ゲーム雑誌創成期から現代までの私的ゲームメディア史。ゲーム誌の提供してきた価値と収益を考える

この記事は、私が持っている歴史観から歴史を網羅する目的ではなく、
・ゲームメディアが提供してきた価値は何だったのか
・収益源は何だったのか
をまとめて、これからのゲームメディアがどんな価値を提供して生きていくべきかを考えるために書いている。
歴史に関しては十分すぎるほど裏をとってから書こうと思っていたが、この歴史と現在のメディア観に関して、回答を得られるかもしれない幸運なチャンスが巡ってきたので、2018年11月までのゲームキャストの記録として急いでまとめておく。
不確かな場所については「推測」とか書いてあるので注意して読んで欲しい。

「ここにないけど、こんな価値もあったよ」という話や、記事の感想は大歓迎なので、ぜひコメント欄はTwitterで書いてほしい。noteに書いていると反響が少なめなので、すごい喜ぶ。

ゲーム誌の勃興時代

ゲーム誌は、1980年代前半に『ログイン』や『コンプティーク』などのパソコン雑誌のゲーム紹介コーナーから始まり、1985年に『ファミリーコンピュータMagazine(ファミマガ)』や、1986年に『ファミコン通信(ファミ通)』、アーケード専門誌『ゲーメスト』が創刊される(このあたりWikipedia調べなので不正確かも)。
このころは権利関係がとてもおおらかで、ゲーム攻略本を出すときに許可を取らないで出してしまったり(実は現代のスマホゲームムックでもたまにあるが、怒られることも多い)、許諾をとってもゲーム会社の取り分が少なかったりした時代だという。
とはいえ、1988年に『ドラゴンクエスト3』が出るころには、雑誌『FLASH』紙面にエンディングが掲載されて話題にもなり、すでにゲーム情報の取り扱いが権利として取り扱われていたことがわかる。
この時代の話は幼かったので「こうだったらしいよ」でしかないが。

私の記憶の中に存在するゲーム誌もこのあたりから始まる。このころは週刊の雑誌がなく、本屋に行っても先週の雑誌が残っていたりして「お父さん、この雑誌古いね」なんて言っていた。
このころ、私にとってファミ通やファミマガの価値は「早い情報」であり、「早い情報をもとに欲しいゲームを決める(お金はないので、クリスマスなどが遠ければ攻略本だけ買ってもらう。攻略本だけで満足することもあった)」ために存在していた。

近所のお兄さんは工場のPCでゲームをしていて、僕らにそれを自慢げに見せてくれた。そこにあったのが『ログイン』だか『コンプティーク』だかで、何となく大人の雑誌だな、と思っていた。
なんかすごいゲームを触らせてもらった気がするが、キーボードが操作できないのでほぼ遊べなかった記憶がある。しかも、英語で単語を入れないと動かないので面白くなかった。

ファミ通の週刊化と一人勝ち

ゲーム誌勃興の時代が終わると、次に競争の時代がやってきた。そして、1991年に『ファミ通』が週刊化されることで業界1位争いに終止符が打たれる。家庭用ゲーム雑誌の週刊化。これには激烈な効果があった。
先に書いた通り、ファミ通などのゲーム誌の価値は「新しいゲームの情報を知る」ところにあった。週刊化したファミ通は他の情報誌よりも早く刊行されるため、どんな雑誌より早くゲーム情報が載るようになったのだ。
『週刊少年ジャンプ』が情報権を握っていた『ドラゴンクエスト』のような例外があったため、ちびっ子にとっては「週刊少年ジャンプが一番エライ」的なところはあったが、当然ながら「早い情報を見るならファミ通」となった(裏技コーナーは立ち読みで全雑誌見てた)。

週刊化の結果として「ファミ通の情報が早くなって勢いが増し、他の雑誌が落ちていった」のは確からしい。これについては、いずれ国会図書館で雑誌の発行部数データを見比べようと思っているが、ゲーム雑誌業界の複数の方から証言が得られているので、ここではそれを自分の正史として採用している。
単独首位のゲーム誌となったファミ通は、ゲーム会社の広告の中で大きな比重を占め、業界の巨人となった。

