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変化する価値

 SNSの話です。
よく『フォロワーが多い=凄い』という認識があって、まあ実際それは凄い事なのだけど、その凄さはピンキリだなと感じます。

 フォローよりフォロワーが多い、というのは芸能人だけで充分で、本来は相互的コミュニケーションを円滑に取れる人が魅力的な人だと思います。何百人とも相互に信頼関係をつくれる人は、これからの『信頼経済』においての力を蓄えている人です。発信の内容でいいね!を貰うというよりかは、その人だからいいね!するという感覚。これは信頼関係があるからこそです。(芸能人などのファン化しているフォロワーは別)

 そもそも数字から読み取れるものなんてSNSのような社会ではほぼ価値が無いのですが(フォロワーの購入、投稿の真偽など)、お互いに信頼関係が保たれているとしたらそれはスキルとして重宝されます。

 Twitterなんかはフォローを300人くらいすると情報が処理しきれなくなり、目に入った情報を見るだけ。唯、これが全員友人だとすると、全部チェックしたくなるのが人の性。信頼関係が出来ている人、現実でも影響がある人、の動向は知らずにいられないものです。現に、Instagramはストーリー機能がある事でその欲求を互いに満たし、繁栄していますね。
 1日の限られた時間でこんなことをしていると時間が足りなくなりますが、必要な情報を多くの情報から見つけられるのもまたスキルです。また相手に確実に認識される投稿にも価値がありますよね。

いいね!の数やフォロワーの数は、あくまで大衆に迎合している形が多い。

 ウケようとしているけど、じゃあなんでウケたいのか、というと熱く語れるようなものは何もない。何となくアフィリエイトで生きていきたいだけだったり、ふんわり時間を消費しているだけだったりする。
本当に良いものは、時代を先行き過ぎてまだ反応されない事が多いです。芸術でも文学でもテクノロジーでもそうですね。
 最近は「隣の人がいいね!と言ってるから良いものなんだ」くらいの認識が増えていき、それが多くのフォロワーに繋がっているという事が大いにあります。

 そう考えると、フォロワーが多い事が価値であるかというと疑問が残ります。右向け右、で他の人が見てるから...といった価値は、今後あまり意味をなさなくなると思います。
 それよりフォローが100人だとしても、『助けて!と叫んだら助けてくれる人が100人いる』という価値。SNSを通して、その100人があらゆる属性の100人だとめちゃくちゃ心強いし、最早それはその人のかけがえのない価値です。

昔から「友人は量より質」であることの原則は変わっていないと思いますが、SNSの普及で「知り合いは質より量」という謎の価値観が生まれた時代が少しあったなと思います。

 信頼経済の波が確実に目に見えているこの時代に、フォローされたらまずその人とコミュニケーションを取ってみる。
それがどんな人でもコミュニケーションを深め、信頼関係を築ける、というスキルがある人を尊敬します。

SNSの大海で出会った人を、一先ず大事にしてみましょう。

#コラム #SNS #信頼経済 #フォロワーのまやかし

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