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サウナの効果を上げた戦い

日曜の午前中。
海を望むテラス席。
信号が変わるたびに、アスファルトから響いてくる音の種類が変わる。

人の歩く姿と車が進む様子を見ていると、昨日サウナで見た重機の障害物競争を思い出した。

スパイダーVSガジラ

山で切り出した木を運ぶために開発された4輪多関節型作業機械スパイダーと、2メートルもの強靭な刃を持った機械式木材・廃プラカッターガジラ

重なった岩と、20本ほど積まれた丸太を障害物としたレースで、全長50mの速さを競う。

障害物競走の前に、人間(解体のプロ10人)VSガジラもあり、ガジラが圧勝していた。職人技をじっくり見たかったのだが、番組はガジラがいかに凄いかということにフォーカスされていても、職人技を観察するには至らなかった。

ガジラを作ったのは人間であり、それこそ職人技なのだろうが、そもそもそんなに簡単に、急いで物を壊すことを追求することが必要なのかと、思考がそちらに行ってしまい、ガジラなんか負けてしまえと熱くなり、サウナの効果に拍車をかける。

作った人間の技術が高いことは分かったが、あまりにも破壊的なガジラに対し好感を持てない私は、気がつくとスパイダーを全力で応援するに至っていた。スパイダーでなければいけないというよりは、ガジラを応援したくない。という理由だ。

通常は国産品びいきなのだが、申し訳ない。
ここは譲れない。

スイス製のスパイダー、がんばれ。


レースが始まる。

まずは岩山。
4本の節足を上手に使い、岩山を乗り越えようとするスパイダーに対し、ガシャンガシャンと岩を砕くガジラ。

自然そのものを破壊する姿に、また腹が立つ。

しょうがない。
そのために作られた機械であり、ガジラには、自由自在に動かせる足はない。
キャタピラーの上に重い体を乗せているだけなのだ。

ガジラを責めてもしょうがない。
ガジラはガジラらしく、ガジラの特性を最大限に生かして、勝負に勝とうとしているのだ。

でも応援はしない。

砕かれる岩、自然を破壊する姿に、どうやって共感ができようか。
早く画面よ切り替われ。

一方スパイダーは足の長さよりも岩山の方が高かったようで、前の足がぶらりとなり動けないでいる。
さてどうするか?

スパイダーは、自分の手(アームというのか?)を使って機体を浮かし、前に進んだ。お見事。岩山は大きくは崩れていない。岩は岩のままだ。
誰も傷つけることなく進むスパイダー、がんばれ。

土砂のようになった、元岩山のうえを、ガジラのキャタピラーが進む。
パンクすればいいのにという感情が湧くが、タイヤではないのでそこは望めない。そりゃそうだ。そんな設計をするわけがない。

続いて、丸太が積まれたゾーンに来た。

さすがスパイダー。
木を運ぶために生まれたことを証明してくれる、木さばき。

積まれた丸太を1本1本、丁寧に横に動かしていく。木肌が剥げることもなく、このまま製材所に出荷できるのではないかと思えるような状態。
撮影用とはいえ、自然の産物なのだから、そこに敬意を持ってほしい。障害物である前に、自然物なのだ。

そんなことを考えているうちに、体から湯気が上がる。
あ。ここはサウナの中だった。

一方ガジラ。

強靭な歯で砕くのではないかと思っていたが…

まさかの。
挟んだ。挟んで動かした。

拍子抜けした。

私は、ガジラを勘違いしていた。

破壊するだけが、ガジラの持ち味ではないようだ。
私は自分勝手にガジラを決めつけ「悪者」にしていたことを悔やんだ。ごめん、ガジラ。君にも「自然を大事にしたい」という気持ちがあったのか。

サウナの中に他の人がいないのをいいことに、テレビの前に立っていた私は、ガジラの良心にホッとして、腰掛けることにした。


が!!!!!

2本ほど、不器用そうに運んでいたガジラが、本性を表した。

2メートルの鉄の塊で、残りの丸太をビンタするかのように、払い退けたのだ。

ガジラよ。さっきの姿はなんだったのか。
一気に体温も腰もあがる。

またもテレビの前に立ち、ガジラを応援している(番組では賭けをしていた)タレントにまで腹を立てる。
勝った負けたの前に、それ以前に、人間としての自然への敬意はないのか。

その場にいたら、地鳴りを感じただろうと思えるほどの豪快な丸太倒し。
ゴロンゴロンと、転がってゆく。
樹齢30年ほどありそうな木。

こんなことのために切られ、運ばれ、ここに来たのだと思うと、なんとも言えない残念な気持ちが溢れてくる。
この気持ちから逃れたい一心で、場面が切り替わることを願い始める。

早くスパイダーに安心させてもらいたい。

切り替わった!