業界の暴れん坊としてやってきたファミ通

現在では業界の保守派、体制を作った側として見られているファミ通だが、ファミコン雑誌として後発の存在でメーカーとのつながりも浅く、情報なども先発の雑誌よりもとりづらい状況があったという。そんな中で、彼らは先行雑誌に対抗するため、必死の企画を繰り返した。
中でも異彩を放っていたのがおバカ企画と呼ばれるもので、当時を知る人は「ファミ通のライターの個性が光っていて、ライターや各コーナーも面白かった」とも言う。

後年、「バカ通」というファミ通のバカ企画を集めた小冊子が出るのだが、見返してみると小学生の私が面白く感じられなかったのは明白だったので、当時の私はお行儀のよい先行雑誌が好きだったのだと思う。
この時期のゲームはパソコンの延長線上にあって、青年・大人の文化という側面も強く、そういった層を狙った雑誌だったのだろう。小学生の情報源はドラクエが出たときだけジャンプ、コロコロ(任天堂より、ハドソンが子供向けだった)、そしてボンボンであったように記憶している。

ファミ通が広告とゲーム業界に影響力を持った理由

ファミ通が最も早い情報を得て部数を伸ばすと、「ファミ通を通してゲームを売る」ほどの影響力を持つようになった。そこには、当時のゲーム販売の流れが影響する。

当時、新作ゲームをおもちゃ屋が扱おうとすると、ゲームの発注は発売の2~3カ月前に行うのが普通だった。ゲーム発売の2~3カ月前なんて言うと、ほとんどのゲームに関してはあまり情報が出ていない。
当然、ゲームが当たるか外れるか、そんなこともわからない。そんな中で、売り場の発注担当は必死に情報を集めて売上本数を予想していた。
まず、担当者はゲーム雑誌をすべて精査し、広告が何本、どのサイズ(半ページ、見開きなどの単位も)で、どんなペースで出ていて、何ページの特集が組まれているかは当然のようにチェックし、記録した。さらに前作はどれほど売れて、評判はどうだったのか、メーカーの評判、その時点で出回っているゲーム内容が当たりそうか(これは担当者の勘になる)などを加味して発注数を決めた。
この中でも、広告の出稿量と雑誌での取り扱いは期待度を図るうえで大きな比重を占めた。で、その広告出稿量を図る基準と、ゲーム内容の基準が、最新情報が載っていて部数が多いファミ通メインになったのである。

ゲームの営業は、最新情報が載っているファミ通を手に営業に回った。そして、
「発売〇カ月前ですが、一番部数があるファミ通でこれだけページ数をとって特集されています」
「すでにこれだけ広告を出していて、発売週にはこれだけ、発売後にはこれだけの広告を出す予定です」
などと語って発注担当に営業して回った。
発注担当だって、最も部数が多いファミ通を基準に考えた。広告費をかけるということは、それだけメーカーが販売に必死で力を入れている証拠であり、メーカーの本気度の証と考えられるからだ。
プレイヤーとしては「広告量よりも面白さで考えてくれ」なんて思うかもしれないが、先ほど書いた通りゲームの情報自体が少ないから、メーカーの態度が一番重要だった。メーカーだって、面白くないゲームに全力で力を入れたらろくな結果にならない。だから、リスクをとる(広告費を注ぐ)ほど「このゲームは面白いんだな」という信用につながったのだ。
こうしてファミ通で特集されているページ数、ファミ通に載っている広告数がゲーム発注本数=ゲーム売上を決める大きな要因になっていき、ファミ通は「業界紙」としての地位を確立した。

テレビCMなどを打つ規模のゲーム(なんだかんだでテレビCMは当時、ファミ通を圧倒的に超える効果を持っていたらしい)でもなければ、ファミ通に載っていなければならないし、それにしたって「今ファミ通にこれだけ載って、発売時にCM打ちます」と営業するならファミ通に広告を出した方が良い。それほどの影響力を誇っていた。
結果として、ファミ通に最新情報を出す必然性が高まったし、ファミ通も強くなってゲーム情報はファミ通を初報とすることを要求し始める。この形は、紙のゲーム雑誌において長く続いた。

このあたりは大手量販店でゲーム発注を担当していた私の父と、元ゲーム販売店勤務者の証言が一致しているので、まず間違いない。
セガサターン版のバーチャファイター発売時に、ファミ通優先の商売を通そうとした逸話が残っているが、そうなってもおかしくないほどの勢いがあった。

