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場のホスピタリティを担保するのは、“暇人”の存在。|がくげいラボvol.4「“CREATIVE LOCALなライプツィヒ”で今起こっていること」大谷悠さん|【イベントレポート】

1月20日(土)に開催したがくげいラボvol.4。テーマは「“CREATIVE LOCALなライプツィヒ”で今起こっていること」

学芸社屋改修レポート#2 でもちょろっと触れたのですが、10月の夏休みにオランダ・ドイツを巡ってきた岩切が、ドイツでお世話になった大谷悠さんをお呼びしました。

定員を超えるたくさんの皆さんにご参加いただきました。

現地で大谷さんが連れて行ってくれたのは、アムステルダムやライプツィヒの観光地の外側や裏側、普通の郊外や衰退した市街地。ひたすら自転車漕いだり歩き回るなかで、だんだんまちの成り立ちやうまく使いこなす工夫が見えてきたのは面白かったです。

>岡山〈ラウンジ・カド〉の成田海波さん(左)と一緒に、大谷悠さん(右)のアテンドで、3人でアムステルダムとライプツィヒを巡りました。その辺りもまたの機会にレポートしたいと思っています。

そんな大谷さんが帰国されたタイミングにあわせて、がくげいラボとしてレクチャー&記録映画上映会を開催できることになったのです。

ライプツィヒの〈日本の家〉

当日はまず、ライプツィヒで起こっている空き家利活用の最先端の仕組みづくりについてレクチャーしてもらいました。〈日本の家〉がそもそも好事例なのですが、ライプツィヒは「ハウスハルテン」「ハウスプロジェクト」といった空き家対策のシステム構築が超先進的です。

(詳しく知りたい方は、弊社刊『CREATIVE LOCAL エリアリノベーション海外編』(馬場正尊・中江研・加藤優一 編著、2017)をお読みいただければすべてがわかります!)

そして、最終目的地の〈日本の家〉。大谷さんが2011年に始めた〈日本の家〉は、だれにでも開かれた40㎡ほどのフリースペースです。フリースペース、というと、なんだか得体のしれない怪しそうな場所に聞こえますが、6年じっくり時間をかけて信頼を獲得したいまや、ものすごく地域に馴染んだ場所になっていました。

そんな〈日本の家〉の記録映画の完成を記念した上映会。こちらでトレイラーが見れます。

ふるまいを強制しない場所づくり

大谷さんが外国人として異国の地で始めたライプツィヒのスペースは、本当に老若男女に開かれていて、だれもが自由で楽しそうに集っていて驚きました。
静かにご飯を食べる人と、どんちゃん騒ぎをする人が、なんの違和感もなく居合わせる、ふるまいを強制しない不思議な空間です。

〈日本の家〉があるのは、難民や移民が多いライプツィヒのなかでも、一番移民が多いアイゼンバーン通りというところです。移民街という場所柄、異国の地でも自分が所属できる場所を必要としていて、何かしら繋がりを求めてくる人が多いようで、私が一緒にご飯を食べた時も超多国籍でした。そうした移民&難民事情が、日本とはぜんぜん違うといえばそれまでですが、なにより、自分も余所者なので溶け込みやすい。旅行中、一緒に買い出しに行って、ご飯をつくって食べて話して、いちばん日常に近づけたのが〈日本の家〉でした。

“暇な人”の存在価値に気づく

そんな映画を一通り見終えたあとのディスカッションで出た質問の一つが、「どうやったらこういう場所がうまく回せるのか」。

こういった場所を必ず毎週(もしくは週2で)提供して、運営している大谷さんや日本の家のメンバーの地道な努力は、もうすごいとしか言いようがないので、私も気になっていたのですが、大谷さんは間髪入れずに「大事なのが“暇な人”の存在だと思います」と答えてくれました。

皆があくせく働く日本ではなかなかイメージしづらいですが、だれが来ても損得勘定なしに、寛容に迎えいれてあげられる“暇な人”の存在価値(=場所のホスピタリティ)に、日本人はもっと気が付くべきだ、と。

そういう“暇な人”がしっかり場所をまわしている〈日本の家〉だからか、ものすごい多様性があります。すなわち、記録映画の登場人物がいちいち個性的で面白いです。私が会った人も、何人も出てきました(それだけリピート率も高い)。日本好きな青年、アーティスト、移民のお兄ちゃん、一人暮らしの紳士、元コックのニートおじさん、人見知りなおばちゃん、パンクな若者、ドレッド頭のヒッピーおじさん、本当にいろんな人生が集まってました。アフガンからドイツに歩いて渡って来た難民の青年の話などは、ぬるま湯の日本で生活している私にとってはものすごい衝撃でした。

そして、みんな見かけによらずめっちゃ優しい。両腕にものすごい刺青を入れているおじさんがとてもにこにこと買い出しから調理までサポートしてくれました。おじさん特製のぶどうとざくろのサラダの味は忘れられません。

それも、大谷さんが同じ「移民」だからこそ自然に始めたいと思えたのであって、だからこそ移民街の人にも無理なく自然に受け入れられたのだと思います。実際にわたしも一緒にご飯をつくってみて、目的もしがらみもなく束の間一緒にご飯を食べるだけだからこそ、楽しいのだとも実感しました。

懐が深いまちには、期待と信頼が宿る

またもっと話をまき戻すと、実はライプツィヒは、東西ドイツ統一のきっかけとなった、ドイツでは自由の象徴のようなまちです。

映画のなかで「ドイツでいちばん変なまちはどこだと訊いたら、“ライプツィヒ”と言われたからここに来た」と話す方がいましたが、私も現地でそんな話をたくさん見聞きしました。社会は自分たちの力で変えることができる、という実感をもって話す人たちの言葉には、未来への期待や他者への信頼がある、というのは、前日のこちらのイベントでも馬場正尊さんが言及されていました。

そうしたまちの懐の深さも、〈日本の家〉のようなスペースがうまくまわるためには、欠かせないのだろうなと思います。

議論も盛り上がり時間を超過しつつも名残惜しく終了となりましたが、時間を過ぎてご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。そして大谷さん、とても面白いお話をありがとうございました。

大谷さんは今回の帰国中、引き続いて各地で上映会を開催される予定です。岡山〈ラウンジ・カド〉でも明日1/23開催!ご興味ある方はぜひ!

(岩切)

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