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会うべき人には会うべき時にきっと会える(ので焦らない焦らない)

生きていく上で人脈は大事です。

ただ人脈が大事だからって、とにかく人とつながればいい、有力者と面識があればいい、と考えて闇雲に名刺交換しまくるというのは、はたして意味があるのだろうかと私は疑問に思っています。

会うべき人とは会うべき時が来れば自然と会える。
逆に、その時が来る前に無理やり会っても、何か棚ぼた的に良いことが起きるわけではない。これが私の基本的な考えです。

今でも忘れられないのですが、私は大学院生になった時に当時助手(今は助教と言いますね)をしていた先輩から「(先生や研究者を囲む)飲み会は絶対に参加しなさい」「そして下っ端が飲み会から先に帰るなんてあり得ないことだから」「そこで顔を覚えてもらうことが大事だから」と叩き込まれました(1回先に帰って後でめっちゃ怒られた笑)。
素直な私(自分で言ってる)は「オッス」と愚直にそれを守るようにして、ゼミやら学会やら研究会やらの飲み会には必ず出て、そしてお開きになるまでは終電がなくなろうが最後まで付き合い続けました(それにしても何でみんなあんなに飲み会をやりたがるんだろう)。

で、後から振り返ってそれが何か私に恩恵を与えてくれたかと言えば、まぁほとんど何も無いですね。忍耐力はつきましたたけど。
考えてみれば当たり前です。知識も経験もない状態でずっと先を進んでいる人と話をしようとしても、とくに話すことがない、話についていけない、愛想笑いとあいづちしか打てない、ということになります。にぎやかしの一人にはなれますが、相手の記憶に残ることもなく、後日「あの会合にいた○○君だね。いい就職の話があるんだよ」なんてことがあるわけがありません。

逆に、自分なりに一生懸命なにかに取り組んでいると、自然と会うべき人物と会うチャンスがやってきます。

これもまた自分がまだ大学院生だった時の話なのですが、関西で自分の修論テーマに関係する展覧会が開催されていました。時間とやる気だけはあったので、早速見に行きました。
それで、今となっては世間知らず過ぎて恥ずかしいのですが、展覧会に行ったその場でアポイントも何も取っていないのに、美術館受付で展覧会を担当した学芸員さんに会えないかと質問しました。ぜひお話を聞いてみたかったので。

連絡も無くいきなりやってきた、見ず知らずの学生。それでも受付の人がつないでくれると、その学芸員さん(たまたまいた!)は、「なんやなんや」とすぐに出てきてくれました。
そして驚くことにそこから2時間ぐらい美術館ロビーのベンチで、とことん話に付き合ってくれました。いや、付き合ってくれたというより、その展覧会で取り上げた作家について向こうの方が熱く語りまくってくれたというべきか。

閉館時間も近づいてきたので失礼する時に「またいつでも来てや」と言ってくれて、私はその言葉を真に受けてそれから何度か出稽古のようにその人のもとに通い、美術のこと、展覧会のこと、学芸員という仕事のこと、たくさん教えてもらいました。
その人はもう亡くなってしまいましたが、私にとっての恩師のひとりと思っています。

大人になって市場原理を理解した後に当時のことを振り返ると、同じ学芸員同士ならまだしもぺーぺーの学生(自分の出身大学の後輩というわけでもない)に貴重な時間を使って、無料で直接指導をするって、一般的な感覚からしたら意味不明ですよね。大学で聴講生をするにしたってお金は必要だというのに。

でも、研究職ってこんな感じなんですよね。もし今私のところに同じように学生が尋ねてきたら同じような対応をする気もします(展覧会前で超絶忙しい時はのぞく)。
そもそも文化・芸術って市場原理の枠外にあるものなので、どこか私たちもその感覚がしみついているのかもしれません。損得にこだわっていたらやっていけませんからね。それよりも面白そうかどうか、語りたいかどうか、そういう好奇心を最優先にするところがあると思います。

いや、私がそう思えるようになったのも、最初に出会ったあの学芸員さんがそういう対応をしてくれたから、ですね。そういう意味で、やはり「会うべき人とは会うべき時に会える」のだと思うわけです。懐かしいなぁ、会いたくなってしまったな。

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