他の雑誌がどういう状態だったかと言うと、もちろんいろいろな特色を出して戦っていた。
たとえば、角川系列のマル勝ファミコンでは『魍魎戦記MADARA』のような独自漫画のゲーム化、『ダブルムーン伝説』や『ヒーローズウォー』のような読者参加ゲームを行って差別化されていた。オタクゲーマーであった私はここにハマっていた(MADARAの曲も歌える)。

発売後の人気ゲームの攻略特集だったり、シールやソノシートなどのおまけだったり、特定のメーカーを特集して開発状況を聞きに行ったりするものもあった。また、特定のハードに注力して専門誌となる道もあった。
もともと強かった雑誌が持っていた「情報が早くて正確」のような価値は「情報がとにかく早い」ファミ通にとってかわられてしまったので、どうしても「濃さで勝負」になっていった。

当時は「こっち(ファミ通以外)のが記事が深くて面白い」とか思っていたのだが、この濃さこそ、最新情報をとられたゲーム雑誌の苦肉の策であると知る。ただ、「機械的に情報を出さない」ことに価値があることを私はこのあたりで知ったのだと思う。
それでも結局、どれか1つとなると情報が早いファミ通を購入してしまうのだった。

この時代のゲームメディアの収益源は、おそらく
・ゲームの販売本数を左右する広告受注
・それにまつわる攻略本など関連書籍の収益
が主流になっていたはず。そして、ファミ通がその強さを活かし、攻略本などで最も良い場所を握っていく。例えば、同じ時期に攻略本を出すとしてもファミ通の攻略本はここまでの情報を公開していいが、他社には公開してはいけない情報があるなど、文字通り「格が違う」強さがあった。(そして、その差を埋めるべく設定資料やコラムに凝った攻略本が各社から登場することにもなった)
なお、これをもって「ファミ通の独占が悪い」というつもりはない。ファミ通が強くなり、コンビニやキオスクなどに展開されたことは、ゲーム情報の出口を増やすうえでとても意味があり、ゲーム業界的にも雑誌の伸長はパイを広げる意味があった。良いところも悪いところもあったし、他の雑誌が強くなったらなったでいつかは力関係や利権の衝突があったことだろう。

コンプRPGとの出会い

コンピューターゲームの雑誌から離れるが、1992年に私は『モンスターメーカー』のカードゲームにハマり、そのままTRPGという卓上でサイコロを振ってロールプレイするテーブルゲームにハマり、『コンプRPG』という雑誌に出会った。
これはTRPG専門とする雑誌なのだが、そこに掲載されていた記事は、その後の記事づくりに大きな影響を与えるほど新鮮だった。この雑誌にはゲームの情報と同じぐらい、「ゲームをプレイした様子」を文章化した『TRPGリプレイ』という読み物が載っていた。
コンプティークなどの雑誌には、昔から『信長の野望』などをプレイ記などが存在していたそうだが、私は知らなかったのでゲームリプレイ文を意識したのはここが最初になる。

当時の私は『ガープス』とか、『Wizardry RPG』など少しルールが複雑な作品からTRPGに入ったので、『ロードス島戦記』のルールはシンプルすぎて面白みに欠けると思っていた。
しかし、気になる人たちが楽しそうに遊んでいる様子を見ると、自分も同じ体験をしてみたくなる。TRPGリプレイで楽しそうに遊んでいる様子を描写されると、矢も楯もたまらず買ってしまうのであった。
これは現代のYoutuberに通じる「ゲームよりも、好きなYoutuberが楽しく遊んでいる姿を追体験したい」という欲求だと思う。「ゲームのカタログスペックより、どう遊んだのか書くほうが面白い」と、このあたりで考えるようになった。
その後、『電撃アドベンチャーズ』が創刊されればカードゲームリプレイを見て『秋葉原戦国伝』を買ってしまうし、あの頃は記事に言われるがままにゲームを買っていた気がする。

