見出し画像

『遠野物語』プロジェクト

<追記>
こちらの取り組みは、この記事の少しあと2017年10月から「to know(トゥーノウ)」というプロジェクト名で始動しました。2018年12月現在、5人のメンバーで土着的な文化領域で活動しています。現在創業準備中。https://www.facebook.com/toknowtono/

------------------------------------------


柳田國男が1910年に刊行した『遠野物語』。
遠野の青年・佐々木喜善から柳田が聞いた119話の物語。

妖怪、山人、神、伝説、習わし、臨死体験、事件、殺人、幽霊、動物との共存など、ここ遠野郷で口頭伝承されてきた多様な民話がまとめられており、
民俗学の夜明けを告げた歴史的名著と言われている。



柳田は序文で、"願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。"と言い放つ。
当時官僚だった柳田が、遠野で出会い、戦慄したものとは…。

当時、自費出版で350部しか世に出さなかったものの、
100年以上経った今でも読まれ、遠野は民俗学の聖地のひとつとも
言われており、毎年多くの観光客が訪れている。

紛れもなく、遠野の真ん中には『遠野物語』がある。

遠野に移住が決まってから、まずは水木しげるの漫画版を読んだ。
なんとなく雰囲気を掴んだ後、原文を読み始めたのだが、、
早々にリタイヤしてしまった。昔の日本語に慣れていないのと、
「物語」と言いながら、特にオチもない話を読み続けるのは
なかなか辛いものがあった。それが2016年の春の話。

そこからは、たまに友人をカッパ淵に連れていくぐらいで、特に遠野物語との接点はなかった。逆に、カッパとかカッパとかカッパとか…、もう遠野物語とジンギスカンはおなか一杯だよ、、と思い、意図的に距離をとってしまっていた。3月に作った遠野のガイドブック「THE TONO BOOK」でも、"一切カッパは出さない"というルールを勝手に決めて、編集したほどだ。これからの遠野は『遠野物語』からの脱却が必要だ、そう信じていた。




転機が訪れたのは、2017年1月の大橋進先生との出会いだった。


県内の高校で世界史を教えていて、今は遠野文化研究センターで遠野市の市史編纂委員会の委員長を務める、今年で74歳になる大橋先生。

『遠野物語』について何か取り組むのであれば、まずはこの人に会うべきというアドバイスに従ってお会いしたのが始まりだった。当時は、『遠野物語』をテーマとした活動を何か企画してみよう、ぐらいの軽い感じだったのかもしれない。

「こんにちは!」と元気な声でカフェに現れた先生。バックからドサドサと『遠野物語』の関連書籍を出し、ニコニコしながら、イキイキと物語の背景、読み解き方、日本人の昔の暮らし等について教えてくれた。

− これはひょっとして面白いかも −


自分の中で、もぞもぞと何かが動き出したように感じた。

そこから月1で先生に会うようになり、講義を受けるようになった。柳田が『遠野物語』を書くことになった経緯から、当時の彼の研究テーマ、編集方針、喜善との出会い、三島由紀夫など他の作家からの評価などを教えてくれた。質問をすれば100%返してくれ、また分からないところは分からないと素直に答えてくれた。何より質問されるのが嬉しいといった感じだ。

次に、物語の序文、柳田が100年前に遠野を訪れた描写の部分を声に出して朗読したり、暖かくなってからはクローズドなフィールドワークを実施した。
こうした場は、数えたら8回に達していた。


自分も遠野二年目となり、地名が頭に入っているため、物語に出てくる地名がわかって、ますます面白くなった。

遠野物語の独自性は、固有名詞や場所が特定されていることだ。昔昔あるところにおじいさんとおばあさんが…ではなく、「〇〇村の●●が、●●で〇〇した」というのが書かれている。カッパと出会った川も、神隠しにあった場所も、山男や天狗を見た場所も、座敷童子がいた家も、なんなら座敷童子が家を離れて目撃された橋も特定されている。これはとても面白い。しかも、登場人物の子孫が今も同じ場所で生きていたりして、物語が現代まで続いているのも、また面白い。


遠野は、何もない場所。とよく言われる。地元の人は特に言う。
しかし、その一見何もない景色・空間に対して、100年前に起きたことを想像するだけで、全く違うものに見えてくる。『遠野物語』の舞台は、決してフォトジェニックでも、インスタ映えする場所でもないかもしれないが、だからこそ味わい深い、そんな時代に逆行する新しさがあるような気がしている。

こうして、ますます遠野物語に魅せられていったわけだが、そんな『遠野物語』が置かれている状況は、なかなか微妙だ。

というのも、遠野物語研究所という『遠野物語』を専門的に研究する組織が2014年に閉じられた。高齢化と持続性が原因だった。74歳の大橋先生が最年少であったことも驚きだ。「遠野で後継者を作れなかったんだよね」、先生は出会った頃、寂しそうな感じだった。
また、観光に目をやると、まだまだ団体観光客・シニア層向けの施策が中心であり、時代とマッチしているとは思いにくい。さらに、『遠野物語』自体を知っている層が高齢化していることも問題だと思った。

