天川源

あまかわげんです。自分の心の 陰 のエネルギーを表現しています。

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最近の記事

ネットから離れてみて

「1週間ツイッターを全く見ないでおこう」 そこからインターネットの世界と少し距離置くようにしてみた。 そうしたら1週間どころか1ヶ月使わなくても全く困ならないじゃないの。 調べ物したりゲームしたりと、一切ネットを使わなかったわけじゃないけど、使う頻度はかなり少なくなった。 そうしてみると案外自分に時間を使えるものだ。 「時間がない」とみな言うけど、意味もなくスマホを触ってるくらいなら、ボーッとしたり、ストレッチでもしていた方がよっぽど建設的だよ。 おかげで前屈もかな

    • シャッターを切れなくて

      僕のアイコンのカメラは OLYMPUS OM-2 という名前。1975年に発売されたらしい。今から44年前だ。 父親が若い頃に買ったもので、それを譲ってもらった。と言っても僕の記憶に父がこのカメラを構えていた姿は記憶にない。写ルンですを持っていたのは覚えているけど。 3年前に実家に帰った時流れで父のフィルムカメラを譲ってもらった。ずっと使ってなかったので当然修理に出すことに。 デジタルの一眼レフも買ったりして、OM-2はしばらく使ってなかったけど、またフィルムカメラ熱が

      • どこから来て、そして

        久しぶりに早起きしたのでたまには朝に書いてみよう。 仕事に行く準備をして、洗濯もして、庭を眺めながら温かいお茶を飲んでいる。 まだ蚊がいる。 追い払おうとした拍子にティーカップを倒してしまった。まだ3、4口しか飲んでないのに。しょぼん。 でもラッキーなことに僕は今日も生きている。 【生きている】 とはどういうことなんだろう。この間家で話に上がったのは「生命って何?」ってこと。 シンプルに心臓や脳が動いていて身体機能が働いてるのが生きている状態。というのはみんなそうだね

        • ぼーっとする

          チコちゃんに叱られそうだけど、ぼっーとする時間ってあまりない。 だらけてる時は多々あるけど、何もしてないわけじゃない。不毛とわかっていてもスマホをいじったりしてしまう。 今読んでる本にも書いてあったけど、ぼーっとすることで脳に余裕ができるらしい。余裕って大事だよね。 僕は常に何かを考えている。頭で考えているだけではなにも変わらない。わかっていてもつい考えてしまう。 そのせいなのか、頭を空にする、というのが苦手だ。 今日も仕事の休憩中ぼっーと空を眺めていたのだけど、やっ

        ネットから離れてみて

          走行距離10年

          10年前の今日、僕は初めてバイクを買った。KLX250というマシン。 免許をとってすぐ買った。 つまりバイクに乗り出して10年経ったんだ。 一昨年の11月に新しいバイクに買い替えたので、約8年所有していた。 買ってすぐに東京に出て、置き場所やお金がなかったりした時期もあった。 新宿区に1年、豊島区に7年住んでいた。都心にいると自転車、電車、徒歩で事足りてしまうのもあって、乗ってない期間もあった。 初めて実家から東京へバイクで行った時、下道で半日ほどかけて走った。夜の真

          走行距離10年

          点より線

          今僕は江ノ島にいる。この投稿を見た人のタイミングによっては、家にいるかもしれないし、帰り道の途中かもしれない。 久しぶりに天気が良い休日だったので、バイクで出かけたくなった。 まだ体調が戻ってないから家で休んでようか悩んだけど、とりあえず動きたくなったんだ。 でも行きたい場所がわからなかった。あるにはあるけど遠かったり日が短かったりと、なにかしら言い訳して近場を走ることにした。 なんとなく箱根に向かった。何度か言ったことのある場所。着いたはいいけど何をするでもなくすぐ

          点より線

          晴れでもなく雨でもなく

          イエスかノーか。 良いか悪いか。 この世界の仕組みとして表裏一体があると思う。 陰と陽、表と裏、光と影。片方だけが存在することはできず、もう一方があるからこそ存在しうるもの。 だからなのか白黒ハッキリさせないと気が済まない傾向が世の中にはあると思う。特に頭の硬い大人たち。 かく言う僕も前回、「2種類にわけた」例を出した。けどその事は棚に上げて進めます。 でも当然なから、どちらか2つにしかわけられないわけではない。曇り空とか、○×の間にある△とか。 2つの方がシンプルで

          晴れでもなく雨でもなく

          アーティスト

          先に断っておきます。今回はいつもより偏見やジェラシー成分が多く含まれているかもしれません。てへ。 この前とある記事を見た。俳優のウィル・スミスが来日した時のこと。会場のYouTubeクリエイター達にこんなことを言ったそうだ。 『人々が望んでいるものや好きなものを作ってしまう、という誘惑はある。 でもそれはとても危険なこと。自分の中でどうしてもこれを伝えたいというものを伝えることが一番大事。 それはとても怖いくて危険なことだし、気に入ってもらえないかもしれない。でもやはり自

