【雑記】クソみたいなゲームを愛せよーー楽しんだもん勝ちだからやっても勝ちだし、やらなくても勝ち

 誰が言い出したか分からないが「良いものを作るには、名作だけじゃなくて駄作も知るべきだ」という助言がある。駄作から学ぶこともあるから、良いものだけでなく悪いものからも学び取って、創作の糧にしろということを言いたいらしい。
 じゃあ、ゲームではどうだろう。ゲームを作るじゃなくて、ゲームをプレイする人。そういう人は駄作をやって何になるのだろうか。逆に、名作だけをやって、面白いと誰もが分かっているものをやって「あー面白かった」と言うだけのゲームプレイヤーでいいのだろうか。
 「~でいいのだろうか」なんて啓発的な言い方をしたが、それでいいかどうかなんて自分が決めるものなんだから、どっちだっていいはずだ。「〇〇をプレイしていないなんてモグリww」とかの意見を気にするな。好きなものを好きなようにプレイしろ。

 という心情で生きているが、研究所に入ってから「俺は自分が面白いと思うものしかしないわー」とか言っている状況ではなくなった。それまでの自分という人間は、原体験が64にある人間なせいか、名作ばかり遊んで来た。というか、任天堂メインでプレイしてきた人間はだいたい名作ばかり遊んできているだろう。プレステとか通ればたまに尖ったやつとか変なゲームとかなんでかやったゲームとかあるだろうが、64はそういうのがあまりない。買い与える親側も9000円とか出して子どもにゲームを与えるなら、ちゃんと楽しいやつを選ぶ方がいいと思うだろう。誰だってそうする。俺だってそうする。唯一なんでかやったゲームがあるとすれば、プレステの『プリンセスメーカー』くらいだ(叔父さんがなぜかくれた。Switchでリマスターされたときは驚きで爆笑した)。

プリンセスメーカー
叔父さん、これ子ども向けか?

 で、研究所に話を戻す。研究所のゲーム一覧を見ると、見たことがないゲームだらけだ。どれが面白いか、どれが面白くないか。どれをやるのが効率よく多くのいきものを集められるのか。いろいろと考えながら選ばなければいけない。ゲームリスト片手にゲームソフトが置いてあるところを眺めている姿は、TSUTAYAでDVD選ぶみたいな作業だった。
 一人で遊んだものもあるし、他の人がプレイしているのも見ているし、時には交代でプレイした。いろいろなゲームをした。プレイ済みゲームのリストも75を超えている。
 そのプレイの中で、何度も叫んだよ。「このクソゲーが!」と。古いゲームじゃなければコントローラー投げてたよ、マジで。時にはゆったりと「ああ、これ、クソゲーだな」と言ったこともある。
 先日、イモトのゲームをレビューで書いたが、これはあまり叫ぶタイプのクソゲーじゃなかった。ただただ単調&道に迷うというゲームなだけで、悔しがらせる要素がなかった。それでも、最後の最後に「実はランダムエンカウントの中に、固定でいるいきものがいる」とか「100%埋めても、全てのいきものが集まったわけではない」とか、一緒にいた面々と「嘘やん!
と驚くような要素を出してくれた。

 もう一つのゲームの話をしたい。
 それは『むし太郎』だ。詳しいことは時期が来て、このゲームのレビューのときに書くが、このゲームをプレイし終わった後、「二度とやるか!」と吐き捨てた。
 ゲームとしては、虫を捕まえるだけのゲームだ。その捕まえ方が手で挟むとか、網とか、草むらから飛んだところを紙コップで捕まえるとかなんだけど、判定がシビアすぎて難しい。本当に。YoutubeとかでRTA動画見てほしい。マジで難しい。しかも、そのエリアを繰り返しやるとかそういうことがやりにくいゲーム設計になっている。しかも全ステージ時間制限付き。ゲームの嫌になりそうなところが詰まってやがる。
 このゲームは交代でプレイしたが、「もう無理だよ」とあきらめる人や、小声で方略を考え続けている人、動画でタイミングを確認して臨もうとする人が出るという状況となった。
 ゲームでそこまでする必要があるのか。いや、ない。ないけど、研究所としてやっている以上は……いや、でも難しくない? なんでこんな難しいゲームにしたんだ。どこが作ったんだこれ。嘘だろ、牧場物語とかぬし釣りを作ったところなのか。なおさら、なんでこんなゲーム作ったんだ……。
 そうこうしていたら、研究員の中でアクションに強い釣り好き研究員が難所のトンボステージをクリアし、所長が最後のステージをクリアした。よっしゃー!と盛り上がった中で、二言目には「もうやりたくねぇ!」。
 このゲームを人と話すなら、「あれ、もうやりたくないわ。クソって何回も言ったわー」と言いそうだ。だけど、この思い出ができた時点で、ゲームとして成功している。
 あるエッセイ漫画を見ているとき、「アメリカに修学旅行に行くときに下調べをして失敗をしないようにした。クラスの人はそういうことをしていなかったから大変そうだったけど、今思い出すと失敗している方が楽しかっただろうなと思う」みたいな話を見たことがある。
 人間やらかしたくない。失敗したくない。だけど、やってしまったことを後から思い出すと「ふふっ」と笑ってしまうような思い出になっている。クソみたいなゲームをやってしまった。苦戦した。クソゲーじゃないかもしれないけど、難しすぎてキレた。そういうゲームも出会ったことや、やり遂げたことが良い思い出となってしまう。

 『むし太郎』? あれねー、きついゲームだよ。やっている最中何度も「クソゲー!」って言ったもん。気になるならやってみればいいよ。
 そう言う顔は、たぶん楽しそうに笑っている。そんなゲーム体験をしていきたい。

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