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あの頃、コモンカードの束で遊んでいた。

どうも。ポケモンプロプレイヤー(Sponsored by カードラッシュ)として活動しているあむ(@4mutaaaN)です。これはプロになる前に書いたポケモンカードの思い出記事。時間がある時に読んでください

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ふと昔のことを思い出すことがある。

始めたばかりの頃、とーしんとか同じ学校の仲の良い友達たちとコモンカードの束で遊んでいたこと。初めて小さな店舗大会で優勝した時のこと。

最近ポケモンカードを取り巻く環境は目まぐるしく変わっている。以前に比べ圧倒的にユーザー数が増え、転売問題やらパックが買えないやら色々な話が合わさって、気疲れしてしまうことがある。
そんな現状を見ていると、ついつい「昔はよかったよな」とかカードゲーム老害おじいちゃんみたいなことを考えてしまう。今日の話はそんな昔の話。

個人的に色々な出来事があり(※ちょうどこの頃プロが決まった)、今までのことを振り返る良いタイミングなので書いてみる。

マジでただの自分自身の思い出話だし、これを読むことで何か得られる訳では全くない。暇な時に暇つぶしとしてよしなに。

■カードゲームの原体験

最も昔の思い出は幼稚園の頃。祖父に買ってもらった遊戯王だった。
元々高知県のド田舎暮らしだったため、カードゲームで遊ぶ相手もおらず、歳の離れた兄と謎ルールで対戦していた。楽しかったかどうかはわからないが、それなりに熱中していた気がする。

小学校に上がった頃、親の転勤で東京にきた。
共働き家庭だったことや、仲の良かった兄が全寮制の中学に行ってしまったことで、家で1人でいることが多くなった。当時としては珍しく家にPC環境が整っていたため、小学1年生の頃からPCゲームに熱中する日々だった。
とはいえ小学校の友達や、近所で遊ぶ友達が次第に増えていき、小学生らしくテレビゲームやカードゲームをプレイすることも多くなった。

しかし小学3年生になった頃、その日々は突如変化した。受験戦争の始まりだ。

気が付けば我が家は「ゲーム禁止」「カードゲーム禁止」という制約に縛られ、持っていたカードは全部捨てられた。悪魔的所業。
友達の家でゲームしたり、カードゲームで遊んだりすることも禁止され、心のオアシスは塾をサボって駅前のネカフェで遊ぶブラウザゲームだけだった。それも30分100円かかるので大してプレイすることも出来ず、勉強以外にやることがなくなった自分は自然と勉強にかける時間が増え、成績が向上していった。

結果受験戦争には完全勝利し、「開成中学校」という天才たちの集団に入り込むことが出来た。(色々あったが、とーしんとか優秀な人達と出会えたし、就活やら何やら楽なので感謝している。)両親もこの結果に満足したのか、中学生になった途端「ゲーム」や「カードゲーム」が解禁され、兄貴からは合格祝いにプレイステーションを貰った。

禁止という制約から開放された自分は我を見失うほどゲームにのめり込んでしまい、日が出ている内はプレイステーション、寝るまでの間はPSP、親が寝てからは週5日徹夜でブラウザゲームをプレイしていた。完全にゲーム中毒。本末転倒。学校でも授業中ほぼゲームか睡眠しかしていなかった。

これを読んでくださっている親御さんには是非禁止なんていう行為はしないでほしい。一時的には良いかもしれないが、人生全体で見れば逆効果である。何事も適度な関係が一番だ。

話がズレたが、そんな感じで中学生以降ゲーム・カードゲームに人生を捧げることになった。ゲームの方は1日16時間ほどMMOをプレイしていて、それなりな結果を残したこともあったのだが、その話はまたどこかで。

■高校生の頃に再度出会ったポケモンカード

ある日おじさん夫婦と甥っ子が東京に遊びに来るというイベントがあった。
どうやらその甥っ子はポケモンカードにどハマりしているらしく、「甥っ子用のプレゼントを買って来て」と親に頼まれた。