こうした現状に対し、
・これからの『遠野物語』を考えていく組織をつくること
・時代に合った観光のあり方をつくること(脱団体&シニア層向け施策)
・遠野物語を若い層に伝えていくこと
・後継者をつくる、教育分野にも力を入れていくこと

などを、Next Commons Lab 遠野の有志メンバーと話しあった。
「これはきちんとしたプロジェクト、事業にしたい。」そう思った。

しかし、『遠野物語』に関する知識も人脈もまだ少ないし、プロジェクトの資金もない。

話し合った結果、まずは初年度である2017年は、自分たちのネットワーク内にいる友人・知人に声をかけ、『遠野物語』のこれからを一緒に考えてくれるメンバーを集めることにした。彼らと遠野でフィールドワークをし、遠野物語の可能性について探っていくことにした。


こうして7月21日〜23日、遠野物語フィールドワークvol.1を開催した。


今これを書いているのは、7月24日の夜。

今回のフィールドワークは、とても有意義なものだった!!

ライター、プランナー、研究者、写真家、デザイナー、エンジニア、ツアー企画者、リノベーションに精通した方、ブルワー、プロデューサーなど多様なメンバーが集まった。我々が「この人こそは」と声をかけた人たちだ。スタッフも入れ総勢20名で二泊三日、とても濃厚な時間を過ごした。

初日は、博物館にて遠野を"バトルフィールド"という遠野文化研究センター・前川さんからのユニークなレクチャーと、大橋先生からの熱の入った講義をしてもらう。

二日目は、序文に登場する道を辿るフィールドワーク。柳田が100年前に歩いた道を歩き、当時の景色や柳田の心情などを追体験した。途中、ポイントで序文を朗読し、読み解き方について話し合ったりした。
「柳田は孤独だった」「平地人である自分と、遠野で出会う人々・景色とを対比し、自分自身を省みたんだと思う」「黄昏と誰そ彼をかけ、夕暮れがそっとあたりを包んでいた」。色々な解釈ができて、とても面白かった。

姥捨の現場など物語の舞台となった山口集落や、観光協会で話を聞いたりした。その後は二代目カッパおじさんのリアリティのある話を聞き、夜は供養絵額が飾ってある善明寺さんで怪談ナイトをした。また、食事では、民泊の「大森家」さんや、座敷童子が出る「民宿とおの」さん、そして「早池峰ふるさと学校」にて、遠野を感じられる食べ物をいただいた。

最終日は、参加者も運営スタッフも混ざって3チームに分かれてディスカッション。『遠野物語』の本質はどこなのか、どこをPRするべきか。こんなツアーやイベント、サービスやインフラがあったらいいなど、、模造紙に書ききれないアイディアが生まれた。
多様なジャンルの人々が集まってくれたおかげで、『遠野物語』という一つのテーマから、様々な解釈ができたと思う。これも遠野物語のポテンシャルの高さ、そして「余白」なんだと思う。すぐに実現できそうなものもあったし、継続して深堀したいもの、色々出てきた。

参加者から『遠野物語』をテーマに取り組みたいことができた、次回も参加したいと嬉しい声も聞くことができた。これはとても嬉しい。やってよかった。大橋先生も、大変素晴らしい、と喜んでいた。

こうして無事vol.1が終了した。今年度はこうしたフィールドワークを繰り返していく。次も自分たちの周りで参加して欲しい人に声をかけていきたい。そして、助成金の獲得などを視野に入れた、具体性を高める作業も並行して進める。

また、こうした民俗学的アプローチから地域を見ることは、時代性にもマッチしている気がするので、奥州の蝦夷の歴史や、東北のアイヌの歴史など、幅広く見ていく視点も持ちたいと思った。同じ南部藩の八戸もしかり…


以上が、遠野物語プロジェクトの全容だ。


大橋先生からバトンを受け、腰を据えて新しい『遠野物語』の構築を進めて行きたい。後継者は、自分(たち)だと考えている。やりたいことは見えている。

思えば、前職の広告代理店時代から、もっと言うと大学時代から「地域資源の可視化・アップデート」がテーマであり、地域の博物館をアップデートするような自主プロジェクトも実施しようとしていた。大学受験では、東北芸術工科大学の文化財保存修復学科を受けようとしていた。

派手なプロモーションも嫌いではないが、自分がそこにいることで文化・歴史が続いていく、そんな取り組みをしたくて遠野に来たわけで、そんな諸々がようやく繋がってきたように思う。これまでの集大成となるようなプロジェクトになる気がしていて、とてもワクワクしている。強い意志と、仲間を大切にしながら、継続していきたいと思う。

中学生の日記のようになったが、やりたいことの本丸なのだから仕方ない。
「かかる話を聞きかかる処を見て来て後、これを人に語りたがらざる者はたしてありや。」。この心境に近い。

地域資源をどう編集し、磨き、発信していくか。または持続性を担保していくか。『遠野物語』と向き合うことで、その方法を学んでいきたい。


『遠野物語』プロジェクトは、焦らず、インナーマッスルを鍛えるように、自分たちの身の丈にあった形で進めていきます。遠野の方々、遠野から離れている方々、もし興味がある方がいましたら、ぜひ一緒に新しい『遠野物語』を作っていけたらと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?