【雑記】ゲームの原体験ーーニンテンドー64で育った子はワイワイしたい

 ゲームの原体験はどこだろう、と聞かれると「みんなでワイワイとプレイしていること」と答える。この答えは人それぞれで、研究員たちに聞いてもバラバラだが、自分の場合はそれだ。
 その理由は簡単で、自分が小学生のときにニンテンドー64やスーファミで遊んでいたからだ。『大乱闘スマッシュブラザーズ』やったり、「マリオパーティ」シリーズをやったり、スーファミで『星のカービィ スーパーデラックス』を二人プレイでやったりした。
 ふつうの一人でもくもくとやるゲームも嫌いではないが、みんなでわいわいゲームをすることが好きだ。そんな人間だから大学生になっても、Wiiで『大乱闘スマッシュブラザーズX』をやったり、麻雀やったり、『モンスターハンターXX』をやったりする人間になった。

 大人(社会人)になると、ワイワイとゲームをする機会が減った。それはそれで仕事や他のことにやりがいを見出して楽しくやっているのだけれど、ワイワイのリスクに耐えられなくなったというのが本音かもしれない。
 学生時代によくゲームをする友だちがいたが、「同じゲームをどんどん極めたい」「とことんやりたい」という主義と、俺の「浅くてもいいから面白くやりたい」という主義。その他、一緒にやっている友だちたちの意向などもあり、合わなくなってしまった。小学生のようにその場に集まってワイワイしているのであれば、こういうのが起きても住み分けができていた。その場に居れば「そういうワイワイ」として成立する。大学生のころも、狭いワンルームに麻雀コーナーとボドゲコーナーとスマブラコーナーができていた。
 だけど、今はみんなバラバラに住んでいて、生活リズムもバラバラで、集まることがあるとすればSkypeやDiscord上だ。通話しながらやっていると、無言の時間は気まずいし、声は微妙に聞こえにくいし、コーヒー淹れに退席するときに一言言わなければならない。盛り上がっているときに通信不良になることもある。
 ワイワイは難しい。なんか違うと感じることが多い。

 最近、作業をしながらVtuberやゲーム実況を見ることがある。生配信で
「コメント盛り上げてワイワイしよう!」とあるが、なんだかこれも違う。コンサートでサイリウムを振る側にいる。プレイする側も、台の上で踊って歌っているようなものだ。楽しい面もあるかもしれないが、それがなんかむなしいと感じる。
 子どものころみたいに、市民センターで将棋をパチパチするじーさんたちのところに寄って、どうでもいい話をしながら将棋をするように、そのへんにふらっと寄ってゲームをしながらワイワイする場所が欲しい。大人になるほど、そう思うことが強くなった。

 ゲームいきもの研究所の研究所は概念だ。しかし、研究員たちの中で「ここが研究所の場所だ」と言われる場所があって、そこに集まって、ワイワイ作業をしている。一緒にゲームをプレイすることもある。『むし太郎』を収集していたときは、難しすぎてキレている自分や、クリアできなくて頭を抱える所長、冷静にどうすればいいかをブツブツ言っている研究員……とにぎやかにやっていた。
 やっぱりこういうのが好きだなぁと思う。

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