当時高校生だった自分はポケモンセンターという場所に行くのに少々気恥ずかしさがあったものの、プレゼント代に5000円も貰ってしまったため行かざるを得なかった。

当時ポケモンカードは1パック300円で売られていて、ポケモンセンターで15パックを買った。でも(なんか15パックってキリ悪いし上げすぎだし、甥っ子にあげるのは10パックでいいよな…)と勝手に解釈し、余った5パックを自分で開けることにした。良いカードが出れば売れるだろうしアドを稼ぎに行くタイプのクズだった。

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そして久々に購入したポケモンカードを開封したら、そこには「アルセウス LV.X」と様々な色の「アルセウス」というカードがいた。キラキラ光っていて、かっこよかった。

幼少期にゲーム禁止だったこともあり、ポケモンのゲームは未プレイ。ポケモンというコンテンツもほぼ知しらなかったため「アルセウス」というポケモンのことも知らなかった。ただ、そのカッコ良さに強く惹かれた。

惹かれたんだけど、真っ先に気になったのはカードの値段。

いくらで売れるんだろうこれ、これ売ったらアレ買えるかな、みたいな不純な動機。それを聞くために学校でとーしんに声をかけた。

とーしんとは中学校時代部活が同じだったこともあり、彼がポケモンカードをやっているというのは知っていた。
改めて今考えると、よくとーしんは仲良くしてくれたなぁと思う。今でこそエゲツない行為だと認識しているが、当時悪魔的な性格をしていた自分は中学生の頃とーしんのDSを勝手に操作してポケモンをめっちゃ逃した。ごめん。
そんな自分にポケモンカードのことを教えてくれ、仲良くしてくれたわけだ。完全に聖人である。ポケモンカード聖人。

それ以降なんとなくポケモンカードに触れることが多くなった。
仲のいい4,5人で、放課後にとーしんが持っていたカードの束(段ボールにコモン、アンコモンのカードがたくさん入っていた)から好きなカードを選んでデッキを組んで遊んでいた。

何故か今でも覚えているが、俺がバタフリーラインを揃えて、これは勝ったなって思ってたらとーしんのペリッパーデッキに負けた。なんで覚えてるかはわからないけど覚えてる。

自分のポケモンカードの原体験はここだった。強いカードに興味なかったし、コモンカード・アンコモンカードの束からデッキを組んで遊ぶだけで楽しかった。

ただ当時カードゲームみたいな思考が必要なゲームに関してはちょっぴり自信があったため、少しガチな環境や大会に出てみたいと思うようになり、少しずつデッキを組み始めてジムチャレンジ(現在のジムバトル)に出るようになった。
始めの頃の自分のデッキは本当にひどいもので、サーナイトデッキはカードが足りなくて3-4-3みたいな進化ラインだったし、やりたいことをひたすら詰めるだけのおもちゃ箱だった。

当時亀戸にあったチェルモ(2010年閉店)によく行っていたのだが、世界チャンピオンのkomaさんがいたり色々強い人がいて、当然負けまくってボコボコにされる毎日。

色んなデッキを使ってカジュアルに楽しんでいたけど、自分の中でポケモンカードに対するモチベーションが劇的に変化した出来事があった。

■モチベーションの変化

ある日秋葉原チェルモのジムチャレンジに参加した後、秋葉原マック地下1階で、とーしんや仲良くしてくださっていたお父さんプレイヤーの方々とポケモンカードの話をしていた。
その中で出て来たギミックがオーダイルGR+アルセウス(水)+アルティメットゾーン というものだった。

オーダイルGRのポケパワー(※)で水タイプのアルセウスにエネを加速し、
(※自分の番に何回でも使える。自分の手札の水エネルギーを1枚、自分の水ポケモンにつける。

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アルセウスLV.Xや、アルティメットゾーンを用いてアルセウス(無)の技「てんのやり」(※)を使って相手の場を蹂躙して行くといったもの。
(※無3エネ:相手のポケモン1匹に、80ダメージ。自分のエネルギーをすべてはがしてロストゾーンにおく。)

