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身体性を確保できる場所で生活したくなってきた話

 特定警戒都道府県以外の、新規感染者数がほぼゼロに近くなってきている。とはいえ、県境をフリーにすればまた増えるだろうし、自粛生活に終わりは見えない。そんな中、都心に住むメリットは何があるだろう?

 細かい議論はさておき、仮に県境をある程度封鎖すれば感染が拡大しないとして、地方に住む人はビフォアコロナの身体性を殆ど失っていない。それに引き換え、自粛と解放を繰り返す3密が平常運転な都心などは、身体性が死ぬ時期と、少しばかりの身体性を獲得する時期とを行き来する。

 いっそのこと、身体性を無視したデジタルヒューマンとして生きていける道を切り開いていければ、それも一つのニューノーマルになると思う。
唯、連休明けの人の動きを見ているとニューノーマルになれる人はごく少数のようだ。もう少し高解像度のデバイス、面積の大きいスクリーンが何枚か、そして双方の通信速度が高速であればそれほど困らない気もしているんだけれど、それにはまだまだコストがかかる。

 ここからは希望でしかない話。

抗体検査でリスクが低い事が証明出来たとして、地方に引っ越せたら身体性を保ったビフォアコロナの生活が出来るとする。ニューノーマルは仕事において必要になるけれど、それは強制的に身体性を奪われるよりもストレスが少ないのは間違いない。

 地方のカップルは平時通りデートをするだろうけど、都心に住むカップルはそもそも会う事も憚られて、家族以外の人と接さないニューノーマルに堪えられず崩壊する人間関係も多くなる。そうした中で、アドラー先生よろしく「すべての人の悩みは人間関係に起因する」のであれば、都心で生活するメリットって何だ?

 大型地震が何十年以内に来るから、ここには住まない、って話は日本国内においてはどこでも同じだから気にしても仕方ない話だと思っていたけれど、今後も発生するだろう感染症においては、地方に住めば確実に避けられる話である。

 今回のコロナ状況禍においても、ハーバード大学の論文通り仮に2022年までは自粛と解放を繰り返す社会であり続けるなら、解放したタイミングで早いとこ地方に移れれば、残りの2年間の幸福度は大きく変わりそうだ。

 マタギドライブを、地でいくには都心は適さないなと考えている。もしくは、身体性や人とのつながりに期待せず、山籠もりする仙人みたいなマインドを身に着ける方が早いんだろうか。これも過渡期の思考に過ぎない。


 過密を良しとしてきた社会構造が変わるのは間違いなく、都心に住むメリットよりデメリットが大きくなってきた。その議論はビフォアコロナの時からされてきたことで、ウィズコロナでその時期が早まっただけだからこそ、早いところ開疎化していくことが必要だと考えている。
 もしくは、身体性を捨ててでも密に居続けるメリットを見つける事か、このままニューノーマルになるストレスを乗り越える事か、選択肢は広がっているなと思いつつ、2021年に誰と何をしているのか、全くイメージが出来ていない。きっと誰もがそうじゃないだろうか。

 身体性を失った人間のメンタルがどういう変化をするのかが分かった事は大きな収穫かもしれない、インドア、アウトドア、みたいな言葉が死語になっていく日もそう遠くない。

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