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外見が生む少し高い壁を作る人と、壊す人と、乗り越える人と、その違いは何だろうか。

 ユニークフェイスの人達の恋愛や人間関係について考えてみる。 

 最近は専らオンライン通話で話す機会ばかり。フィジカルな対人関係はこのまま消えていってもそんなに困らない気がしてきている。
ところで、少し前にテレビ電話で、自分の顔を女性から男性に変えられたり、メイクができたり、別人のようになれたりと、色んな機能があるサービスを知った。(cf.Avatarify)

 この機能を見た時、犯罪の匂いと、男女の恋愛観に少し変化が出そうだな、くらいにしか思わなかったのだけれど。
今日「All I Want / Kodaline」のMVをおすすめしてもらって、すっかり忘れていたこのAvatarifyのサービスを思い出した。All I Wantにユニークフェイスの男性の恋愛の様子が出てきていて、その恋愛は美しく見える。


 唯、そうした実体験の無い私には心からは理解できない程の苦悩があるんだと思う。もっと格好良く生まれたかったな、と思う事は結構頻繁にあるけれど、そんなレベルでないのは当然で、コンプレックスと呼ぶのも憚れるものではないだろうか...私には言及する資格もない事だ。

けれど、確か去年、ユニークフェイスの夫婦の写真展を見た時に、凄く嬉しくなった事があった。

 多様性への理解、態度、に関しては以前も何度かnoteに書き綴った事がある。端的に言うと、人間は人間(ヒト)でしかないので、そこになんの線引きもないと思っている。(先天的にも後天的にも)
 唯、個々の感じる壁の高さは人の特性により変わる事が多い社会だ。ユニークフェイスの人が、人より痛みが分かるから優しいとか、その逆かもとか、そんなまとめ方をする事は出来ず、その人に向き合うことでしか分からない事ばかりなのは当然だ。

 そんな中で、今現状外見で苦労する事があるのなら、これはユニークフェイスの方に限らず、先ほど紹介したような機能を使ってテレビ電話をする事で、対人関係に感じる壁を少しは低くする事ができるのかもしれない。

 外見で結婚を決める事と、内面で結婚を決める事、それ以外の理由で結婚を決める事、恋愛する事、友人になる事、どれが良いか悪いかの話ではない。それはすべて各々の価値観でしかないし、どれかを否定する事が多様性への態度を歪めていく。

 某助教授がたまに、「俺、障がい者に対して適度に雑だから」とよく言っている。そんな事を言いながら、障がい者の生活を支援するテクノロジーをひたすら造っていて、つまりそういう事だなとよく思う。この言葉だけ切り取ると恐らく誤解されるだろうけど、ここには凄く共感していて、恋人や家族以外を特別視する事は私もない。

 唯、特別視はしない上で、困っている事に気付いたら助けたいし、助けるし、出来ることは全力でやりたい。そこにはなんの線引きもない。出所したばかりのおっさんに助けを求められても、応えると思う。(応えた事がある、これに関しては祖母以外、誰にも賛同されない。)

 そんな訳で、先ほど紹介した写真展を特別視する気は全くないのだけれど、シンプルに「良い顔して笑ってるな」「幸せそうだな」と思って嬉しくなった。これは普通の家族写真を見てもよく思う。ただ、こうした写真展が開かれるくらいには、人より壁が高いんだろうな、と思って、何かできることあるかな、程度には考える。

 お互い美男美女の外見を借りて、テレビ電話を数か月して恋に落ちて、実際会った時に違う外見だったとして、好きな気持ちが消えたりするのだろうか?これも人によるんだろうなと思う。ただこうした見た目に捉われずに人を見る機会って意外とないなと思うので、今しかできない事の一つとして、やってみると良いのかもしれない(恋愛だけに留まらず)

  All I WantのMVで女性が最初に叫ぶのが、少し高い壁。それを消せるテクノロジーは使った方が選択肢は多い。その後の苦悩はだれでも一緒だし、また同じ壁をつくってくる相手とは(その相手の価値観が変わるまでは)距離を置くことも必要だと思う。距離を置く事の痛みはあるけれど。

 全然関係ないけど、同じタイトルでもここまで違う歌詞とメロディが生まれる言葉って素敵だなと思った。

ドラえもんに聴こえるやつ。 



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