玉響~タマユラ~玉響 1

1 出会い

空を飛んでいた。
爽やかな風が頬を撫ぜる。
どこまでも続く青空の中、爽快に飛ぶ。
風になる私…
遥か下に、豆粒のような街並みが見える。

「うん?何で私空を飛んでいるの?」

夢だからさ

その瞬間、私は人間だったことを思い出し、飛んでいるというあり得ない状況に驚愕し、大地へ向けて、真っ逆さまに落ちていった。

グイっと意識が引っ張られる感じがした。
白く輝く細いトンネルを、引っ張り抜けさせられたような感じがした。
シャンパンのコルク栓を開けたように、スポーンと転がり出た。

「ここはどこ?」
広々とした草原に、私はいた。

目の前に一匹の奇妙な獣がいた。
獏のようだが、動物園で見た獏とは違う。
ウサギのような大きな耳が、頭横に水平に生えている。
草原と同じような、明るい緑色の毛皮には、白い渦巻き模様がたくさん浮かんでいる。お腹から胸にかけては白いモフモフした毛だ。
尻尾は細長く、ライオンの様に、先に緑色の房毛がある。
大きな粒らかな瞳。その上下には、見事にカールしている睫毛が揺れている。鼻先に向かって細くなる顔の中央に、緑の毛の斑模様があった。

「アロー…」
奇妙な獣が声をかけてきた。
「あ、アロー…」
私も狼狽えたが、獣の言葉をオウム返しに言った。

「危なく目が覚めちゃうところだったね。」
獣が言った。
「あなたの声だったのね。」
私は落ちる瞬間の声を思い出した。
「だから、君を力いっぱい引き上げたんだよ。」
「それで引っ張られる感じがしたのね。」
「そう。あの光のトンネルが、夢へ来る道なんだよ。
みんなそこを通って、こっちへ帰って来るんだ。
で、そこを通って君たちの身体に戻る。忘れちゃっているだろうけどね。」
「ということは、ここは夢の中なのね。」
私は、周りを見回した。
「そうだよ。夢を見ていることに気が付きながら、今君は夢を見ている。」
「明晰夢とか、覚醒夢とか言うんじゃなかったかしら。」
「そう?」
「確か夢って、レム睡眠とか、ノンレム睡眠とか、眼球運動の狭間に…」
私はウル覚えの知識を、必死で追っていた。
「君たちの仲間は、何でもそんな風に、名前や理由を付けたがるんだねえ。
それで満足しちゃうんだよね。」
獣は可笑しそうに言った。
「だから、その背後にある広大な世界に気が付かない。
いや、あり得ないと思い込んでいる。全ては脳というものが作り出している雑風景だと思っているんだろうね。」
「あなたは誰?」
私は獣を、改めてよく見てみた。
「僕の名前はタマユラ。」
その獣”タマユラ”は言った。
「私は…」
その時私は、不思議なことに自分の名前を思い出すことができなかった。
「何だったかしら…えーと…確か、名前はあったはずなんだけど。」
悩む私を見て、タマユラはクスクス笑った。
その時、ふと言葉が浮かび、それがとても親近感を覚えた。
「ユラ、ユラだわきっと。でもおかしいわね。違う風に呼ばれる気もするけど、こっちの方がなじみがあるの。」
「それが本当の名前なんだろう。こっちへ帰って来たから、思い出したんだよ。」
タマユラが言った。
「こんなチャンスは滅多にないよ。
夢を見ながら夢見ていることに気が付く、これをしたくて、死に物狂いに寝る練習している君たちの仲間がいる位なんだから。」

2 私の心

「何で、私こうなっちゃったのかしら。」
私は、今自分が置かれている状況に、頭が混乱していた。
「それは、君が僕を呼んだから。そして僕が君を呼んだから。」
「あなたが私を呼んだ?」
「そう。僕はいつも君を呼んでいたよ。」
「聞こえなかったわ。」
「そんなことはないよ。聞こえているけど忘れているだけさ。」
「私は何であなたを呼んだのかしら。」
「君の心が、僕を必要としたからさ。」
「私の心?」

”自由になりたい”

言葉がふっと閃いた。
「それだね。」
タマユラが言った。
「自由になりたい?おかしいわね。だって今、別に不自由ないもの。」
私は首を傾げた。
「本当にそう?」
タマユラの粒らかな瞳が煌めいた。
「僕に言わせれば、君たちを入れておく器からして、不自由だと思うけれどね。
形を保つために随分苦労しているだろう。
人それぞれ、器の形は自由なはずなのに、勝手な規格品を作り出して、無理にそこに押し込めようとしているのは、傍から見て可笑しくてしょうがない。」
私には返す言葉がなかった。
「それに、つくづく君たちは、自虐的な遊びが好きなんだと思うよ。」
タマユラは言った。
「みんなが幸せを学ぶためにそっちに行くのに、学ぶことを忘れるほど、毎日に疲弊している。空虚な現実に振り回されている。
何でも自由なのに、自由の意味を忘れている。一度決めたら変えることは怖いと思い込むんだね。
こっちから見ると、影と相撲を取っているように見えるんだよね。
ユラだってそうだろう?あれしてみたい、これしてみたいと心に浮かばせるものの、結局は一歩も踏み出せないで終わっちゃうことが多いようだね。
巡り合った場所には、必ず学ぶべきものがあるはずなのに、見ようともしないで、日々時間の手綱をとれずに、逆に時間に乗られて終えていく。
もったいないことしているよね。」
タマユラは気の毒そうな感じだった。

