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「言葉とゲームの関係性について 日本語化の様式」

「膝に矢を受けてしまってな」という言葉を聞いたことがあるゲーマーは数多くいるでしょう。これは、ベセスダ・ソフトワークスから発売された「スカイリム」の衛兵が話す一言。そのなんとも言えない状況の理解できなさ、スカイリムの世界中の衛兵が同じエピソードを話すことから、英語圏でも大いに話題となり、ミーム化した用語です。日本でも、イラスト投稿サイトや掲示板で話題になり、現在でも「スカイリム」を語る際には欠かせないミームの一つです。

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ただ、このミームの流行について、こう考えることもできるでしょう。もし仮に、日本での発売が一年先だったら、もし日本のゲーマーが、英語直訳の文章を字幕でプレイしていたとしたら、と。その場合、時間的な差、言葉の感覚的な差によって、同じようにこのミームで笑い合うことはできなかったことと思います。
このように、「言葉」の面白さはもちろんですし、街に漂う雰囲気などを理解するために、「言葉」は必要不可欠なものとなります。物語を理解する役割はもちろんですが、キャラクターのふとした一言や、机に置いてある一枚の置き手紙など、ゲーム体験を豊かにする空気感を醸成する要素として、「言葉」は大切なエッセンスといえます。今回は、そんなゲームと密接に関わっている「言葉」について、素晴らしい「日本語化」がなされた作品を通して、考えてみたいと思います。(Youtubeにも下記5選の紹介動画を上げているので、是非見て。noteではもうちょい詳しく、「日本語化」ということについて書いていきます。)

・The Witcher 3: Wild Hunt

「優れた日本語化」について考えるなら、まずは多くのゲーマーが「The Witcher 3」を思い浮かべるのではないでしょうか。本作のゲーム体験が如何に優れているかを語ることは紙幅の都合上避けますが、なぜ我々は「The Witcher 3」にこれほどまで熱中できたのか、その答えの一つに、優れた「日本語化」が挙げられます。
壮大な物語は、全編日本語フルボイスで表現され、膨大なキャラクターの豊かな個性は細かなジョークに至るまで、丁寧に翻訳がなされています。また、地形の立体感やグラフィックの素晴らしさもさることながら、都市「ノヴィグラド」で表現された、持つもの・持たざるものの格差に、説得力が生まれ、よりゲームの世界観に没入できるのは、まさしく、スパイク・チュンソフトのローカライズがあったからに他ならないでしょう。

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ミニゲームのグウェントから机に置いてある手紙の一枚まで精緻に翻訳がなされた本作。全くの違和感なしに、プレイヤーが本作の壮大な物語に感動し、ふとしたキャラクター同士の掛け合いに笑いがこぼれたとすれば、それは本作のローカライズがいかに素晴らしいかを評価する最大の要素となるでしょう。

・Life Is Strange

本作を遊んだプレイヤーが、なんの違和感もなく自信が「ブラックウェル高校」の生徒であるかのように、物語に没入できるのは、繊細なローカライズの賜物と言えます。学校の授業での黒板の文字や、机の上に置かれた小物、その全てが丁寧に翻訳されていますが、本作のローカライズで素晴らしいのは、まさに「カルチャライズ」と言えるような、日本の文化に合わせたセンテンスの選び方にあると思います。
たとえば、18歳の女の子である主人公のマックスの少し内向的な性格は、キャッチーな言葉で表現され、非常に感情移入がしやすいものになっています。学校生活での孤独感、くだらない友人関係、そんな環境で暮らす彼女の気持ちを代弁してくれるようなエモーショナルな音楽を聞いた際に、表出するマックスの言葉を「エモい」と翻訳する、丁寧な言葉選びには感動を覚えます。

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時間を巻き戻すことが出来る力を手に入れたことで巻き起こる様々な物語はもちろんですが、登場人物の一人ひとりが生き生きとしており、物語を終えるその瞬間までプレイヤーの心を離すことがないでしょう。海外の作品を遊んだことのない方はぜひ、本作を洋ゲー入門としてプレイしてみることをオススメします。

・DETROIT: BECOME HUMAN 

続いては、「HEAVY RAIN -心の軋むとき-」、「BEYOND: Two Souls」で知られるクアンティック・ドリームが開発し、ソニー・インタラクティブエンタテインメントより発売された「DETROIT: BECOME HUMAN」です。
本作は、オープンシナリオアドベンチャーとジャンル分けされるように、プレイヤーの選択が膨大なルートに分岐するインタラクティブなゲームデザインかつ、
3人のメインキャラクターが交互に登場することで、物語が重層的に入り組んで展開されていきます。
膨大な量のテキスト・複雑なキャラ同士の関係が提供されつつも、違和感なく、没入感を保証し続けたのは、まさしくローカライズにあると思います。本作の、ゲームがプレイヤーに届けたい表現を、適切な日本語で届ける、という作業の丁寧さに驚かされます。たとえば、メニュー画面の選択時に登場するクロエのある一言を紹介すると、原文で「If a man has not discovered something that he will die for, he isn't fit to live.」と引用されるマーティン・ルーサー・キングの言葉を、日本語では「命を投げ出してでも成し遂げたい目標がないならば生きる意味などない」と翻訳されています。これは、キング牧師がデトロイトで行なった演説の一文なのですが、しっかりとスピーチの文章として翻訳されており、それがどういった言葉なのかが、伝わるようになっています。

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アンドロイドと人間が使う言葉の意味や機微など、原語では伝わらなかったであろう、言葉の背景、ひいては直接ゲーム体験にも関わってくる「世界観」を、素晴らしい精度で味わうことができる、まさしくおススメのローカライズです。

