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『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を見た感動と、長い友人との別れ。

ちょっとおふざけもかねて、フローラから見る『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー(以下、ユア・ストーリー)』なんて書いてみたけど、長くこの映画について考えすぎたので、そろそろ自分の最終的な感想を書いて終わりにしておきたい。ネタバレはバリバリである。

なんて思っていたら、僕の考えたことをかなり代弁した記事が出てきたので先に一つ紹介しておく。

この記事を軽くまとめると、『ユア・ストーリー』は視聴者の“あなたの物語”として作られたのではなく、開発者視点の“アウア・ストーリー”として作られたのではないか、という感じだ。

ゲームが文化として認められず、世間的な向かい風のなかでゲームを作ってきた開発者にとって、『ドラクエ』の映画の中で「ゲームは虚無じゃない」ということには、たとえ安直であっても意味がある。
そのため、知らず知らずに開発者の苦労の体験を肯定する“我々開発者の物語”になってしまい、単なるプレイヤーである視聴者とずれが発生したのではないか、としている。
これは、僕が「こう受け取る人たちがいるのではないか」と考えたことを、わかりやすく説明してくれている。

ところが、僕は頭の中でそんなことを考えつつも、これらの文法から外れた“ユアストーリー”としてこの映画を楽しんでいた。
正直に言えば、「大人になれよ」なんてクソリプ程度の言葉で、ゲームの肯定なんてメッセージ性すら感じていなかった。
それを正直にここに書いて、『ユア・ストーリー』最後の感想文として残し、いったん思い出に区切りをつけようと思う。

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げーむきゃすと は あなた を みて、「さいごまで よんでくれて うれしい」と かたった。