          アーティスト

          変わっていく

          今日は歌をうたいたくなった。 夕飯を作りながら、お風呂に入りながら歌った。 ふと思った。僕が聞いている曲が偏っているのかもしれないけど、なんだか「変わらないもの」を大切にしたい、と歌っている歌が多い気がした。 「変わらないもの」というとそのまま奥華子さんの歌だけど。 変わらないものってなんだろう。たぶんそのままの意味じゃなくて、軸というか、核のようなものなのかな。 変化は今この瞬間にも起こっている。昨日の自分と今日の自分と明日の自分は同じじゃない。 でも自分たらし

          変わっていく

          ちょっとお休み

          書こうとしてたことがあったけど、まとまらなかったので書くのをやめた。 また書きたくなった時に書こう。 風邪の引き始めっぽいのでちゃんと休もう。 病が治った時は身体が生まれ変わっている。

          ちょっとお休み

          システムの中で

          人間がつくったもの。物質であったり精神的なものであったり。始まりに遡るとそこにあるのはある種の「善意」だと思う。 こういうものがあったらいいな。便利になるだろうな。そういう思いでつくられたものは多いんじゃないだろうか。 社会制度、システムだって最初は人々の暮らしをより良くする為に生まれたはずだし、ちゃんと機能していたはずだ。 けれども世の中は移ろい変化していく。役目を終えた、有効であった時代は終わり、形骸化して残り続けてしまったシステムも多い。 しきたりや風習、会社の

          システムの中で

          家族という繋がり

          血が繋がっている。 基本的に家族たらしめるものが血縁。 血が繋がってないと「本当の」家族じゃないと言われる。 でも養子なんかは血縁に関わらず家族になれる。 家族ってなんだろう。 血縁でも親子で仲が悪い人もいっぱいいる。縁を切ってしまうほど相容れない場合もある。 虐待をしてしまったり、様々な理由から家族という関係性がなくなってしまうこともある。 職場の人に「家族って呼べる人ってどんな人ですか?」と聞いみた。 「自分のためではなくとも本気になれる人」と答えてくれた。

          家族という繋がり

          心は健常者?

          常識的に考えて変な人に対して「障がい者」と言う言葉で罵るのをよく目にする。 大した意味もなく使っているだろう。誰かが言い出したのを面白がって、あるいは自分のコミュニティにおける面白い共通言語的な解釈で使っているのかもしれない。 ハンデを生まれ持っている人もいる。僕の兄もそう。 色々と大変なことはあったけど、兄の存在を疎ましく思ったことはない(幼少期の刹那的な感情はあったかもしれないけど) 家族もそうだ。悩むことはたくさんあったけど、1人の人間として、家族として受け入れて

          心は健常者?

          寂しいよね

          いつも似たようなことを書いてる気がするけど。 失敗した人(勘違い程度のものから犯罪まで)がいると寄ってたかって避難する。 そうすると「自分は間違えていない側」になれる。 正論を言って支持されている人の側にいれば攻撃される心配は少ない。 いじめもそうだ。いじめている側にいる(自分は直接何もしてなくてと当事者と仲が悪くないらないようにする)と自分はいじめられない。代わりに誰かが傷付く。 卑劣だと言うかも知れないけど、仕方ないのかもしれない。誰だって痛い思いはしたくないし、

          寂しいよね

          1人の人間と1人の人間

          多くの大人は子ども対等であろうとしない。 乳幼児だとまた違うけど、幼稚園児や小学生に対しては自分の方が優位だと思うだろう。 単純に筋力で言えばそりゃ大人の方が強い。けどそれくらいしか子どもより強い部分はないと思う ただ僕らの方が少し早く産まれただけ。 小学校の学童で働いていた時にも感じたけど、子どもを「子ども扱い」している大人がしばしばいる。 子ども扱いというより「幼児扱い」といった方が適切かもしれない。 大人の方が偉い、賢いって思っているように見えた。 僕は子ど

          1人の人間と1人の人間

          指先ひとつで出来るのに

          この前も久しぶりに連絡をとった友人のことを 書いたけど、また似たような話。 別に仲違いした訳ではないけど連絡をとらなくなってしまう人。 またね!とか、今度ご飯行こ!とか言って別れるけれど、なかなか連絡をしない。 スマホを指でちょちょいって操作するだけで簡単に連絡できる。なのにやらない。たったこれだけの動作がとても億劫。ちょっとエネルギーもいる。なんでだろ? 会いたいな〜とは思うけど、連絡するのが面倒って感じたりすると、「本当はそんなに会いたくないのかな?」って考えてし

          指先ひとつで出来るのに