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進化前の種ポケモンや、当時ドローソースとして活躍していた「ユクシー」「ネンドール」などHP80以下のポケモンが多い環境でよく刺さっていた気がする。

初めて自分で見つけた強そうなコンボだった。他人が使っているカイリキーやゲンガーやサーナイトではなく、自分で見つけた思い入れのあるアルセウスのコンボ。

ポケモンカードを始めるきっかけになった「アルセウス」を使ったデッキというのがお気に入りだったし、実際に回してみると結構戦えるやつだった。

そしてそのデッキで初めて、ジムチャレンジという店舗大会で優勝することが出来た。2009年10月の頃らしい。
そこから自分のモチベーションが一気に変わった気がする。勝利の味を知ったのだ。どのようなタイトルでもそうだと思うが、人間は成長を実感している間が1番楽しめる時期だと思う。この時はまさにそう、日々自分が強くなっていくことに強い快感を覚えていた。

そしてジムチャレンジで勝つという目標から、ジムチャレンジで優勝しまくるに変わり、さらに上の結果を目指すようになった。もっと高い景色が見たい。

■人生で最もカードゲームに打ち込んだ時間

高校時代に一気にモチベーションが変わった自分に、ある環境の変化が訪れた。

「浪人」だ

当然のことだが、ポケモンカードやネットゲームに時間をかけ、中高6年間ほとんど筆記用具を握らなかった自分は余裕で浪人した。それは周囲の友人たちも同じであった。
高校から予備校へと環境は変わったものの、ポケモンカードをやる友達共々同じ御茶ノ水の予備校へと進んだため、逆に無限にポケモンカードをする時間を手に入れてしまった…

マジで無限にやった。毎日10時間ほど朝から晩までポケモンカードをやっていた。さらに練習効率というかしっかりとポケモンカードを強くなることを目指して練習したため、どんどん力がついていったのを覚えている。
間違いなくこの頃にやり込んだ経験値は今でも生きている。

そんな圧倒的な練習量のおかげかわからないが、浪人期が終わってすぐの大型大会バトルカーニバルスプリング2013(2013年度世界大会の権利をかけた大型大会)はいい成績を残すことが出来た。

とーしんがスイクンテラキオンとかいうスパムデッキで名古屋大会優勝、その翌週の東京大会では自分がカメケルブラックキュレムEXで見事準優勝した。
この頃は確か全国で4会場ほどしかなかったし、自分は東京大会のみの参加だったので十二分な成績だったと思う。

大型大会で入賞という目標を達成してしまった自分にとって次に見えてきた大きなステージは1つ、「世界大会」だ。

その夏自分は世界大会のLCQという現地最終予選に参加していた。
国内で勝っていたこともあり、絶対に勝てる自信があって意気揚々と挑んだものの、結果は2回戦で敗退。

1ターン目にほぼ確定で1キル出来る最高のチャンスを得たにも関わらず、後1枚デオキシスEXが引けず失敗。そこからプレイが乱れてしまいプラン通りにサイドを取り切ることが出来ず時間切れ。
その際にジャッジの発言を勘違いしてしまい、時間切れの裁定をサドンデスと思い込んで盤面を片付けてしまって、再現不可能となり負け。

正式なルール通り延長戦になれば勝てた試合だったので、とにかくメンタルにきた。会場の雰囲気は最高だし、同じポケモンカードというツールを元に海外のプレイヤーと対戦したり交流したりするのは本当に楽しかったが、やはり自身の不甲斐なさはずっと心に残っていた。

