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ハンコ注射は皆にもあるから自分も気にならない、みたいな思考停止と同調圧力の傷を舐めて生きる期間は短い方がいい。

 ふと着替えてる時にハンコ注射の跡が見えて、そういえばこれって何のために打つのかとか、打つことによる跡が残ることとか、幼心に説明されたっけな、取り合えず皆打つのか、程度の記憶しかないなと思い出す。

 で、改めて調べてみるとそれは結核から10年程度自分を守る為のものだったと知って、なるほど納得した。唯、その時に結核がどれくらい怖い病気かとか、そういう説明は無かったのかなーどうだったのだろうと思う。別にハンコの跡が二の腕に一生残ろうが気にしないんだけれど、一つの傷跡としたら気になる人もいるのかなとか考える。

 例えば自分は、中指に彫刻刀を刺しちゃった跡がずっと残っていたり、腕に鉛筆を刺された時の黒鉛が数年は残っていたりしたんだけれど、それは少しだけ気になっていたり、その時の事を思い出したりしたなと思い出す。じゃあなんでその傷跡は(そんなに目立たないのに)気になるのかというと、他の人には無い傷跡だからかもしれない。

 例えば、大事な人に対してはじめて自分の体を見せる時に、少しばかりの傷跡でも気になる。それがハンコ注射となると、まぁ皆にあるものだよね、という感覚。共通の記憶に依る親しみもあるかもしれないけれど、「皆にあるものだから」という同調圧力を感じざるを得ない認識に違和感を覚える。

 仮に、二の腕に刺青をいれたくなったとして、ハンコ注射の上には綺麗にのるのかなとか、海外でモデルで活躍する時は、そこにファンデーションでも塗るんだろうかとか。些細な事でしかないけれど、一生残る?かもしれない跡に対しての説明と同意はあったんだろうか。

 そんなどうでもいいことを考えつつ、義務教育での期間は自分の周りの大人から言わせると「大切な期間」で「絶対的な教え」だったらしいと思い出す。確かに、担任の先生がいう事は絶対だと思っていた生徒(ともだち)が多かった気もするし、それよりドキュメンタリー番組や本に書いている事を信じていた自分にとっては、記憶に残るような先生は(正確に言うと先生の言葉や行動は)いないなと思う。

 当時の自分の夢は、東大に入ってJAXAに入って、NASAに入って、宇宙の研究をすることだった。なんでそうなったかはいまいち思い出せないんだけれど、「まだわかっていない」事がこの世にある、というのが義務教育の日常の中からはかなり逸脱した輝きだった感覚は残っている。
 唯、同時に思い出すことは、そんな夢を語ると、意外と理解されない事だった。「なれっこない」みたいな反応をよくされたなと思って、まぁ実際なっていないし、これからもそうなる予定は無いんだけれど、(60歳くらいには近い事をやってる気もするけど)あの無条件な同調圧力は義務教育の嫌な思い出だ。

 で、話を戻すと、そうした義務教育での「せんせい」や「おともだち」の反応に屈した人達ってのは結構多い気がする。人と違う事をやめた人もいれば、表に出さなくなった人もいるし、反発し続けた人もいる(自分)と思う。そうした記憶をハンコ注射から思い出した。

 そういう意味でこのハンコ跡は義務教育の記憶を思い出させるツールとしてはなかなか良い働きをしてるのかなぁと思う。ハンコ跡のお陰で嫌な気持ちを思い出せた訳だ。これは決してネガティブな感情ではなくて、反骨精神とか、幼いころのワクワク感とか、ポジティブな孤独感とか、そういった類のものだ。

 そんな事を考えてハンコ注射の後に感謝しつつ、九九を覚えるのが学年で一番遅くて滅茶苦茶恥ずかしかったこととか、プールで25m泳げるようになるのがこれまた学年で一番遅かった事も思い出した。そのお陰で一生懸命勉強してテストは全部100点で通知表はオール5だった事とか、水泳の時間は殆ど本を読むようになって沢山の歴史や文学に出会えた事とか、今思うと笑い話だけれど、当時の自分からすると学校に行きたくなくなるような大事件は、全部良いきっかけだったと思う。

 けれどやっぱり、小学校で成績優秀だったことは何も残らない。試験を突破するための勉強法(ただ机に向かい続ける筋力と、出題者のお気持ちを察する力)は身に付いたかもしれないけど、テストは全部0点でもいいから、もっと沢山の絵を描いたり、本を読んだり、ゲームを作ったりしたかった。

 4年生くらいの時に、当時はまだプログラミングなんて世間が殆ど知らない時に、VisualBasicでドラクエをまねたゲームを一人で作ることに夢中になった時期があって、テストで100点を取れなかった時がある。その時も「せんせい」や「おともだち」にびっくりされて恥ずかしくて、ゲームを作るのは二の次になった。

 5年生くらいの時に、カードゲームにハマって大学生以上しかいないカードゲームの大会に出た時も、結局三回戦くらいで負けた上に、学校をサボっていったもんだからこれまた怒られて恥ずかしかった。ゲーム<勉強 という謎の方程式が当たり前の義務教育では、それがどんなゲームかとか、大会で勝てた事とか、それは誰も聞いてくれなかった。

 6年生の時は、もう大人のお気持ちが分かってきたので優等生らしく振舞って生徒会長的なものもしたけれど、科学の実験にハマって、準備室のホルマリンを持ち出して校庭に並べたり、旧校舎をドライアイスの煙まみれにして結局また怒られて、生徒会長的なものをやめさせられて、結構懲りた。

 好きな事、面白そうな事をしていると社会的地位を失う、とその時直感的に思った傷は結構深い。別に良い事をしたわけではないから、至極当然かもしれないが、その時の怒られ方が一方的で、納得しなかったことだけは覚えている。それから大学生で研究室に入るまで、求められる試験勉強ばかりしてきて、趣味は二の次か中途半端、大分お粗末な10年あまりを過ごしてしまった。けれどそれが求められた同調圧力と思考停止の仕組みは今もなお至る所に残っている。

 ハンコ注射の跡が色んな事を思い出させてくれるから、やっぱりこうした傷跡も大事かもしれない。ただ当時したゲームも、カードゲームも、ホルマリンを並べて校庭アートをしようとした写真も、何も残っていない事が悲しい。自分の子供には残したい限りだ。

 写真は高校生。髪うっとうしい。


 

 

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