スパイダーは数本をよけた後、お得意の飛び越え大作戦で、丸太を跨ごうとしているところだった。競争という性質上、跨げるギリギリのところを狙ったのだろう。
跨げていない。

一本引っかかっている。どうしよう。

その間、ガジラはビンタ作戦真っ只中。
このままでは追いついてくる。
さぁどうする、スパイダー。

緊張が走る。汗も滴る。

なんと!


スパイダーは股に引っ掛かった1本の丸太を大事そうにアームで抱え(挟み)走り出した。

スパイダーにつのが生えたかのような様相。

まさに共存だ。

キャラピラーは追いつかない。

寸分の差で、スパイダーの勝利。
優しい方が勝った。嬉しい。

ありがとうスパイダー、これでやっと水風呂に行ける。

サウナに入っていてたまたま見た障害物競走を見ていて、私は3つのことに、改めて気がついた。

  1. モノには、作る側の意図がある

  2. 障害とは何か

  3. 自分はどんなスタンスでいたいか

モノを作るということは、便利にしたい・役立てて欲しいということだけではなく「売れるから」という目的がある。
資本主義社会では当然のことであるはずなのに、企業側の「売る」という目的を考えずCMの言葉に踊らされていないか。

それは本当に必要なものなのか?
便利の裏側にある「破壊」や「荒らされる」「混乱する」ことまでを感じ取る感性を、私たちは日々意識しているだろうか。

そして、障害とは何か。

本来、岩山も丸太も、それ自身が障害物ではない。
それぞれが自然の産物で、普段私たちは恩恵を受けてまくって生活をしているのだが、この競走においては障害物となり、人間のいっときの娯楽のために破壊されている。

障害とはやはり、場面や状況、その時の自分の受け方で変わるものであるし、今回の競争で、スパイダーは「破壊」ではなく「移設」もしくは「自分が避ける」という選択肢を選んだ。というか、選ぶことのできる機能を持っていたし、それを自覚して行動をとった。
相手を変えるのではなく、自分のできる工夫をした。

この競争を見て、私は自分はどんなスタンスでいたいかを考えた。
しょっぱなから、完全にスパイダーの肩を持っていたので、改めて記すことに少々のくどさを感じるが、忘れないために書いておこう。

たかが娯楽、サウナでたまたま見た番組といって仕舞えば元も子もないが、今回の競争を見て、私はスパイダー的スタンスでいたいと思った。

そして、何かを生み出す、提供するときもまた、スパイダー的視点を持っていようと思う。

ただただ自分の目的で前に進んでいくのではなく、もっといい方法はないか、優しい形にできないか。

そこにこだわってもいいじゃないか。

さて。

この記事を書く最中、私の他に同世代の男性が1人いた。
通話をスピーカーにしていたのだが、スマホの向こうから女性の鳴く声が響く。

聞こえないフリをしていても、聞こえてくる。

女性はしばらく泣いていて、言葉までは聞き取れなかったのだが、泣いていることに間違いはなさそうだった。

男性は、人ごとのようにサンドウィッチを口にし、もぐもぐという音が相手に届かないように、配慮までしていた。

この二人に何があったかはわからない。

慰めているのか、別れ話の最中なのか、ペットに何かあったとかなのか。

ただ、一つわかっていることがある。

泣いている理由がわかっている男性よりも、相手の顔もわからない私の方が明らかに、目の前の物事が手についていないということだ。

便利なはずのスピーカー。

使い方によっては、今日の私にとっては問題となり、電話の向こう側の女性にとっては恥ずかしいような悲しいようなことになっている。無論、気付いていないのだろうが。


私も含め、人間は便利であることに甘え、そのことを考えもしない。

だからせめて、スパイダー的スタンスでいることを、時々は自分に言い聞かせていこうと胸に決め、スピーカーの向こうの彼女の笑顔を願った。

2022.11.20 がじゅまる学習塾

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