■カードゲームから離れた

世界大会が終わった後、なんというか燃え尽きた
大学生になったんだし、ちゃんと大学生活を送ろう、真っ当な人間になろうと。そうして大学生活に逃げていった。

そこからはポケモンカード引退期へ。
2014から2018年はほぼポケモンカードに触れず、国内予選も1,2年に1回出るか出ないかみたいな状態。

その間にとーしんは世界大会を優勝していたし、知っている人はドンドン実績を出して世界大会に行っていて、ずっとそれが心に引っかかっていた。

あの頃一緒にコモンカードで遊んでいた友人たちの活躍。小さなジムチャレンジで出会った友人たちの活躍。
ポケモンカードをやっていない癖にそこでグダグダ考えちゃう自分に対して、「ゼミ」「インターン」に打ち込むことで常に言い訳をしていた気がする。

結果的にそれはそれで良かったし、ネガティブな感情だったけど本気でプロダクトに打ち込めた。RAGEの運営とか、プロリーグを作った話はまたいつか言える範囲で話をしてみたい。

■結局戻ってきた

そんな感じでポケモンカードから逃げていた。

でもたまたま、本当にたまたまチャンピオンズリーグ横浜2018で3位入賞をした。事前情報も全くなく、前日の練習で環境デッキやカードテキストを把握するレベルだったが、とーしんの作ったデッキが強すぎて予選全勝しそのまま3位入賞。

準決勝がvsとーしんで完敗だった訳だが、本当に上出来だった。
当時の準決勝は今でもニコ動で見れるらしい、11h15m頃。マジで友達同士の雑な対戦なのでプレミアム会員の人は本当に暇な時に見て。

シーズン最初の大会で入賞したものの、WCS2018シーズンは結局仕事の関係でほとんど大会に出られずそのまま終わり。完全に消化不良。
再度ポケモンカードから離れるか、考えた。

ちょうどその頃自分自身の環境が大きく変化するタイミングだった。
学生時代から長年関わってきたプロダクトから離れたり、新卒として新たなプロダクトに携わったり、実家を離れて渋谷で暮らし始めたり、本当に一気に変わった。

そんな中、自分の人生を改めて考え直した時に「日本代表になって世界大会にリベンジしたい…」という想いがどうにもこうにも引っかかったまま取れない。これはどうにかしないとずっと引きずり続けることになりそうだな、と考えWCS2019シーズンの始まりと共にガチでポケモンカードを再度やり始めることにした。
そうしてかつて一緒に戦った友人たちに連絡を取ってまた競技シーンに復帰し、今に繋がっている。

まだまだ道半ばで、この先に何があるかはわからないけど、振り返って後悔しない人生にしたい。
始まりはただのコモンカードの束だったけど、いつしか本気で世界を狙いたくなってしまった。そんな自分の思い出話。

■最後に

2019年4月から、カードラッシュにスポンサードされプロプレイヤーとして活動することになりました。
なんとなく買ったあのパックから全てが始まり、出会いがあり、そしてここからプロとしてまた新しい道が始まる。なんかおもろいな人生って。

で、いつも思うのはポケモンカードの楽しみ方は人それぞれ、周囲に合わせる必要性はそんなにない。
やりたくないと思った時は休んでいいし、やりたいと思ったらやればいい。自分が楽しいと思う状態で遊ぶことが結局一番長続きして楽しめる方法。
近年ポケモンカードを取り巻く環境は日々変わっているし、それに疲れたと思ったら無理しなくてもいいよ。
でも一緒に遊んだ仲間や友人だけはポケモンカードから離れても大事にした方が良いと思う。

自分自身何回もポケモンカード辞めたし引退したけど、結局今プロとしてこの場に立っている訳だしね。
自分はとにかく世界大会に行きたい。そこでまた燃え尽きてしまうのかどうなるのかはわからないけど、とにかくあの舞台にまた立ちたい。そう考えて今生きてる。今は情勢的に世界大会がどうなるかもわからないけど、いつか絶対あの場は復活するし、その時にまた同じ後悔をしないように、今もポケモンカードをプレイし続ける。

そんなコモンカードで遊んでいた自分の思い出語りでした。長文最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございます。

これからもよろしくお願いいたします。

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