・VA-11 Hall-A

PC-9801で発売された日本のアドベンチャーゲームの影響を強く受けたといわれる「VA-11 Hall-A」は随所に日本的なものを感じることが出来る作品です。
プレイヤーは207X年のバーテンダーとして個性豊かなキャラクターとのひとときを楽しむことが出来ます。登場キャラクターの抱える問題や、近未来を感じさせる様々なディテールを余すことなく楽しむことが出来るのは、本作の持つ魅力的なテキストを原文の雰囲気を残し再現した翻訳にあります。

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古典とも言えるアドベンチャーゲームで繰り広げられる本作は、些か古臭さを感じる場面もあるかと思います。しかしながら、それらを払拭するほどに本作は、アドベンチャーゲームへの愛に溢れた秀作でもあります。
本作のようなインディーゲームが日本で、公式からパブリッシュされること自体が珍しく、AAAタイトルだけでなく、世界中で日夜発売される素晴らしいゲームの数々をプレイする入門として是非本作をプレイしていただきたいです。

・Undertale

ローカライズについて語るならば、本作を抜きにすることはできないでしょう。というのも、本作の初出はPC用のインディーゲームということもあり、公式ローカライズ版が国内販売される以前に、有志による日本語化パッチが存在していたからです。そのことが意味するのは、翻訳とローカライズという行為の本来的な相違です。すなわち、非公式の日本語化パッチは、あくまで英語テキストの翻訳でしたが、公式日本語訳は、メタ表現の多い本作だからこそ、日本に合わせた「地域化」が重視されているのです。
たとえば、非公式日本語化パッチでは、「労働基準法は守らないとね。休憩の時間だよ!」と翻訳されていた箇所は、公式日本語訳では「きゅうけい はいりまーす うちは ブラックきぎょう じゃないからね」と地域ごとで共有されているワードが使用されています。

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数々の賞を受賞し、多くのゲーマーを魅了した、「Undertale」。ネタバレなしに本作を語り尽くすなど、到底不可能なことです、まだ遊んでいない方のために本記事では内容について一切触れませんが、非公式日本語化パッチの作成者、公式日本語訳を手がけた「ハチノヨン」の双方に、最大の賛辞を送り、ぜひ、その目で本作の素晴らしさ、そして愛情たっぷりの“ローカライズ”を楽しんでみてください。

・“文化”に合わせるということ

「優れた日本語化」ということで、5作品を紹介してきました。厳密にというわけではないのですが、「日本語化」のパターンに合わせて3つの用語を用いてきました。それが、「翻訳」・「ローカライズ」・「カルチャライズ」です。詳しくは、以下のブログ論文を参照いただきたいですが、これらの3語は以下のように分けることができます。

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もちろん、以上の区分は優劣ではなく、どれほどゲームを日本の文化に近づけているか、という尺度でしかありません。その前提の上で、これらの用語の強弱を分類すると、翻訳<ローカライズ<カルチャライズの順で日本文化に寄っていきます。互いに重なり合う部分も多いので、厳密な区分をするわけではないのですが、紹介した作品でいうと、個人的には下図のようになると思います。

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例えば、「The Witcher 3」の言葉の機微や冗談の翻訳は本当に素晴らしいの一言ですが、それらは日本文化に合わせて言葉を変更しているというよりも、海外のファンタジー小説を読んでいるような、世界への没入感を重視する翻訳です。そのため、上記のような判定になるでしょう。また、残虐表現の軽減や、日本で発売するためのいくつかの規制はまさしくローカライズに当たる作業です。併せて、言葉から少し論点がずれますが、ゲームのアップデートで決定ボタンが「Xボタン」から「○ボタン」に変更できる仕様が加えられたことは、他文化圏を意識した変更であり、カルチャライズとも言えます。

他方、「Life Is Strange」で用いられた「エモい」という日本語訳はもはや、ローカライズの域を超えた日本の文化に精通した人でしか理解できない言葉です。アメリカの学生の言葉を訳す際に、日本の若者言葉を引用する、(=本来の英語訳ではない言葉を使うこと)は、「カルチャライズ」のと言えるでしょう。あるいは、「Undertale」の公式訳についても、非公式パッチでは使われていない日本に合わせた表現が多用されています。(まずもって、非公式パッチでは日本語化することを重視していたと思われるため)

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また、日本製のゲームの英語化という逆バージョンですが、「妖怪ウォッチ」の英訳はローカライズとして、とても優れています。日本版ではジバニャンは語尾に「〜ダニャ」と付けて会話しますが、英語圏では、語尾に言葉を足してキャラクター付けをするということは難しいので、「know」を猫っぽく「knyaow」と変更しています。「妖怪ウォッチ」では他にも、親父ギャグを言う妖怪は、英語ならではの寒いギャグに変更されているなど、テキストそのものに変更を加えるのではないローカライズがなされています。

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ここまで紹介してきたタイトルは、全てそのゲームに最も適した日本語化がなされてきた作品です。最も重要なことは、作品によって「翻訳」・「ローカライズ」・「カルチャライズ」の、どのパターンで物語を伝えることが、作品にとって幸いであるかを、しっかりと峻別することです。仮に、ゲラルトがゲーム中にエールではなく日本酒を飲んでいたとして、そのことが「The Witcher 3」にとって、プラスに働くことはないでしょう。作品の価値を最大化できる「日本語化」はどの方法か、という点でこそ判断されるべきだと思います。

ちなみにYouTubeで動画でも説明しているので、そちらも見てね。





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