確かにそう。
四十に近い私には、もう夢なんかないと思っていた。
日々無難に過ぎていけば、それでいいと思っていた。
独身の私は、良い母、良い主婦になることも叶わず、かといって、バリバリのキャリアを積んで活躍するでもない。
どうしよう、どうしようと思っているうちに、流されるまま生きてきてしまった。
このまま親を看取って死んでいくだけの人生なんだろうと、半分諦めていた。
世間から見ると、人生の落ちこぼれな女と思われるだろうと、身を縮めているような気がする。

そう、私の心は縮こまっていた。
カチカチに小さく固まっていた。
そう、私は心を解放したかった。
色んなものから自由になりたかった。

「夢の中だけでも、自由に何でもできればいいわ。」
「本末転倒だよ。夢の中で自由にするからこそ、そっちでも自由にできるんだよ。」
「じゃあ、私、今すぐ何でもできるのね?」
「しようと思えばね。
でも、そんなことすぐに飽きるよ。夢の本質に気が付くことができれば、もっとすごいことができるようになる。」
タマユラが言った。
「人は、自分の人生という冒険を全うするために、毎晩こっちに帰ってきては、新たに冒険に役立つような夢の種を持っていくんだ。
ついでに心の洗濯もするためにね。
でも、無自覚に、昼間の意識の雑念に細切れにされた夢に流されいるから、それに気が付かないんだね。
ユラも、意識的に夢を見れている今なら、この言葉の意味が分かると思う。」

3 漂う私

「せっかくだから、少しこの世界を案内するよ。」
その言葉に、私は周囲に広がる草原を見回した。
「何もないじゃない。それに、こんな広い場所、歩き回ったら疲れちゃう。」
「自分をよく見てみなよ。」
タマユラは可笑しそうに言った。

私は自分を見下ろした。
身体がなかった。
私は慌てて、頬に手を当てようとした。が、手がないのだから触れるわけがなかった。
私はいない。
でも、こうして考え、タマユラと会話している。
私は混乱していた。

「ユラ、今君は意識だけなんだよ。身体は君の部屋の布団の中でスヤスヤと眠っているのさ。
君の意識は、明日の活力を補うために、毎晩こちらに帰って来ているっていっただろう?君が覚えてないだけさ。」

「どうだい、案外とその状態は心地いいだろう?」
タマユラが尋ねた。

タマユラの言うとおりだった。

私の心のパニックが収まると、
実は今何とも心地よい、湯船に全身が浮かんでいるような感じで、まるで胎児に、覚えている訳でもないけど、戻ったかのような気分だった。
ユラユラと漂いながら、温かい宇宙に浮かんでいるようだった。
絶対的な安心感が、私のすべてを包み込んでいた。
漂いながら、タマユラの発する言葉が、ビジョンとなって空間に浮かぶをの目のない目で見ていた。
私の言葉もビジョンとなって、ぽっと空間に浮かび上がった。
浮かぶビジョン同士が重なり合って、会話が生じていることが分かった。

「大分その状態に慣れてきたみたいだね。」
タマユラの言葉が、心地よい響きを帯びて見える。
「私が見えるの?」
「もちろんだよ。こっちの住人には、普通に見える。
魂の状態と、振動が、その人の形をとるんだよ。
そうだね、ユラは純粋そうで、傷つきやすそうな小さな女の子の姿に感じるよ。」
タマユラは言った。
その途端、薄っすらと私は少女の姿に形どられていく気がした。
「その姿に意識を集中して。」
急に実体の感触を感じた、自分の幼い手の平を唖然と眺めた。
「四十になるのに…」
「君たちの人工時間は、こっちじゃ意味がないんだよ。」
タマユラは、楽しそうに言った。

「僕の耳に意識を集中してごらん。」
更にタマユラの声が見える。

耳に意識を集中?

私はタマユラを見た。
大きな耳が水平に生えている。
薄い皮膚を覆うように、柔らかそうな白い産毛が密集していた。赤い細かい血管が、薄い皮膚の下に、縦横無尽に通っているのが分かった。
「タマユラの耳は綺麗ね…」
私は呟いた。
私の声も、振動を伴って響く。
「ありがとう。さあ、耳に意識を集中したままでいるんだよ。」
タマユラは言った。

「まず、ユラがいつも行く、雑夢の広場に案内するよ。」
タマユラの言葉が響いた。
素晴らしいスピード感が私を包んだ。
タマユラの身体が、中空を滑走していたのだった。
悲鳴を上げそうになる私。
疾走感は恐ろしいほどだった。
私は、不安定な身体と、意識を、必死でタマユラの耳に集中させた。
私という存在は、今は空気の玉のような感じだった。
タマユラの大きな耳は、風になびき、後ろへと流れていた。

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