・TRPG雑誌の情報価値は「同じ体験をしたくなる」だった。
・一応、既存ルールのサポートもあり、オンラインゲームのコミュニティ維持のような役割も担っていた

電撃プレイステーションの登場

さて、話をコンピューターゲームメディアに戻す。1994年にプレイステーションが発売されると、またゲームメディアに変化が発生した。ファミ通が強いことには依然として変わりなかったのだが、セガサターンやプレイステーション、N64などのハードが乱立することで総合誌のファミ通に対して、各ハードの専門誌が乱立し、ゲーム市場の拡大もあって多くの雑誌が存続することになった。
そして、中でも『電撃プレイステーション』はファミ通にない新たな存在感を発揮しだしたのだ。前述のとおり、ファミ通が発売前のプロモーションで圧倒的に強い存在だった。しかし、電プレは違った。発売後のゲームの中から面白そうなゲームを見つけ出し、独自にプッシュを始めたのである。そして、その多くはファミ通が特集を組まない掘り出し物ゲームであった。

有名なものでは『高機動幻想ガンパレード・マーチ』は、電プレのプッシュなしには有名にならなかったし、流行らなかったであろう作品だった。当時「高機動な幻想ってなんだよw」と語っていた知人が、1人、また1人とハマっていったのをよく覚えている。知名度が低い作品の面白さを喧伝し、広めるのが電プレのスタイルだった。
電プレはゲーマーたちに「面白いゲームを探してプレイして、広めよ!」と伝えていた。『トラップガンナー』、『ブレイズ&ブレイド』、『封神領域エルツヴァーユ』など、多くのゲームをここで知ったし、このころから雑誌で飽き足らず、自分で中古屋をあさってゲームを探すようになった。
また、実際に電プレの発掘プッシュは営業にも使われ、ファミ通ほどでないにせよ影響力を持つものになっていた。

なぜ、電プレはゲーム発掘を行えたのか。
ここからは想像になるが、プレイステーション時代になってゲーム市場が広がって余裕ができたことに加え、ゲーム配布の媒体の変化があったからではないかと推測している。
スーファミまではカセットの生産にROMカセットが必要で、生産に数カ月を要した。だから、ゲームが品薄になっても即時再生産は難しかった。しかし、プレイステーション時代に入ってCD-ROMでゲームが提供されたことにより、早くリピート生産することが可能になった。そのため、ゲームを発掘して売る意味が出てきたのではないだろうか。

また、この時期から『ファイナルファンタジーVII 解体真書』やら『アルティマニア』など付加価値系の攻略本が増えていく。この時期のゲーム攻略本は非常に売れていて、書籍の年間売上でゲーム攻略本がTOP10に数冊入るほどの勢いだった。ゲームメーカー側もその利益を得るべく、デジキューブなど自社で書籍を販売するようになるのだから、イケてる商売だったのだろう。
その流れの中で、付加価値を付けられるゲーム攻略本、ムックの権利を確保するために掘り出しをして「はやらせて、本も売る」という流れがあったと推測される。

いずれにせよ、電プレは(前身の電撃〇〇のころからその傾向が強かったが)
・面白いゲームを独自に見つけ出す情報
を価値としていた。そして、
・ゲームの発掘を行って、その影響力で広告を得ていた
・発掘したゲームの関連商品を出す商売を成立させていた(たぶん、採算に乗っていただろう)

その後もPS2時代に『FF11』を電撃スタッフと一緒に遊び続けたり、『モンスターハンター』を一緒にやろうと語りかけたり、読者に「俺のゲームの目利きを信用しろ!」と言い続けたのが電プレだった。

ファミ通で本気度を計り、電プレで面白さを測る

ファミ通に出す広告量は、ゲームメーカーの本気度の証と書いた。ファミ通は業界誌……広告量とゲーム内容を見るカタログとして使われていた。そして、この時期の話を聞いて一致するのは、面白さについては電プレを参考にしていたということだ。

広告量でメーカーの本気度について測って大体の発注量を決める。そして、電プレの評価で細かい調整をしたり、追加発注を決める。そんな時代が確かにあった。とはいえ、立ち位置的に紙の本の時代はファミ通が強かった。ゲームの発注数が主要メディア(ファミ通)への広告量に左右される部分が大きかったようなので、電プレが苦戦していたであろうことは予測に難くない。

