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そういえば変化を嫌う人の方が多かったなと今更気付いた。

 思ったより、世間て変わらなそうだなと思うこの頃(というか今日)
韓国やフランスの様子を見ていて、日常が戻ってきたことに歓喜していて、元々の日常を楽しんでいるような雰囲気。

 一般的な目線で考えればそれもそうで、日本においても、ハンコをずっと変えずにいた(大多数が違和感なく使っていた)国民が、大きな変化を求めているとは考えにくい。新しいテクノロジーとしてスマホが普及したのは便利で、思考停止する気持ちよさ(なんの生産性もないゲームとか)があるからであって、そこに一定の思考を必要とするデバイスやサービスが新たに登場しても受け入れられにくいなと思う。

 とはいえ今回の事でやむを得ず、少し調べながらUber Eatsを頼めるようになった人や、Youtubeで勉強して自炊が出来るようになった人、ZoomをDLしてやり取りする人、は一定数いるので、そのうち一部は変化したまま生活をしていくだろう。思っていたより大した変化にはならないのだけど、まあ一か月程度ならこんなものかという感じだ。これがもう一度、二度、と短いスパンで繰り返されるならもう少し変化するかもしれない。

 反省点はその一般的な「変化を嫌う国民性」を忘れてしまっていた事。研究室のメンバーや、塾生との交流、NewsPicksの意見ばかり浴びていて、ITや政治経済に疎い層とのコミュニケーションを避けていた為、世間の目線を忘れたまま思考を進めていた。この辺のバランスを取る為に、普段学生と他愛ない話をしたり、高齢のお客様に質問したりしていたんだけれど、一か月も家にいる間にそれを忘れていた事に今更気付く。

 世間、という大きな括りで考えるのはリスクがあるけれど、今回のような「変化を嫌う世間」は一人ひとりが持っているものだと感じる。この世間を無視する事も必要だし、寄り添う事も必要で、そうした人たちに支えられている事も忘れてはならない。
 コロナ前後で変化をした人もそうでない人も、少し距離は空いたけれど、お互いの事を否定せずに生きていきたいものだ。

 とはいえ、オフラインの経済圏も8割くらいの規模にはなるので(今回のオンラインに移行した層が2割程度いるとして)、従来を求めるのは無理がありそう。期初予算を前年ベースで考える、みたいなことはあらゆる事において避けた方が良さそうだ。

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