後の方、放送事故みたいになったけど「全然大丈夫!思いは伝わったと思う!こちらこそ、カバーできなくて本当にごめんね。」と優しく言ってくれた。引退した時も「4月にまいどスポーツにでてくれないか?」と連絡してくれて、その当時アメフト部のマネージャーに就任する事が決定していて、隠したかったから「6月までは取材をお受けできない。」と返事を各所に出したら色々なメディアが離れていく中、「わかった。待つね!」と6月最初のまいどスポーツの出演オファーの依頼を出してくれるんだもの。

そんな松島さんと2018年夏頃に付き合う前の妻と3人でご飯を食べに行ったんだ。3人でたわいもない話をしていく中で「来年、箱根駅伝への道を柏原君にお願いしたいんだ」と言っていたのを覚えてる。

なんなら「ゆくゆくは5区の中継先に行って選手の雰囲気とかをリポートしてほしいんだ。ただ、そうなると柏原くんの使い方がもったいなくなるから悩むんだ。」とも言っていた。はじめは冗談かと思った。「箱根駅伝への道をやりたい!」と私も言っていたが、そういう話は大体は叶わないし、途中で話が頓挫する事が多い事も理解している。でも、2019年の夏に松島さんは自分の思いを叶えに伝えに、会社まできて上司に「柏原君の力を貸してほしいんです。」とお願いしにまでやってきた。松島さんがいれば、2021年の箱根は「柏原君にお願いがある!」と来年は本当に5区の山の中に行かされていたかもしれない。

3人でご飯を食べに行ったとき、私が席を立てば「柏原君はどうかな?」妻が席を立てば「八木ちゃんはどうかな?いい子なんだ。」とお互いに言ってたらしい。それなのに、いざ付き合う報告をした時は椅子からずり落ちて「えええええ!まじか!すっかり忘れてた!」なんて言うんだもの。結婚をする事をはじめに伝えたらそりゃ、めちゃくちゃ喜んでくれた。そして、まいどで結婚式をしたい!と言ってて放送終了後に記者会見するときも「任せて!」笑顔で張り切っていたのを覚えてる。

松島さんはいつも私の言い回しや表現をいつもほめてくれた。それは病院にお見舞いに行った時もそうだった。「柏原君はいつもみんなに分かりやすいように伝えてくれるんだ。」って。我々に一切ツライ表情をせず、いつもの笑顔で居てくれた。

最初から最後まで気遣いの人だった。

人に対する距離感がとても上手な人だった。上っ面じゃない。人に真摯に向き合ってくれる素敵な人だった。

だから、沢山の選手や人に愛されていたんだろうと思う。

私もまだ、感情の整理がついていないし、しばらくつかないと思う。

今までネットで人の死に対して触れないでおこうと思っていた。「悲しい。」と言ってしまえば、自分自身の中でその人の死に対する気持ちが薄れてしまう気がしていたから。

でも、松島さんに関しては現役中も、引退してからもずーっと私を気にかけてくれて、陸上競技という舞台に違った角度から携わらせてくれて、おまけにキューピットまでしてくれて、そんな大事な人居なくなってしまって触れなければ、何か書かなければ、この気持ちを薄め無ければ私は落ち着かないのだと思う。

松島さん今まで本当にありがとうございました。どうか、今は安らかに。

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