おまけ商売の強化

ゲーム媒体がCDROMになったことにより、ゲームの掘り出しに価値が生まれたことを書いたが、もう1つここで変化が生まれた。低コストなCDROMの普及で「体験版」を配れる体制が整ったことである。
これは雑誌を通じたプロモーションとして普及し、「セーブデータ付きのCDROM」や、「発売前ゲームの体験版」などが専門誌のおまけとして付属するようになった。2000年には、ファミ通にドリームキャストの『エターナルアルカディア』製品版が付属し、序盤を遊んだ後でオンラインでお金を払ってアンロックできる@baraiという仕組みまで登場する。
気になるゲームの体験版がついたゲームをゲームマニアたちは喜んで買っていったし、雑誌によって仲の良いゲームメーカーが違って体験版が違ったりして、ここにも特色が生まれた。

プレイステーションマガジンとスクウェアのトラブル

さて、このころのゲーム会社とゲーム雑誌の力関係を示す事件として、記憶に残っている事件が1つあるので紹介しておく。
徳間書店から出ていた『プレイステーションマガジン(プレマガ)』と、スクウェアの喧嘩話だ。
当時スクエニは「レーシングRPG」と銘打って、『レーシングラグーン』というゲームをリリースした。しかし、プレマガ編集長はこれを「RPGではなくレース」と切って捨て、スクウェア側が『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』の素材提供を拒否する事件に発展した。
この事件がプレマガ廃刊に決定打になったという説もあるが、そもそもプレマガが死に体だったのでダメージがあったのかも定かではない。
このスクウェアの態度は、「ゲーム雑誌は広報の場である」という考えに基づけば妥当だ。自分にとって批判的な意見を書くメディアに情報を与え、飯の種を与える必要はない。
一方、私は「ちょっとやりすぎじゃないの?」とは思うし、そういった批評を展開する自由は、ゲーム雑誌にもあっていいのではないかとも思う。もちろん、いくつかのゲーム会社で「批評は自由である」スタンスをとっていたことも知っているが……でかいところがコントロールし始めると、どうしても目立ってしまう。あとはもう、メディアであることを守るため、このときゲーム雑誌側が団結して『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』の掲載を拒否した方が良かったのではないか……と思う。ま、絶対できないけど。

ゲーム会社から情報を得て、ゲーム新作情報を売り物にして商売する以上はゲーム会社の意向に逆らえない部分がある。ゲーム会社から情報を得てそれを流すだけの商売では、ゲーム会社の下請け的な存在になるしかないのだ。それを脱する価値を作らなければいけなかったが、人気ゲームの最新情報よりすごいトピックは当時も今もないだろう、とは思う。
ただ、ファミ通ほどの規模になると話は別で、2000年代初頭にコナミと喧嘩してお互いに数カ月情報掲載していなかった時期などもあった。ただ、今喧嘩したらインターネットに情報が載るようになって、ファミ通に永遠に掲載されなくなるだけだろうなぁ……。

次回予告

これが2000年近くまで続き、2000年に4gamerが出てきてからゲームメディアのルールが変わる。現代に続くネットゲームメディアの時代が始まるのだ。

ということで、次回以降は4gamerとファミ通ドットコム、PS3の家庭用ゲーム不況とモバイルゲーム(モバゲー・グリー)台頭による変化、AppBank、攻略メディアの登場、おまけでファミ通クロスレビューに関する考察に続く。

ネットメディア誕生と4gamerの台頭、ファミ通クロスレビューの影響 - ゲームメディア史中編へ

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#ゲーム 記事まとめ

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コメント2件

懐かしいですね。私の認識では、ファミマガ=早くて正確な情報・優等生、ファミコン必勝本=どぎつい個性のニッチ需要狙いでおもしろい雑誌、それらに対して初期のファミ通は薄味で情報も不正確なことが多々あって信頼できないという感覚でした。
そして、ファミマガや必本その他が順次消えていく中、しぶとく生き残ったのがファミ通という状況で、「ひとり勝ち」という感じはあまり無く、「生存戦略でまさった」というほどの印象を持っています。
無論これも個人の感覚なので、データの調査などをふまえて、さらに踏み込んだ論考を待ちたいと思います。
それで言うと、マガジンデータで調べがつく範囲ではファミ通が他を圧倒的な部数になっていくようです。市場が確立して部数が多いことが力になる状況で、独占につながる手を打てたのが大きいのだと思います。
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